リベラリズムは、多様な宗教的違いや歴史的慣習の違いを乗り越えて、人類が同じ価値観を持つための基礎となる考え方である。しかし、近年ではその魅力が減退して、民衆を引きつける力が少なくなったようにも思える。リベラリズムは左寄りの、偏った考え方と考える人も多い。とは言っても、今日でリベラリズム以外に人類を統合する考え方は見当たらない。リベラリズムは17世紀、トマス・ホッブスやジョン・ロックによって示された個人の自由の尊重を核心とする考え方である。個人の自由の尊重を突き詰めると、他者の自由をも尊重しなければならない「自由の相互承認」(ヘーゲル)となる。つまり、各個人が自分自身の自由を尊重して欲しいなら、他人の自由をも尊重しなければならないということだ。他人の自由の尊重は、社会の中心的規範から外れる人がいても、あるいは、感情的に共感できなくても、他人に迷惑や被害を及ぼさない限り、自由な行動を容認しなければならないことを示している。これによって、リベラリズムが個人の自由を尊重するなら寛容な精神が必須となる。寛容な精神は多様性を認め容認することである。つまり、多様性の容認とは、個人の自由を認めることなのである。
従って、リベラリズムの特徴は、個人の自由の尊重、それから導かれる多様性の容認である。これらが、いわゆる古典的リベラリズムだ。現代でも、この考えは殆ど変わってはいないが、その後、リベラリズムへの批判が数多く出された。右派からは、リベラリズムは歴史的社会規範を無視しているし、個人主義的色彩が強く、既存のコミュニティの役割を軽視しているというものだ。例えば、リベラリズムが家庭においての、年長者及び男性中心の社会規範を軽視することによって、道徳的混乱を招いたなどである。左派からは、ネオリベラリズム(新自由主義)とリベラリズムを同一視して、リベラリズムは資本主義理論と深く関わっていて、強欲な新自由主義者の味方、つまり企業寄りの立場をとっているというものだ。格差の拡大もこれに関連する。
これらはどちらも、ある程度正当な批判である。右派の批判するように個人が孤立して既存のコミュニティが崩壊していることは世界的な傾向である。ジグムント・バウマンの言うように、今までの社会秩序が崩壊した社会では、個人はなすすべもなく、社会に放り出される。これに能力主義が加わると、能力がないと烙印を押された人たちを社会が支える事ができない。結果的に、この現象はポピュリズムを発生させる。トランプやフランスのルペン、あるいは、ポーランド、ハンガリーなどでの強権主義政府が生まれた原因ともなっている。
同時に左派の批判する格差社会に道を開いた面も否定できない。新自由主義的政策は1970年代から現在に至るまで、世界の多くの政府の選択肢であった。このような新自由主義政策、日本では、国鉄、電電など公社の民営化などで代表される1980年代から2000年代の政策になるが、これらの政策は、一旦は経済を回復させたが、格差を生じ、結局リーマンショックによって、元の木阿弥になってしまった。日本でも未だに新自由主義の縛りから抜け出していないのが現状だ。左派政党も新自由主義的考えを基礎とする、能力主義社会を改善するための方策を持ち合わせてはいないようである。
では、リベラリズムに代わる理念はあるのかと問われるとそれは「ない」と答えなければならない。個人の自由の尊重、多様性の容認などのリベラリズムの基本的な考え方は、宗教的圧迫、あるいは、民族的な迫害を跳ね返すためにも必要である。LGBT、障害者などの多様な人々を社会的に包摂する考えは、個人の自由を容認し、自己の自由のみならず、他者の自由をも同様に尊重する「自由の相互承認」からの考えをもとに導き出されたものである。現代においてのリベラリズムの役割について、フランシス・フクヤマは次のように述べている。
第一に、リベラリズムは多様性のある社会を収めるための手段であること、第二は、その為には政府に対する高い信頼性が必要であること、第三は権力を最も低い適切なレベル(地方政府)に移譲されること、第四には、言論の自由の大切さを理解して、言論の自由を守ること、第五に、文化的多数派集団の権利よりも個人の権利を優先させ続けること、などを述べ、社会は「中庸」を徳として中心に据えなければならないと言っている。これらが、リベラリズムの再生となるだろう。
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