国連が2006年に障害者権利条約を発行して日本が批准したのが2013年。なぜ7年もかかったのでしょうか?要因の一つに当時合理的配慮に関する法律が無く、できたのが障害者差別解消法だったこと、もう一つの要因がインクルーシブ教育が進んでいなかったことだと思います。では、なぜ日本は世界の流れに遅れたのでしょうか?
文科省は昨年、特別支援学級在籍の児童については、半分以上の時間を特別支援学級で授業を行うこと、という通知を出しました。つまり、通常学級では半分の時間しか授業ができないということです。インクルーシブ教育とはかけ離れている気がします。学力が追い付かなくて個別指導が必要な児童に対して特別支援学級で授業を行うことはまだ理解できますが、普通に仲間と学べる児童も障害があるから半分の時間しか仲間と学べないということになります。私は理解できませんが文科省の理由としては、教員免許を持った人が介助するのはおかしい・支援員が介助すべきだ!これが今の文科省の考え方のようです。
また、放課後も障害者は放課後デイサービスで健常者は放課後児童クラブで分けられ、学級も分けられて日本は交わることが少ない形だけのインクルーシブ教育です。
私が学校に入学する2年前の1972年に障害者の義務教育が始まり、養護学校(今の特別支援学校)がたくさんできました。障害者は障害者の学校、障害者は障害者の社会、といった感じで障害者を一般社会とは切り離す考え方でした。世界的には多様性の社会やインクルーシブ教育が求められるような風潮でしたが、日本の行政や政治はその流れに乗れなかったことも、現在の形だけのインクルーシブ教育の要因の一つだと思います。
また、日本は、変わった人を排除するという考え方も残っていたようで、ハンセン病患者や重い精神障害者などに対して子供を産めなくする法律(優生保護法)も1948年に施行され1996年まで存在しました。誤解の無いように書くと、ハンセン病も重い精神障害者も遺伝性ではありません。ハンセン病に関しては、1996年にらい予防法が廃止されるまで療養所に強制収容させられていて、1981年にWHOがハンセン病は完全に治る病気とした後も15年間も二つの法律により社会から排除されてきました。
また夫婦別姓や同性婚が世界的には認められる流れなのに、日本はかたくなに認めない状況や、難民の受け入れが先進国では一番少ない状況、外国人選挙権も認められづらい状況などもみられます。これは日本の特殊な考え方で、戦後の世界の考え方とは逆行しています。日本社会はかなり共生の方向に傾いて来たように思えるのですが国の政治が排除の方向を向いたままなので日本は世界から取り残されると感じます。しかし、政治が悪いといっても政治家を選んだのは国民なので、私たちのどこかに排除する気持ちがあるのでしょうか?
動物は生きるために仲間を排除することもあります。でも、人間は理性があり支えあいながら暮らすことができます。国連が二度と戦争を起こさないように子供や女性や障害者など戦前は社会から排除されてきた立場の人を守る条約を作ったのも、排除される社会が戦火を生み決して幸福な社会ではなかったからです。なのに、日本の政治や行政だけが排除する方向に傾いて、形だけのインクルーシブ教育になっています。
イタリアではフルインクルージョン政策がとられていています。インクルージョンとは、障害のある人を「排除しない」という意味で、社会や学校から排除されてきた障害のある人がこれ以上排除されないために法制度として実施されています。「フル」なのですべての障害のある人を受け入れています。特別支援学校も存在しますが、健常者も特別支援学校で受け入れていて障害者と健常者との間に垣根のようなものはでき難くなっています。
しかし、私の実感としては、日本社会は共生の方向に傾いて来た気がします。
歴史的にみるとアメリカは移民の国でヨーロッパは陸続きで新しいものは受け入れやすく多様性の社会には対応しやすい土壌があります。しかし、日本は島国で多様性の社会は根付き難い環境ですが徐々に変わってきました。
ただ、政治や行政が何も変えようとしないのなら世界からは取り残されるでしょうね。
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