近年、介護が関連する事件がたびたびニュースなどで取り上げられる。内閣府の統計によると2007年から2015年の9年間に介護・看護疲れを動機とした自殺者数は2,515人、いっぽう警察庁の統計では、同じく介護・看護疲れを動機としたもので、2007年から2014年に検挙された殺人は398件、自殺関与は17件、傷害致死は22件だったそうである。
介護・看護「疲れ」ではないが、第二次世界大戦時代の北アフリカを舞台にした「イングリッシュ・ペイシェント」という映画(日本公開は1997年)に、こんな場面がある。終盤、全身に重度の火傷を負った主人公が、ずっと彼の看病をしてきた看護師に無言で「もう逝かせてくれ」と手の動きで示すのだ。看護師はすぐにその意味を察し、主人公の願いに応えるべく、泣きながら次々とバイアルを開封し注射器の準備をする。そして主人公はようやく苦しみから解放され、亡き愛する女性の元へ旅立つのだ。悲しい恋愛物語だが、波のようなサハラ砂漠の砂丘の描写や美しく切ない主題歌のメロディなどが混然一体となって幻想的な雰囲気を醸しだしていて、今でもよく記憶に残っている作品だ。
「イングリッシュ・ペイシェント」の看護師は、これが現代の日本なら「犯罪者」となってしまうのだろう。自分は法律の専門家ではないので推測だが、この場合は恐らく嘱託殺人になるのだろうか。いずれにせよ、それでは看護師があまりにも気の毒だと私は思う。死が唯一の「苦しみからの解放」という状況が――悲しいことだが――現実には存在するのだから。綺麗事ばかり言っていられないことが、この世には沢山ある。
自殺教唆が犯罪なのはわかる。しかし、本人に明確に自死の意思と決意があり、何らかの事情で単独で「決行」できない場合に他者が直接あるいは間接的にその人の死に関わることが何故いけないのだろうか。この、「なぜ?」という点を調べてみても、納得いく答えが見つからない。「自殺幇助」や「嘱託殺人」は、たとえ本人に頼まれたとしても、殺人同様「他者を死に至らしめる行為」であることに変わりはないのだから駄目だ、というのは何か説得力に欠ける。
邦訳されたものの現在は絶版となっている『安楽死の方法 ファイナル・エグジット』(デレック・ハンフリー著/田口俊樹訳、徳間書店、1992年)という本があるが、ファイナル・エグジットとは言うまでもなくFinal Exitだ。出口は封鎖されるべきものではない。また、exitには舞台から退場するという意味もある。私たちは「舞台」には問答無用でただ放り込まれる。退場の仕方やタイミングを自分で決めたい人がいても、自分の足で行くのが難しい人に懇願されたとき杖を与える人がいてもよいのではないか。
ここまでお読みいただいて、あたかも私が「死にたい人は死ねばいい。そうすれば楽になれるのだから」と言っているように思われた方がいるかもしれないが、決してそうではない。死にたくなるほどつらいことがあったら、あるいは長年つらい状況に身を置いていて限界を感じているなら、まずは立ち止まって休息を取るべきだし、少し落ち着いたら誰かに相談したほうがよいし、経済的な困窮なら生活保護の窓口へ行くべきだと思う。ところが、精神的に追い詰められていると、悩みを誰かに打ち明けようという気力すら湧いてこないという話をよく聞く。勿論そのような精神状態になるまで我慢してはいけないのだが、忍耐を美徳とし、周囲に迷惑をかけてはいけないとする(それには良い面もあるが、行き過ぎはいけない)日本社会では、心が壊れるまでひたすら我慢してしまう人は少なくないはずだ。
また、人間は「これを絶対やってはいけない」と頭ごなしに完全否定されると逆にそれに反発したくなる生き物だ。誰かと話していても、意見の相違があったとき「あなたは間違っている」と言われると、もうその人とは話したくなくなってしまう。それと同じで、死にたくなるほど苦しんでいる人に「親からもらった命を粗末にしてはいけない」などと言うのは、「そんなのは聞き飽きた」「自分のつらさを誰もわかってくれない」という思いを増長させるだけだろう。
避けるに越したことはないとはいえ、自死であろうと、止むに止まれずそれを手助けする行為であろうと、そうしたものに社会が「負の烙印」(スティグマ)を押そうとすればするほど、「絶対的に悪いこと」とみなそうとすればするほど、逆に苦しい人をますます追い詰めることになるのではないだろうか、あるいは既に家族が自死している場合は遺された人たちを二重に傷つけることになりはしまいか、と私は危惧している。
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