最近、医局では「遠ざけられた死」に伴って発症した、家族の死に対する受容不全症候群が増加していることが話題になり、同時に我々自身も困惑させられています。
ある日、数年前から脳梗塞の後遺症で寝たきり状態であった90歳代半ばの男性が、入所先の施設で肺炎を発症し、紹介されて(とは言うものの、「行ってきなさい」の簡単な説明で)来院なさいました。
元より完治は難しく、原疾患を含めて長くは保たないことをご家族に説明し、了解を得た上で入院となりました。もちろん、施設は「こちらでは診られないから、どこかへ出て行ってくれ」というスタンスでしたし、これまでの経過をずっと看てきたご家族にすれば、「とにかく入院させてもらえればそれでいいです」という介護難民状態ではありました。
そして、入院後の治療で予想以上に状態が改善したものの、数週間を経て最期の日を迎えることになりました。
主治医が臨終を告げ、看護師による死後の処置を行いました。付き添っていたご家族からは、「思っていた以上に頑張ってくれましたし、私たちも納得できました。皆さんのお陰です」と感謝の言葉を頂くことができました。
しかし、問題はその後に発生しました。
粛々と事後処理が終わり、いよいよお見送りとなった時になって、これまで一度も来たこともない孫から「ところで、祖父は死ぬような病気だったのでしょうか」と、何か興奮したような表情で質問が発せられたのです。
これには温厚な主治医も看護師さん達も返答に窮し(逆ギレしかけて)、「いつも来られていたご家族の方に詳しくご説明してありますので、その方からお聞き下さい」と応えるのが精一杯だったとそうです。
今回の経験から得られた教訓は、入院時には年齢に関係なく、ご親族に全員集まって頂き、「死ぬかもしれませんが、ご了承をお願いいたします」と説明をし、承諾書に署名捺印を頂くことが必要ということでしょうか。
また、こんな事もありました。
ある大病院で進行がんの手術を受け、術後化学療法を受けていた70歳代の女性です。
再発病変が発見され治療効果無しとなり、あとは地元の病院でと言われて、当院に相談に来られました。状態はすでに最終段階を迎えていて、緩和医療しかできない事を説明し入院してもらいました。
しかし「まだ治療があるのではないか」と、大病院への不満と、併せて現状を受け入れられないご様子でした。
それでも説明を繰り返し、安らかな最期を迎えることになったのですが、そう思ったのは私達だけでした。
心電図がフラットになり、心停止を示したため臨終を告げようとした時になって、「なんで心臓マッサージをしないんや」と、息子さんが周りの制止を振り切って、自分で心臓マッサージ(の真似事)を開始したのです。
さすがに他の家族もあきれ顔ではありましたが、だれも制止できず、その息子さんが自ら止めるまで待つしかありませんでした。
後で聞いた話では、「テレビドラマではしてるやんか」とのことで、気持ちは分からないわけではないのですが、かえってご本人には辛いことでした。
このことから得た教訓は、大病院の問題は別にして、ドラマと現実は別であることをあらかじめご説明し、念書を取っておくということでしょうか。
身内の最期を迎え、家族を失う悲しみに直面すると、つい本音というか辛い気持をどこかにぶつけたくなることは、自分自身の経験からも理解は出来ます。
国民から「死」が遠ざけられたことによって生じた医療者側と一般の方々の間にある溝は、案外広くかつ深いものなのだと気付かされました。
ところで、「カリフォルニアドーター」という言葉をご存じでしょうか。これはアメリカでの話ですが、東海岸のワシントン辺りの病院に入院している家族を、西海岸のカリフォルニアに住んでいる娘が見舞いに来て、「何をやってんの」とか「こんなことしていていいの」とか、それまでの経過や説明を全く無視して言いたいことだけ言って、「それじゃあ帰るわ」とカリフォルニアに戻って行くというお話です。
当然、医療者と患者さん、ご家族との間に混乱と困惑だけが残され、さらにそれまでに築いた信頼関係が崩壊するというオチまでついてきます。
実際、一晩はおろか半日間の付き添いもしたことが無く、たまに来ては自分で調べたという「最新情報」を披歴し、静かに終わりを迎えようとしている患者さんや看病に疲れ切っているご家族を叱咤し、言いたいことだけを言って、意気揚々とお帰りになる方が居るのが現実です。
当院では、こうした方を「東京のおっさん」と呼ぶことにしています。ちょうど卓袱台をひっくり返す頑固親父みたいな感じです。案外近くの親戚の方にも、めったに来ないで引っ掻き回して帰る方がいらっしゃいますよね・・・。
こんな方、身近におられるのではないでしょうか。一度鏡の中をご覧になってみてはいかがでしょうかね。
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