自由の代償(愚行権について)

最近、94歳の母が転倒して動けなくなった。動けないと言っても骨折や脱臼ではなく、頸椎を捻挫して神経痛(神経根症状)が出たため。前々から「転ぶと命取りになる」と繰り返してきたが、毎朝の道路清掃が止められない。塵取りと箒を持って歩くだけといっても、足に絡めば転ぶのは避けられない。かなり強い口調で注意しても馬耳東風で、亡くなる前の父が運転免許を返納しなかったのと同じ。朝の掃除は私がやるし、スーパーまで買い物に行くにも運転手を務めた。結局のところ自分の自由を証明したい、あるいは顕示という言葉が適当かもしれないが、周囲にとっては不都合この上ない。「危ないから止めなさい」というのは老婆心かもしれないが、高齢者の好き勝手を放置して良いという理屈も成り立たない。頸椎捻挫ではなく頚髄損傷なら四肢麻痺になってしまうから、取り返しのつかない話。

医療小説家の久坂部羊は父親の最期を看取って「人間の死に方」を書いた。父親も関西では麻酔科医の草分けだったらしく、久坂部羊も外科医だったから医学知識に欠ける二人ではない。ただ重度の糖尿病で足趾が壊死してもインシュリンを増量しただけで、内服も食餌療法も行わなかった。そのうち壊死も収まったから、好物の甘い物を鱈腹食べるといった有様。父親の頑固さには久坂部羊も手を焼いたらしいが、最期まで父の自己治療を許した。現代医療の粋を尽くしたところで、人間の運命を変えることはできないというのが、父の本音だったと思われる。「死ぬべき時は死ぬが良い」という格言の由来は知らないが、昔気質の医師は自らの死を見つめ続けてきた。患者の死を見届ける以上、自分自身の死について瞑目を続けることはできない。筆者も小児悪性腫瘍の患者を長く診療してきたから、現代医療の限界といったものも久坂部羊の父親の考えも理解できる。「死ぬ時が来れば死ぬ」という最古からの覚悟で、同業の医師が兎や角言うべき事柄でもあるまい。たとえば筆者も一時的にインシュリンを40単位ほど使っていたが、専門医の言うことを守らずに量を減らして中止した。さらに内服薬も勝手に種類を減らし、極端な糖質制限だけに移行した。そろそろ10年になったが血糖値もA1cも安定しているので、会食などに加わる時だけ内服薬を呑む。まず「悪い患者」の典型で、「将来は合併症で死ぬ」と脅される身の上。しかし自己決定論という流行の思想に拠れば、合併症の出現確率も承知した上で、食事制限だけして何が悪い。そうした反論もできるだろう。

どうやら自己決定権という言葉の究極は、「医者など要らない。自分で治療する」という次第に成りかねない。実際に「こうした方が良い」とか「この薬は良くない」といったアドバイスをすると、怒って帰ってしまう患者も多い。とくに目立つのは合成麻薬の類を鎮痛剤として処方できるようになってからで、従来の消炎鎮痛剤は効かないとか副作用があると言って、麻薬を処方させようとする患者。もちろん経験豊富な整形外科医は、「ここでは出せません、他医で処方して貰いなさい」と言って突き返すが、他科の先生は意外と気軽に中枢神経系の薬を使う。おそらく患者が希望するから仕方ないと言う理屈だが、欧米では麻薬中毒が急増する原因となった。日本では麻薬の売買が厳しく禁止されているから、医療用大麻の解禁に向けた動きを加速するだろう。患者としては安い価格で麻薬を手に入れたいから、医療用大麻の市販を解禁しろと主張するに違いない。

大麻や麻薬あるいは向精神薬の処方が厳しく制限されてきたのは、政府が公衆衛生学的に危険と考えたからで、患者が望んだことではない。実際に戦後の混乱期には覚せい剤や大麻が自由に取引され、多くの中毒患者を出した。言い換えれば政府は「家父長的な視点」で麻薬類の使用を禁止した訳で、現在のように患者が望むなら何でも良いという論理(自己決定権)は成り立たない。タバコの喫煙について交わされた愚行権と同じで、アルコールを飲み過ぎて中毒する場合も昔から知られている。愚行権を行使して良いという国や地域も多いが、近代国家は国民の福祉を目指すという目標を掲げて愚行権を禁止してきた。風船オジさんが離陸しようとした際に警察が必死に止めたのは、愚行権の行使を許さないという立場からだが、タバコやアルコールの製造販売を禁止してはいない。国やマスコミも何が愚行で何が自己決定権なのかを決めかねており、最終的な判断基準などないと気づいているようだ。

そうなると患者に警告するというのも自己決定権の侵害と訴えられかねないが、医師という職業は昔から家父長主義と決まっており、ヒポクラテスは「古い医術について」で患者の要求を無視しても構わないと断言した。伝承されてきた医術を施すのが医師の責務で、麻薬を欲しがるような患者の言いなりになってはならない。この格言はマイケル・ジャクソンの死亡事件でも確認され、プロポホールという麻薬を過剰に与えた医師は責任を問われた。どうやら母親には「転ぶと命取りだよ」と言い続けなければならないが、やはり気が重い役目なのは言うまでもない。鎮痛剤として麻薬を用いない程度のことは簡単だが、「自由にさせろ」という母親の命令を無視するには、施設に閉じ込める必要が出て来る。困った。

元整形外科医/農園主散木洞人
国立大学医学部卒(昭和52年)、ハーバード大学医学部研究員、国立大学医学部講師、元整形外科医。東北北海道文学賞、北海道文学賞(佳作)、歴史浪漫文学大賞受賞(安本嘆名義)。阪神淡路大震災より縄文農園園主、「老犬吠虚」ブログ主催。
国立大学医学部卒(昭和52年)、ハーバード大学医学部研究員、国立大学医学部講師、元整形外科医。東北北海道文学賞、北海道文学賞(佳作)、歴史浪漫文学大賞受賞(安本嘆名義)。阪神淡路大震災より縄文農園園主、「老犬吠虚」ブログ主催。
  • 社会福祉法人敬友会 理事長、医学博士 橋本 俊明の記事一覧
  • ゲストライターの記事一覧
  • インタビューの記事一覧

Recently Popular最近よく読まれている記事

もっと記事を見る

Writer ライター