私の夢――岡山外語学院2023年度日本語スピーチ大会優勝 バングラデシュ出身 カーン エムディ マムンさん

皆さん、小学生の頃、先生に『あなたの夢は何ですか』という質問をされたことはありませんか。その時の答えを今思い出せますか。私も小学生の時、先生にこの質問をされました。私は、「すみません、先生、私は昨日の夜、全然夢を見ませんでしたから、わかりません。」と答えました。その時は、本当に、夢の意味を知らなかったので、 こんな返事をしました。すると、先生は 「夢とは、将来何をしたいか、何になりたいか、それを決めることだ」と愛情を込めて教えてくれました。その先生の愛情に感動し、大きくなったら私も教師になりたいと思いました。実際に、国の専門学校で勉強しているときに、アルバイトとして教師の仕事をしてみましたが、とても難しく、私はあきらめてしまいました。

また、子供のころ、ある日、空を飛んでいる飛行機を見てびっくりした私は、母に「あれは何?」と尋ねました。母は、「あれは飛行機という名前の乗り物で、人々はあれに乗って国から国へ旅行することができるよ。飛行機を操縦するパイロットがいて、空が飛べるんだよ。」と教えてくれました。それを聞いて、私もパイロットになりたいと思いました。その後、飛行機事故でパイロットと乗客全員が死亡したニュースを見て、私のパイロットになる夢は飛びました。

高校生の頃は、詩や小説を読むのが大好きで、将来は優れた作家になって、文章を通じて人々の心に影響を与え、人々を幸せにし、作家として人々の心の中で生きていき、より良い社会の構築に役立ちたいと考えるようになりました。その一方で、子供の頃から技術への関心もあったので、電気の専門学校へ進み、卒業しました。将来、技術者として働きながら、何か新しいものを発明して世界を変えることが夢になりました。

専門学校での勉強を終えて仕事を探しているとき、バングラデシュのような発展途上国では、十分な雇用がないため、教育を受けていても、新人で経験の浅い若者が希望の仕事を見つけるのは、非常に困難だということを身をもって経験しました。多くの人が長期にわたり失業状態にあるという問題は、世界の他の発展途上国や後進国にも存在することを知りました。このような状況では、新しい環境で自(みずか)らいい仕事を生み出す以外に方法はないと気づきました。そこで、私は将来起業家になり、生産性の高い会社を作って、失業問題をなくしていきたいと思いました。それだけではなく、バングラデシュや日本を含む世界経済に貢献しながら、経験者も新人も一緒に働ける会社を作りたいです。私一人で失業問題を解決することはできないかもしれませんが、たとえ小さくても失業問題の解決に参加することはできます。日本に来ることは私の夢の実現への一歩です。日本で高等教育を受けて、日本の会社に就職して、多くの経験を積んで、バングラデシュで私の夢の会社を作りたいです。

夢を実現するためには、意欲、自信、勇気、この3つのことが必要だと思っています。田舎で父親の農業を手伝っていた息子が、夢をかなえるために日本に来ました。夢を持ち、自信を持って誠実に取り組めば、いつか夢は叶うと信じています。みなさん、一緒に日本で夢をかなえましょう。

ご清聴ありがとうございました。

YouTube動画は以下のURLから視聴できます。
https://www.youtube.com/watch?v=laDMdR_SR9o

■日本(岡山)に来て良かったと思ったことは? そうでなかったことは?

入学して5日目、パスポートが入った財布を落としてしまい、慌てて警察に届けたが、ほどなく拾い主が現れ、届けてくれて財布は自分のところに戻ってきた。まさに安心・安全な岡山を実感した。また現在通っているアルバイト先のお弁当工場では、同じバングラデシュの数名に加えて、ベトナム人・インドネシア人がいて一緒に働いている。上司はとても外国人に親切で、丁寧に教えてくれて、ありがたいと思う。
大阪にいる友人の時給に比べて、岡山は安い。事前にこの情報は得ていたが、その他のメリットを考えれば、さほど問題とはならない。

■将来の夢は?

来春には、関東のIT系専門学校に進学することが決まった。スピーチでも触れているように、バングラデシュのような発展途上国では雇用先が不足しており、自身も「失業」というつらい体験もした。今後日本で高等教育を受けて、電気関係の仕事を数多く体験し、将来は母国に戻って「意欲・自信・勇気」を信条として「夢の会社」を起業したいと熱く語ってくれた。

岡山外語学院留学生カーン エムディ マムン
1997年11月20日生まれ。バングラデシュの首都から約200km離れた地方都市Pabnaの出身。
家業は電気店を営んでおり、小さいころから、ソニーやキャノンなどの製品を生み出した日本の技術レベルの高さを知っていて、日本へのあこがれも強かった。家ではほかにも農業(野菜・コメ)と牧場も経営している。
2022年10月に岡山外語学院に入学、約1年間岡山で日本語の勉強をしている。
バングラデシュで専門学校の電気技術コースに4年間通い、卒業後はダッカにある変圧器などを製造する電機メーカーで3年間働いた。ところがバングラデシュでも新型コロナが流行し、会社の経営状況が悪化、失業することとなった。この機会に留学し高等教育を受けて外国で仕事をしたいと一念発起。留学先は欧米なども視野に入れて検討したが、電気関係の仕事に就く夢を持ち、技術レベルの高い日本を選んだ。そして先輩のすすめもあり、地震のリスクが低く治安の良い岡山を選び、日本語教育のレベルが高い「岡山外語学院」を目指して来岡した。日本語はバングラデシュで4か月勉強した後、来日。留学して1年足らずの今年9月、学院内で行われたスピーチ大会で「私の夢」というテーマで堂々とスピーチし、見事優勝を果たした。
1997年11月20日生まれ。バングラデシュの首都から約200km離れた地方都市Pabnaの出身。
家業は電気店を営んでおり、小さいころから、ソニーやキャノンなどの製品を生み出した日本の技術レベルの高さを知っていて、日本へのあこがれも強かった。家ではほかにも農業(野菜・コメ)と牧場も経営している。
2022年10月に岡山外語学院に入学、約1年間岡山で日本語の勉強をしている。
バングラデシュで専門学校の電気技術コースに4年間通い、卒業後はダッカにある変圧器などを製造する電機メーカーで3年間働いた。ところがバングラデシュでも新型コロナが流行し、会社の経営状況が悪化、失業することとなった。この機会に留学し高等教育を受けて外国で仕事をしたいと一念発起。留学先は欧米なども視野に入れて検討したが、電気関係の仕事に就く夢を持ち、技術レベルの高い日本を選んだ。そして先輩のすすめもあり、地震のリスクが低く治安の良い岡山を選び、日本語教育のレベルが高い「岡山外語学院」を目指して来岡した。日本語はバングラデシュで4か月勉強した後、来日。留学して1年足らずの今年9月、学院内で行われたスピーチ大会で「私の夢」というテーマで堂々とスピーチし、見事優勝を果たした。
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