終末期を考える―医者が答えられない二つの質問

終末期に限らず、医療を受けている皆さんの多くは、恐らく初めての事ばかりといったことで、疑問を持ったり納得のいかないこともあるのではないでしょうか。これは、何も医療に限ったことではなく、専門性の高い分野の場合には、初めてその分野に関係する場合には同じことがいえるのではないでしょうか。今回は、そんなことから、なんでもわかっているような顔をして仕事をしている医者たちが、現場で答えに窮する質問について書いてみたいと思います。

その一つは、終末期に限らず、「この病気の原因はなんですか」という質問です。医学も自然科学の一分野であり、これまでの研究などの蓄積で多くの事が解明され診療に役立てられています。医療機器の開発とも相まって、病気の診断や治療も格段に進歩してきています。外科の分野で言えば新しい機器の導入で、「ロボット」手術などといった、少し前までは夢物語のようなことも実際に行われるようになってきていますし、求められる効果がある薬を理論的な検討から実際に作り出すこともでき始めています。

そんな時代になってきていますので、一般の方々は「現在の医学は何もかも解明し、すべてのことが明らかになっている」と思っておられるのではないでしょうか。そこには、大いなる「期待」も含まれていると思うのですが、答えは「NO」なのです。確かに、中世の頃の医学よりは進んでいると言っても良いのでしょうが、(何を以て全体というのかは「神のみぞ知る」ということではありますが)「医学」全体の数%しかわかっていないのではないかと、長年医療に携わってきて思い知らされています。

したがって、最初の質問には「判っていることもあれば、判らないこともある」と答えるしかないことになります。先にも述べましたが、実際には判らないことの方が多いわけで、「貴方の病気の原因を全て説明することはできません」とお答えするしかないということになります。

こう書いてしまうと、「医療不信」、さらには「医師不信」となる方もあるかもしれません。もっとも私自身が藪医者なので仕方ないとご容赦願わねばなりませんが、それでもなお、大学の教授であれ、ノーベル賞をもらった医者であれ、医学全体から見れば、結局は五十歩百歩といったところではないでしょうか。例えば、人を含めた生物の「死」に関しては、いろいろな研究や書物がありはしますが、全くわかっていないというしかないと思っています。なにしろ、どんなに偉く賢い人であっても、今生きている限りにおいて、「死」は未経験な事柄であり、なおかつ、経験者である死んだ人からの報告も未だないのが実際なのですから。

そして、医者が答えられない二つ目の質問は、最期を迎えようとしている人を前にして発せられる「あとどれくらいもちますか」という質問です。この質問を判りやすくいえば、「あとどれくらいで息を引き取る(死亡する)のでしょうか」ということになりますが、恐らく、ご家族と同様に治療をする側の医者もまた同じ想いで居るのだということを申し上げたいと思っています。これもまた、先の質問の例として挙げた「死」が判っていないのですから、その判っていない「死」がいつ訪れるのかという問題には、個々の患者さんの年齢や死に至る原因も千差万別でしょうから、なおさら判らないということになってきます。

医者であると同時に、家族の立場も経験した人間として言わせてもらえば、「最愛の人が亡くなることになる」という最も避けたい事柄を目の前にしての質問であり、(むしろ直接的な関係者であればなおさらに)「そうなった時、どのように対処したらよいのか」という問題を背負うことにもなるからではないでしょうか。私の経験でも、喪主となる立場になれば、「悲しんでばかりはいられない」というのが本音ではありました。

また、純粋に医者の側からいえば、「ここまで治療をしてきたが、残念ながら効果なく、最期の時が近づいてきた」とできるだけ冷静に判断をしなければなりませんし、一方で「ご家族にも、それなりの心の準備をしていただかねばならない」との想いも湧いてくるわけで、「そのためにも残された時間をできるだけ正確にお伝えしたい」という気持ちでいるのだと言わなければなりません(少なくとも、私はそう想いながら(時に仕事と割り切れないままに)仕事をしています)。

しかし、繰り返しますが、現在の進歩したといわれている医学をもってしても、それを正確に言い当てることは不可能と言わざるを得ないのです。

時に、癌の末期などで「もって、あと3か月くらいかな」などというお医者様がおられますが、その医者が持つ経験の中央値(多くのデータを集計して分析した時のおおよそ真ん中にくる数字)を言っているにすぎず(時にとんでもない無責任な数字を言って、最期の最後を(誠に無責任に)放り投げてくる医者もいて困るのですが)、極端なことを言えば「早ければ、今こうしているうちに亡くなる場合もあれば、逆に1年くらいもつことだってある」という乱暴な話になってしまいます。

先日、雑談の中で話題がこのことに及んだ時、ある先生が「私は医者なので、あとどれくらいもつかはわかりません。神様か占い師に聞いてくださいと答えることにしています」と仰っていましたが、不謹慎の誹りを敢えて受けるとしても、それが正直な答えということになります。もっとも、この答えを言うには、発する側がある程度の経験を持つ医者であることと、聞く側のご家族との関係が良好に構築されていることが重要で、若いお医者様であったり、治療を始めて間がなくご家族との関係性が確立できていない場合に発せられると、要らざる誤解を招いたり、不信感を持たれることになりそうではあります。

私自身は、これまでに何度も同じ質問に答えてきましたが、先に書いたように「今こうしてお話ししている間に息を引き取られることもあれば、数か月頑張ってくれることもあります」と乱暴なお答えをすることにしていますが、やはり最後には「神様が決めて下さっているこの方の寿命と受け入れてあげてください」と「神様」にご登場願うことにしています。

さて、皆さんは、ご自分やご家族がこうした質問をする場面になった時(先ずは、そんな場面になりたくはないでしょうが)、なんと言ってもらいたいでしょうか。それと、お願いが一つ。この話を読んだからと言って、むやみにこの質問をしないでいただきたいということです。よろしくお願い申し上げます。

医療法人 寺田病院 院長板野 聡
1979年大阪医科大学を卒業後、同年4月に岡山大学第一外科に入局。
専門は、消化器外科、消化器内視鏡。
現在の寺田病院には、1987年から勤務し、2007年から現職に。
著書に、「星になった少女」(文芸社)、「伊達の警察医日記」(文芸社)、「貴方の最期、看取ります」(電子書籍/POD 22世紀アート)、「医局で一休み 上・下巻」(電子書籍/POD 22世紀アート)。
資格は、日本外科学会指導医、日本消化器外科学会指導医、がん治療認定医、三重県警察医、ほか。
1979年大阪医科大学を卒業後、同年4月に岡山大学第一外科に入局。
専門は、消化器外科、消化器内視鏡。
現在の寺田病院には、1987年から勤務し、2007年から現職に。
著書に、「星になった少女」(文芸社)、「伊達の警察医日記」(文芸社)、「貴方の最期、看取ります」(電子書籍/POD 22世紀アート)、「医局で一休み 上・下巻」(電子書籍/POD 22世紀アート)。
資格は、日本外科学会指導医、日本消化器外科学会指導医、がん治療認定医、三重県警察医、ほか。
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