自己家畜化と人類、そして日本

今から1万年前頃に、人間は農耕を始めたが、同じ時期に動物を家畜化した。イヌ、ウマ、ヤギ、ヒツジ、ウシ、ブタなどである。家畜は穏やかな性質を持ち、人間と同居する。つまり、飼いやすい。しかし、家畜化が出来にくい種類の動物もある。オオカミやキツネ、アライグマ、大型哺乳類などだ。家畜化の特徴は、人間に馴染むことである。つまり、攻撃性が低い動物となることだ。

ソ連時代、1959年遺伝学者であるドミトリ・ベリャーエフは、モスクワから遠く離れたノボシビルスクで野心的な研究を行った。対象はキツネである。普通キツネはあまり人懐こくはないが、その中でも寄ってくるキツネを選び、選んだキツネ同士を交配し、さらに、その子供の中で人懐こくなっているキツネ同士をまた交配した。彼らはその交配を数十年間、数十世代にわたって行った。その結果は驚くべきものとなる。まったく野生のものと違ったキツネが誕生したのだ。家畜化しないと考えられていたキツネの家畜化が成功した。そして、飼いならされたキツネは、垂れた耳、巻いた尾、小さい歯、短い鼻面などの家畜の特徴を備えていた。また、身体性以外の社会的な変化も生じている。家畜化以前には、単独で生活していたキツネが、家畜化されると集団での生活を行うようになったのだ。性格は穏やかになり、集団内での揉め事は少ない。

現人類の直接祖先であるホモ・サピエンスが他の人類、例えばホモ・エレクトス(直立原人)やホモ・ネアンデルターシス(ネアンデルタール人)に比べ、能力や腕力で勝っていた証拠はない。むしろ劣っていた可能性が高い。それでもホモ・サピエンスが現在の繁栄を迎えたのは、集団内でお互いに協力する、協調的な遺伝子を持っていたからだと言われる。この協調的特徴は、狩猟採集時代から農耕社会に移行し、集団が大きくなると、より進化に強く作用した。多人数の集団、例えば数百人から数千人の集団で暮らすためには、協調性がもっとも重要な要素となるからだ。ホモ・サピエンス以外の人類では、出来なかったことである。この様なホモ・サピエンスの性質は、人間が飼育した家畜のような性質だが、他から強要されたものではない。自発的にホモ・サピエンスは家畜化(自己家畜化)の道を歩むことになったのだ。家畜化(自己家畜化)は安全のために、自由を手放した状態であると言える。農業社会では、集落には厳密な掟があり(いくつかの掟はなぜそうするのかの理由もわからなくなっている)、掟を守ることによって、集団内で、あるいは領主から安全を保障されていた。

時代が進み、近世になると、都市化によって、人々が農村社会の相互に緊密な状態から、経済的自立により、個人が独立した状態に移るとともに、次第に自由な思想が芽生えてきた。協調する必要が乏しくなり、自己家畜化傾向が低下したように思われた。しかし、その後資本主義が更に進展すると、貧富の格差が生じるようになり、社会の不安定感が強くなる。この時点で、それまで、どちらかといえば、民衆を抑圧していた国家に対して、社会に対する働きかけが期待されるようになったのだ。福祉国家の登場である。そこで、民衆は再び、自由を差し出し、安全を願うようになってきた。再び自己家畜化傾向が世界的に強くなったのだ。安全には限界はないが、それでも少しでも安全にというのが民衆の欲求となっていく。その後、自己家畜化傾向とそれから脱する動きが交互に起こってくる。

太平洋戦争後の日本では、アメリカの保護のもとに、経済の拡大が続いた。いわば安全を保障されている状態だ。自己家畜化傾向が強まったということだ。しかし、東西の冷戦が解消され、多極化世界となり、もはや安全が保障されず、自由と安全の関係を自分で選択することを強いられると、日本の経済発展は急速に停滞している。1990年からの30年間の状態を見ると、一時的な問題というよりも、根本的な問題が日本には存在しているようだ。現代では、安全が第一なので、危険な行動は禁止されるべき行動とみなされ、住民が決めた基準に沿った、安全な生活が求められるようになった。このような世界では、アニマルスピリッツは、無謀な企てとして退けられ、安全な行動が求められる。それは、自己家畜化の蔓延である。自己家畜化傾向を脱し、集団主義的な傾向から抜け出して、何かに頼って生活することをやめ、自分で自由に考えて行動する原則をみんなが決意しない限り、日本の低迷は続くと思われる。

公益財団法人橋本財団 理事長、医学博士橋本 俊明
1973年岡山大学医学部卒業。公益財団法人橋本財団 理事長。社会福祉法人敬友会 理事長。特定医療法人自由会 理事長。専門は、高齢者の住まい、高齢者ケア、老年医療問題など。その他、独自の視点で幅広く社会問題を探る。
1973年岡山大学医学部卒業。公益財団法人橋本財団 理事長。社会福祉法人敬友会 理事長。特定医療法人自由会 理事長。専門は、高齢者の住まい、高齢者ケア、老年医療問題など。その他、独自の視点で幅広く社会問題を探る。
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