完全な自由はあり得ないことはわかっている。社会は何らかの取り決めがない限り「万人の万人に対する闘争」(トマス・ホッブス)状態となり、混乱に陥る。ホモ・サピエンスが繁栄したのは、闘争を抑えるために、自身を「自己家畜化」することによって、協調性が高い性格を得て、多数が協力する社会を維持する事が出来たからである(※1)。
しかし、自身を「自己家畜化」して、攻撃性を抑え、協調性を高めた人類も、社会が豊かになり、「生理的欲求」が満たされること、つまり食べ物や安全が脅かされることが少なくなると、なんのために我慢しているのか分からなくなる。つまり「自己家畜化」した意味が乏しくなり「協調的」生活よりも「自律的」な生活、即ち他者に左右されず、自分の望みに沿った生活を送りたいという欲求が増してくる。18世紀からの技術の発展に伴う生産の拡大は、この様な傾向を後押しし、「資本主義」を発展させた。
そもそも商品の交換は、石器時代から存在した。18世紀からの「資本主義」はそれが飛躍的に大きくなり、性格が変わったのだ。「資本主義」的世界は、「自律的」性質と相乗的である。人間は社会で成功することが必ずしも必要なことではないが、しかし、欲求は人間にとって常に処理しなければならない難物だ。生理的欲求が満足された後の、次なる欲求は何か? マズロー(※2)によると、承認欲求であるらしい。承認欲求は、皆と同じであること、皆よりも優れていることを求める。お金は物理的な満足をもたらすが、承認されることの一環でもある。「資本主義」は、承認欲求に強く働きかける。
第二次大戦から約30年間(1950-1980)は、悲惨な戦争を教訓として、「協調的」考えが主となり、それに伴って、ケインズ的政策が採用された。累進課税率は90%近くにもなり、それに対して高所得者は文句を言っていたが、ある程度諦めているふしもあった。しかし、「協調的」になり、自己の物質的欲求を制限する時代は長続きしなかった。労働争議の多発、生産性の低下などがおこり、それまで国家が管理、介入していた経済がうまく回らなくなったのだ。社会主義国を見るまでもなく、期間を経るに従い、大きな組織(国家がその典型)は、不都合な面をさらけ出すようになる。それは、国営が悪いのではなく、独占的な大組織が悪いのである。特に、中央集権的な運営がうまく行かない生産組織ではそれが顕著となる。改革が必要となるのだ。
社会が、絶対者(皇帝や王)の統治から抜け出す、あるいは、あらかじめ決められていた行動様式(自己家畜化)から抜け出すとき、民衆はそれぞれの欲求を表明することが必要となる。もしも、欲求を表明しない時には、誰か他の人が決めることになる。例えば学問をしたければ、その欲求を訴えるべきであり、金儲けをしたいならその欲求に沿った行動(法に反しない範囲で)する自由が必要で、それらの為にはまず欲求を表明しなければならない。移動が困難な障害者が、自由に移動したい時には、その欲求を表明する必要があり、他の人が、障害者に代わり欲求を代弁して済むわけではない。よい社会とは、誰でも自分の欲求を表明することが出来ること、そして、欲求が通るかどうかの議論に参加出来ることが必要だ。欲求が表明されない社会は、誰かが主導する流れに左右されることになり、全体主義へと誘導される。
「自己家畜化」を脱した人類は、もはやそれほど「協調性」を必要としなくてもよくなっている。欲求を表明出来る余裕が出来たのだ。そして、欲求は「話し合って」調整される必要がある。かつての「自己家畜化」の時代とは異なるのだ。これが民主主義社会である。欲求は「自由」に表明すべきである。お互いに欲求が自由に表明できてこそ、相手の欲求を認め、自分の欲求も通すことが出来るのだ(自由の相互承認)。日本社会は未だこの様な社会からは程遠い。
資本主義は「資本」を編み出して、投資によって社会が膨らむようになった。成長が限りなく続くような錯覚に陥る。しかし、もはや生理的欲求は満たされた。承認欲求を満たすためには成長はそれほど一義的に重要なことではなく、お互いの「欲求」を素直に表明し、それらの欲求を話し合いによって解決する「協調性」があれば社会はうまくいくのではないか。しかし、それは「欲求」を声高に表明する人の主張が通る意味ではない。「欲求」を調整するための、絶えまない訓練を必要とする。とくにそれは幼少期から始めなければならない。
(※1)「人は「家畜化」によって進化した」;ブライアン・ヘア、ヴァネッサ・ウッズ
(※2)アブラハム・ハロルド・マズロー;アメリカ合衆国の心理学者。精神病理の理解を目的とする精神分析と、人間と動物を区別しない行動主義心理学の間の、いわゆる「第三の勢力」として、人間の自己実現を研究した。特に人間の欲求の階層(マズローの欲求のピラミッド)を主張した事でよく知られている。
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