日本国憲法には、教育について次のように記されている。「第二十六条 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。②すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。」素敵な項目だ。義務教育は、受ける子どもの義務ではなく、国や親の義務なのだ。
国の力あるいは国民の力は、教育によるものが大きい。しかし、教育予算は削減の対象となりやすい。なぜなら、教育の力は短期的に成果が表れるものでなく、長期的にしか結果が見えないものだからである。学習到達度調査PISA(Programme for International Student Assessment)の成績が一時的に上がったからと言って、国民にとっての利得は少ない。
ところで、19世紀から現在までのアメリカの成長の基礎を築いたのも教育によるものであることはあまり知られていない。1950年代までにおいての、アメリカの生産性アップの原因の相当部分は、教育によるものと考えられている(短期的な政策のおかげではない)。トマ・ピケティによると、1950年代の初め、ドイツとフランスの労働生産性はアメリカの50%しかなかった。これはヨーロッパ諸国と違い、アメリカがほぼ国民全員に中等教育を実施したおかげである。同時期に、イギリス、フランスの中等教育は全体の2~3割、ドイツでは4割しか行われていなかった。教育予算について言えば、1870年、教育への公共支出は、アメリカでは国民所得の0.7%と突出していたが、フランスでは0.4%、イギリスでは0.2%程度だった。1910年でも、アメリカの1.4%に対し、フランスは1%、イギリスは0.7%だ。この差は歴然としている。
しかしである。初等中等教育の先駆けとなり、19世紀から20世紀半ばまで、所得と富の分配でヨーロッパよりずっと平等だったアメリカが、どうして1980年以降は先進世界で最も不平等な国なり、今やそれまでの成功の基盤そのものが危機に瀕するほどになったのだろうか?非常に極端な形の教育の階層化が起こったことが、変化の中心的役割を果たしたと思われる。
問題は、中等教育から高等教育へと移る。現在、先進国の初等中等教育は、ほぼ公的資金で賄われているが、高等教育への公的資金供給にはかなりの差がある。アメリカでは高等教育の費用のうち、民間資金(自己資金)が60%から70%を占め、公的資金は30%から40%に過ぎない。イギリス、カナダ、オーストラリアでも民間資金(自己資金)が60%近くに達するが、フランス、イタリア、スペインでは30%、ドイツ、オーストリア、スウェーデン、デンマーク、ノルウェーでは10%以下である。このように、アメリカでは高等教育へのアクセス格差が深刻化している。これに対し、北欧や一部のヨーロッパ諸国では、高等教育の大部分を公的資金で賄っている。この違いは、いずれ表面化するだろう。
政治が分断状態にある世界では、教育の役割が大きい。哲学者のプラトンやルソーは、見識ある市民をつくるためには、選ばれし者の私的な教育ではなく、すべての人のための公的な学校教育が必須だと考えた。そして、学校教育を通じて人は公共の利益の中に自らの利益を位置づけることを学ぶことができる。
教育の最終目標は、読み書きや計算の習得ではない。知恵と勇気、節制、そして正義を身に付けさせることにある。これらは家庭や地域が担うものと思われがちだが、そうでなく、教育機関が責任を持って行う必要がある。なぜなら、絶対君主制ならば国民の教育はあまり必要ないが(決定をするのが君主のため)、民主制の場合は民衆が政府を選び、政策を決めるので、国民の教育が必須となる。つまり教育を追求する目的は、国家の発展に貢献できるようなエンジニアや市民を育てることだけではない。政策を決め、進路を決定する判断力を国民に身に付けさせるのが教育の役割なのである。
学校で教えられる価値観は、世の中についての特定の見方を強化する。学校は価値観を教える場であると言う共通の前提があるが、「子供たちに価値観を教えるのは、親や宗教団体であって、学校が手を出すべきではない」あるいは「子供たちは外部の影響にさらされずに、自分で自分の価値観を見つけるべきだ」と考える人も多い。しかし、学校教育が特定の価値観や世界観と無縁でいられると言うのは、あまりに単純な見方ではないか。幼少期に必要な価値観を身に付けさせるには、国民の価値観を同じくする必要もあるのだ。
民主主義が成功するか、権威的な指導者に乗っ取られるか、世界の国を見ると、この分岐点は教育の良否によって決定されていることが分かる。現在の日本のように、価値観が教えられず、処世術のみの教育になると、政治に関する関心も低下し、民主主義を守ることも難しくなるだろう。
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