仏教は、すべての宗教の中でユニークだ。なぜなら、神と魂を否認している「珍しい宗教」だからである。
生物が進化の法則に沿って生きているとすれば、自己防衛、自己保存は生きるための最も大きな手段である。生きるために、生物はエネルギーを取り込み、それを効率的に生命の維持に使う。そして、周囲の外敵からの防衛に努力し(自己防衛)、生命を次の世代に伝えるために効率的な生殖活動を行う(自己保存)ようになる。このような生物の繁殖能力が非常に高い場合は、それだけで周辺の環境を破壊する。増加した種は、周囲の環境を喰い尽くし、環境を破壊した結果、自身で摂取エネルギー不足に陥って、絶滅するか大幅に数を減らす。そのため、自分が持つエネルギー摂取能力と、周囲の環境との調和は生き残るために重要である。
環境からのエネルギー摂取が不足してくると、時には、周囲の環境との関係をうまく保つため遺伝子変化が促され、突然変異によって「偶然」形質変化が起こる。結果、環境への適合度が上がり、生き残れることもある。あるいは、稀なケースではあるが、脳の発達により周囲の環境との調和を取る事が出来る場合もあった。後者は、なぜこうなったのかと推論する力である。この戦略が成功したのは、言うまでもなく脳が最も発達した人間だ。
人間が持っている論理的思考は、環境からエネルギーを取り入れ、外敵から自分の身を守り、生殖によって種を増やすこと、つまり、自己防衛、自己保存に際して効果的に発揮された。しかし、人間が必死で考えてもどうにもならない場合もある。防ぐことの出来ない、自然の猛威や、自身の死という現実だ。自然の脅威を説明し、納得するための方法として、子供が親に頼るように、人間は自らの保護、安全、安心の拠り所としての「神」をつくった。また、逃れることが出来ない自身の死に対しては、永遠に生きるため不死の「魂」をつくった。人間は、無知・弱さ・恐怖・欲望故に、自らを慰めるためにこの2つ(神と魂)を必要とした。そして、熱狂的にしがみつく。これらが宗教の元になったのである。
この点で、仏教は宗教の中で極めて特異的な地位を占めている。ワールポア・ラーフラ著『ブッダが説いたこと』によると、ブッダは、自分は人間以上の存在であると「主張しなかった」唯一の開祖である。ブッダは、神や魂という考えを否定した。魂、自己、アートマン(※1)の存在を否定する点で、仏教は人類の思想史でもユニークだ。彼は、自分が理解して到達したものは、すべて神でなく、「人間」の努力と知性によるものであると主張した。ブッダは弟子たちに、自らが自らのよりどころとなり、決して他人を頼らず、他人に助けを求めないように諭した。彼は、人間は努力と知性によってあらゆる束縛から自らを自由にすることが出来るのだから、誰であれ自分を啓発し自分を解放するようにと、教え、励まし、刺激した。まるで現代の優れたリーダーのようだ。
ブッダは他の宗教に対しては次のように述べている。人間は好きな考えを信じる権利がある。しかし、自ら信じていること「のみ」が真実で、他は偽りであると主張することは許されない。他の宗教も敬わなくてはならない。他の宗教を敬うことによって自らを成長させることが出来る、と。
また、自己防衛、自己保存の元となるこだわりからの解放は、人が自ら真理を実現することによって得られるものであり、神や外的な力への従順な善い行いに対する報いとして与えられるものではない。すべての悪の根源は無知であり誤解である。それゆえ、本当に進歩するためには疑問を無くすことが必要であるとも訴えた。そして、ブッダは弟子たちに絶えず疑問を無くすように諭した。「弟子たちよ。そなたたちは、もしかしたら師への敬意のために質問しないのかもしれない。それは良くないことだ。友人に問いかけるように質問するがいい」と。
まるで質問しない現代日本のサラリーマンに向かって考えを説いているようだ。現代は科学的考えが一般的となった。宗教の拠り所となる「神や魂」の考えは、科学的な説明が困難になっている。また、宗教にとって必須とされる奇跡も、起こることを信じない人が多くなっている。しかし、自然の脅威や死への恐怖は、依然として人間の最も大きな問題だ。科学万能で、神や魂を信じることが困難になっている時代において、ブッダの考えはひとつの解決方法となるだろう。
※1 アートマン:インドのヴェーダ宗教で使われる用語で、意識の最も深い内側にある個の根源を意味する。真我とも訳される。
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