親ガチャという言葉がある。生まれもった容姿や能力、家庭環境によって人生が大きく左右され、「生まれてくる子供は親を選べない」ことを指している。この内容には2つの要素がある。ひとつは生まれつきの能力、容姿、あとひとつは家庭環境だ。前者は遺伝的要素が強く、後者は生まれた後の環境だ。人生に影響を及ぼすのは、遺伝か環境のどちらが重要かという問題は、昔から論争の的であった。しかし、一卵性双生児の研究でその答えがわかる。一卵性双生児は二卵性双生児と違い、遺伝子が双子の間で全く同じである(二卵性は普通の兄弟と同じ)。従って、一卵性双生児で生まれた早期から別々の家庭で育った子と、同じ家庭で育った子とを比較すると、遺伝の影響がどの程度かがわかる。多くの研究が現在までに行われているが、大人になった後の能力や性格の違いは、遺伝的素質が50%、環境的要因が50%を占めるという結果が出ている。
現代はメリトクラシー、つまり、能力社会であると言われる。メリトクラシーの社会では、能力が高ければ、良い地位に就くことが当然であり、それに伴って高収入を得ることも普通であると考えられている(この事自体も疑問がある)。しかし、人々はメリトクラシーの社会を全面的に肯定しているわけではなく、貧しい環境、両親の離婚、愛されていないことなどは、不利な生まれ育ちと考え、補償と改善を求める。その為に政府は、貧しい家庭への支援、家庭内暴力の監視、周辺環境の治安維持などを行っている。生育環境は子供の責任ではなく、改善しなければならないと言うわけだ。また、大学への縁故入学、寄付金による特別入学枠、あるいは、大学に入学するための塾や家庭教師へ金をつぎ込むことなどに対しては、概ね世論は批判的である。ただ、再度強調するが、メリトクラシーそのものに対しては、批判は少なく、むしろ肯定的である。むしろ批判されるのは、メリトクラシーに反する行為や習慣、つまり、年功序列型の昇進制度、画一的な横並び給与、努力した人が報われない給与制度などである。
それでは、能力を左右するもう一つの要素である、遺伝素質はどのように社会では扱われているのか?金持ち階級と庶民階級がどの程度流動化しているかを示す指標は、アメリカでも、その他多くの国でも下がっている。つまり、金持ちは金持ちのまま、貧乏人は次の世代でも貧乏人のままで留まる事が多い。格差の固定化である。この理由を多くの分析では、幼少期に教育にかける資金の差と見ている。確かに、公立の小中高の勉強だけでは一流大学に入ることは難しいかもしれないが、それ以上に親からの遺伝子の継承によっての認知能力の差異が、一流大学への入学差に大きな影響を与えている可能性についての言及は少ない。能力の差異に、遺伝形質の違いを持ち込むことはタブーとなっているかのようだ。メリトクラシー社会で上層階級に属するのは、親も遺伝的認知能力が高い可能性が大きく、遺伝的にはその子の遺伝的認知能力は高いだろう。そうすると、子供の生育環境を整えても、50%を占める生まれもった能力差は超えられないことになる。これは、親ガチャ、つまり、「運の違い」になるのだ。遺伝的要素のために、生育環境を改善することによって、全面的には収入や資産の差を埋めることが出来ないとすれば、メリトクラシーの社会は、一般に考えられている様子と違い、生まれてからの「運の違い」による社会であるとも位置づけられる。
メリトクラシーに変わる社会基準を作れるかと問われると、難しいと言わざるを得ない。専制国家ではなく、民主国家を続けるのであれば、メリトクラシー社会の選択は、致し方ないのだろう。従って、最小限、次のことは人々が認識すべきことである。メリトクラシーの社会で成功したとしても、それは生まれながらの「運による」事が多く、自分の努力によるものと勘違いしないこと、謙虚に物事を見る必要があることだ。社会的には以上のことを前提として、地位の差は仕方ないとしても、それに伴う給与の差は最小限に留める必要がある。
社会は、ジョン・ロールズが「格差原理」で述べているように、「社会が目指すのは、最も不利な立場におかれた人の利益の最大化である」ことを認識すべきだ。ロールズによると「原初状態」つまり、社会に出るときに自分の能力が全くわからないという仮想的状況では、自由・平等な社会を参加者全員一致で合意出来るはずであり、このような正義原理が導き出され、正当化される。これは、格差を最小限にしようとする気持ちである。
遺伝的認知能力の遺伝的、環境的差異は、メリトクラシーの社会が避けられないとすれば、出来るだけ教育によって補正すべきである。その為には、現在の「正常者の教育」から、支援学級、支援学校、あるいはフリースクールなどすべてを包括する教育が求められる。
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