生活のレベルが上がっても、「もっともっと」を求めることは、快楽を求める人間の自然に起こる感情によるものだ。なぜなら、人間の行動の大部分は、理性でなく情動に左右されているからである。多くの人が考えるほど、理性を伴う意思の力は強くはない。絶え間なく湧き上がる情動(欲求)に身をまかせて生活しているのが実情である。フロイトの分析の様に、その情動(欲求)は無意識的なものも多い。一方で、超自我、つまり、社会的、慣習的な規制も、意識するかどうかにかかわらず行動に反映される。この様に、自我(意識的な行動)でなく、無意識の領域に入る、限りない情動(欲求)と、超自我的な社会的規範を感じ、行動を起こしているのである。人間の自由意志は一般に想定されるよりもはるかに少ない。
一方で人間が生きていくためには、一定以上の経済的生活水準と安全の確保は必要だ。その意味で、先進国は、一定水準以下の人たちに対する最大の問題として、格差の是正と、安全の確保に注力する必要がある。しかし、経済的生活水準と安全の確保が出来た上でも、漫然と生活することは、限りない欲求に身を任せていることになる。
そこで、いったん欲求から身を引き、超越的に考える必要があるのだ。超越性は、最初から人間に備わったものではなく、限りない欲求を経験し、その限界と無意味さを理解して初めて感じるものである。人類の発生以降1000億以上の人の、生まれて死ぬ過程を客観的に見ること、自分自身は感情とは別の次元に存在することを考える。そうすると、期待が満たされるかどうか、快い感情を味わえるかどうかよりも、それらの感情から超越し、感情の外に自分を置くことが必要であることがわかる。欲にとらわれない生き方を行い、他者を非難せず、すべて自分の問題として取り扱うべきだろう。
ブッダは、苦しみは、不運や社会的不正義、神のきまぐれによって生じるものではなく、本人の心の振る舞い様式から生じると言っている。欲求が強ければ、それに答えようとして、心はいつも満足することを知らない。快いものを経験したとしても満足しない。真の幸福は、心が渇愛することなく、物事をありのままに受け入れる方法を見つけることによって、得られるといわれる。自分の心身を念入りに観察し自分の感情が絶え間なく湧き上がっては消えていくことを観察し、そうした感情を追い求めることがいかに無意味かを悟る。感情の追及をやめると、心は緊張から解け、澄み渡り満足する。真の幸福とは、自分の感情からも超越する事である。「瞑想」は、この様な状態に入る手段の一つであるが、何よりも、「瞑想」を行わなくても、「もっともっと」を渇望する感情に従った行動が、いくら求めてもきりがないことを悟るのは、長年の人生経験による場合が多いのである。その点で、高齢者は、若者よりも幸福の状態に至る必要があるし、その可能性も高いと言える。
この様な状態に立つことが出来ないで、不幸を感じるのは、依存心による場合が多い。不運や困難が、自分から出ているのでなく、天から降ってくるか、あるいは、他人のせいであると考えることが依存心である。つねに独立した自己を見ること。その為には、独立した生活、孤立した心、超越心が必要である。孤立したさみしさを招かないようにするには、若い時からの独立した生き方が必要だ。
ブッダは、人間には自己防衛と自己保存という心理的に根深い考えがあるという。自己防衛の考えは、子供が親に頼るように、人間は自らの保護、安全、安心の拠り所として神を作った。自己保存に関して人間は永遠に生きる不死の魂、あるいは「アートマン(※)」という考えを作った。人間はこの2つを必要とする。そしてそれに深く熱狂的にしがみつく。こうした考えは、依存心を増強し、人間はそれを批判する教えを聞くことを願わないし、理解することも欲しないようになる。虚しいことである。
(※)アートマン;ヴェーダの宗教(特にヒンズー教など)で使われる用語で、意識の最も深い内側にある個の根源を意味する。真我とも訳される。
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