現在の日本において、障害者の性の権利はどのように守られ、支援されているのだろう?
国連・障害者権利条約の第23条「家庭及び家族の尊重」、並びに第25条「健康」では、障害者の性に関する権利とその保障について、障害者が家族を形成する権利や、子供の数や出産の間隔を自由に責任をもって決められる権利、生殖及び家族計画について年齢に適した情報を得たり教育を受けられる権利、障害者(児)が生殖能力を保持すること、そしてこれらの権利が守られる為に必要な手段が提供されること、また、障害者への保健サービス等の提供においては、障害に基づく差別的な拒否を防止することが謳われている。
しかし、日本においては旧優生保護法(1948~1996)のもとで行われていた障害者の強制不妊手術等、障害者の性の権利とその保障についてはまだまだ大きな課題があるのが現状である。
2022年12月、北海道の社会福祉法人あすなろ福祉会(以下、あすなろ福祉会)グループホームにおいて、結婚や同棲を希望する知的障害者が不妊手術や処置を受けていたという事が明るみになった。このあすなろ福祉会の件は、旧優生保護法のもとで行われていた障害者の強制不妊手術に対する国家賠償の裁判とも重なり、現代における優生保護法の再興ではないかと言われ社会の注目を集めることとなった。あすなろ福祉会で発覚した不妊手術や処置を受け、北海道は2023年6月、意思決定支援への配慮が不十分な事と一部の相談記録がなかった事からあすなろ福祉会に改善指導を行った。また、道内のグループホーム入所者の結婚などに関する実態調査も行ったが、その調査の中では結婚や同居への相談や対応状況の聞き取りは行われても、不妊処置についてはプライバシーの保護やセンシティブさを理由に聞かれることはなく、問題の実態解明には至っていない。
このあすなろ福祉会の問題について各種団体等が声明を出す中、筆者は所属している「障害のある人におけるセクシュアリティに関する研究会」より、知的障害者のセクシュアリティや子育て支援等をテーマに研究を行っている研究者達と共に声明を出した。私達はこのあすなろ福祉会の問題には2つの側面があると考えている。
1.もしも報道にあるように、施設側が結婚の代償としての不妊手術、処置を選ばせていたのであれば、それは本人の自由意志とはいえない。また、本人に現在妊娠・出産の希望がなかったとしても、その意思がいずれ変わるかもしれない可能性を考えれば、取返しのつかないような方法での不妊手術、処置を行ったという点においては、障害者権利条約に抵触する権利侵害である。
2.知的障害者が結婚したりパートナーと一緒に暮らすことの出来る施設がまだ少ないことを考えた場合、あすなろ福祉会は、施設として出来る範囲で知的障害者本人の思いを汲んでの支援をしていたのではないだろうか。
旧優生保護法の時代から現在に至るまで、日本の社会は障害がある人にも恋愛、結婚、出産、子育ての意思があることを想定せず、彼らのニーズを包括した法制度等を作っていない。そのような中で、障害者の性の支援は支援者や組織の価値観に頼るしかない現状があることもまた事実なのである。私達の声明の詳細は最後に紹介するリンクからアクセス可能だが、私達はこの問題には主に次の6つの課題があると考えている。
課題1)恋愛を含めた豊かな人間関係を形成する機会、その維持に関する支援の欠如
子供を持つ、持たない以前に、知的障害者は男女交際すら禁止あるいは制限させられているという背景がある。門下が2021年に行った知的障害特別支援学校高等部における性教育の実施状況や男女交際のルールの存在についての実態調査では、約7割が男女交際を禁止または制限していることが明らかになった。
課題2)障害の有無に関わらず子育てを支援する制度の少なさ
子供を持ったとしても、今度は子育てに使える資源が限られていたり、アクセスの問題が存在する。延原、名川が2021年に行った知的障害のある人のカップル生活・子育てに関する実態並びに知的障害のある母親のソーシャル・ネットワークの調査の中では、知的障害のある母親に、子育てに必要な支援を利用する上で自分から出向いたり、申請を必要とするような子育て支援サービスの利用は殆ど見られなかった。
課題3)避妊方法の選択肢の少なさ
日本の主要な避妊方法はコンドームが75%であるのに対し、欧米諸国ではピルが31%、コンドームが25%となり、その他にも注射やインプラントなど、様々な選択肢がある(United Nations 2019)。
課題4)包括的性教育の不十分さ
十分な性教育を学校で学ぶ機会がない。特別支援学校高等部理科の学習指導要領には「人の受精に至る過程は取り扱わないこと」という「歯止め規定」が存在する。また、学校卒業後も、およそ75%の就労支援事業では性教育を行っていないようだ(河東田2022)。
課題5)支援者が“障害のある人のセクシュアリティ”に関して学習する機会がない
支援者もまた障害者の性に関して学ぶ機会がない。支援者を対象とした調査において障害のある人のセクシュアリティに関する研修・講義の受講経験を聞いたところ、 8〜9割の支援者に受講経験はなく(Sakairi,2020;延原・武子・門下・酒井・名川,2022)、あったとしても虐待防止という文脈(Sakairi,2020)であった。
課題6)国による調査研究の乏しさ
障害者の恋愛や性などについての国の調査は行われておらず、とりわけ施設入所や病院での生活が必要となるような障害者の性の権利がどのように守られているのかについてはまだまだ不鮮明な所が多く、更なる調査が必要である。
私たち「障害のある人におけるセクシュアリティに関する研究会」一同は、知的障害のある人の恋愛・結婚・出産・子育てに関する人権も擁護される真のインクルーシブ社会を目指して声明を発表します。
https://sites.google.com/view/disability-sexuality/#h.3f4tphhd9pn8
引用文献
門下祐子(2022)知的障害特別支援学校高等部における性教育の実施状況と男女交際ルールの存在―全国実態調査にもとづいて―,福祉社会開発研究,14,5-17.
河東田博(2022)知的障害のある人の性をめぐる社会的実態と性教育のあり方に関する研究 2021年度報告書.
延原稚枝・名川勝(2021)知的障害のある人のカップル生活・子育てに関する実態並びに知的障害のある母親のソーシャル・ネットワーク-指定特定相談支援事業所への質問紙による調査.障害科学研究,45,103-116.
延原稚枝・門下祐子・武子愛・酒井理香・名川勝(2022)知的障害者の性的表現・行動に対する支援者の意識調査 -知的障害者の出産・育児に焦点をあてて-.日本社会福祉学会.日本社会福祉学会第70回秋季大会.2022年10月16日発表.
学習指導要領LOD https://jp-cos.github.io/8G6/02a4300000000#gsc.tab=0
Sakairi, Etsuko (2020). Sexuality: the experiences of people with physical disabilities in contemporary Japan : Untold stories and voices silenced in the name of taboo [Doctoral dissertation, The University of Auckland].https://www.researchgate.net/profile/Etsuko-Sakairi (2023年9月15日最終閲覧)
United Nations, Department of Economic and Social Affairs, Population Division. (2019). Contraceptive Use by Method 2019 Data Booklet (ST/ESA/SER.A/435)
https://www.un.org/development/desa/pd/sites/www.un.org.development.desa.pd/files/files/documents/2020/Jan/un_2019_contraceptiveusebymethod_databooklet.pdf
日本経済新聞(2023年6月21日).あすなろ福祉会に改善指導 障害者不妊処置で北海道監査 https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUF212XW0R20C23A6000000/
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