生物は欲求を持っている。原始的な生物の欲求は、生存のための栄養や酸素を求めるだけだが、生命が次第に高度になると、より効率的に、目的を達成できるように戦略も変化する。それが「進化」である。「進化」は、「適者生存」の原則に基づいている。「進化」は、何らかの目的に向かって進むものでなく、たまたま遺伝子変化が起こり、遺伝子変化による形質変化が、生存に都合が良かった種は生き残る確率が高くなる(適者生存)と言うものだ。「進化」は最も効率よく、かつ、最も確率高い生存戦略を用いる個体を選別する過程である。その結果、生物は、生存戦略に成功した種が繁栄し、失敗した種は絶滅する。しかし、これらの生存戦略は、いずれも「欲求」に基づいて作られる。従って、「欲求」は、その種の生存を左右する根本的な要素となる。「欲求」が必要であると言っても、弱い「欲求」は自分の内部に留まるし、強すぎる「欲求」も周囲との軋轢を生み、生存戦略を失敗に終わらせる可能性が高い。生存戦略で最も良いのは、強い「欲求」があることと、それを満たすための周囲の環境との適性(欲求が受け入れられるかどうかの判断)を見定めることである。
原始的な生物の場合は、強い「欲求」の結果、周囲の環境からの反撃を受けて絶滅する場合もあり、「適切」な欲求を持つものが、生き残るだろう。より高度の生物になると、周囲からの反撃に対して、それを防御するような仕組みを自身の体にそなえるような進化を遂げ、強い「欲求」があるにも関わらず、周囲の環境に打ち勝って種の繁栄をもたらす場合もある。
人間は、自身の生存欲求を満たすために、自身の身体を変え、さらには道具を発明して周囲の環境を克服してきた。こうして、人類は生存のための「欲求」は、ほぼ満たされることとなった。狩猟採集時代の原始的な「バンド」社会は、せいぜい30名程度の人員で構成されていたが、人類が周囲の環境に打ち勝ち、種の繁栄を遂げると、集団は数百人から数千人へと膨張した。この時点で、人間にとって「欲求」の対象は、食べること(生理的欲求)や、周囲からの脅威に備えること(安全欲求)に加えて、集団の人間関係に移ったのである。
アブラハム・マズローは、人間の欲求を次のような階層で示している。生理的欲求と安全欲求を下位の欲求と位置づけ、所属欲求や承認欲求をそれより上位の「欲求」と見なしている(下図)。より簡単に欲求階層を表すと右図のようになる。
人間の集団においては下位の生理的欲求や安全欲求よりも、それより上位の「欲求」、いわゆる承認欲求が大きな位置を占める。嫉妬やいじめはなども承認欲求から派生する。しかし、これらの承認欲求は意外に見過ごされることが多い。見過ごされるのは、日常的な人間関係の場面ではない。日常的な人間関係では、むしろ承認欲求は大きすぎて、その取扱に苦労するほどだ。そうでなく、承認欲求が見過ごされ易いのは、制度的仕組みを考える場合だ。日本では、社会が生理的・安全欲求をひたすら満たそうとしているのに(安全・安心重視)、なぜ、社会からの逃避(引きこもり)や自殺が多いのだろうか?
これらが、現在の日本社会の苦境を表すものとなる。資本主義は「進化」と同じ様な原動力で動く。つまり、「欲求」を表明し、それを実現させることを優先させている。しかし、人間は集団で生活している。自己の「欲求」を他者が否定し、その結果、他者の「欲求」とぶつかることが無いとはいえず、むしろ「欲求」が通らないことが多い。「欲求」のぶつかり合い対して、日本では個人の「欲求」を抑え、集団の調和を優先すべきであると教える。個人の「欲求」を抑え、他者のことを優先的に考えることは、穏やかな社会を作り出すことになるが、それですべてがうまくいくわけではない。他者の「欲求」を考えて行動すれば、争いは少なくなり、多くの人が幸せになるかもしれないが、本来の個人の承認欲求はどうなるのだろうか?
日本では、小学校でも承認欲求を訴えることは控えたほうが良いと教えられているようだ。ものの分配は、どうにかなるが、承認欲求のぶつかり合いは、複雑極まるので避けられる。あくまでも集団が優先される。しかし、「欲求」を表明し、それがぶつかり合わない限りは、他者の「欲求」と自分との間の調整が出来ない。どちらも「欲求」を表明しないとなれば、その調節は第三者(教師や学習指導要綱)に委ねられる。正しいと思われる道筋が予め用意されていて、その道筋を進むように指導されると、「欲求」のぶつかり合いの結果としての論争や紛争を経験することが出来ない。これらが、承認欲求を制度的に育てていない部分である。その結果、依存的でマニュアル的な人間が生まれるのだ。
大人になってから「欲求」のぶつかり合いを初めて体験すると、その結果としての妥協や服従、不満などの取り扱いに迷ってしまう。そして、大きなストレスも抱え込む。ストレスを溜めないようにするためには、会社や公的な場での「欲求」をあまり表明しないようにするしかない。これが今の日本の現状であり、「欲求」を控える教育の「成果」かもしれない。「欲求」を表明することが、ビジネスの世界では成功するもととなるが、私的な場面では正反対である。一度「欲求」を表明したばかりに、無視され、いじめに合うこともある。これらは、「欲求」を表明することが少ない人々の間にも起こることだ。
これに対して、西欧から第二次大戦後導入した色々の制度は、人々が「欲求」を表明することを前提として出来上がっている。この様な制度と、日本的な相手を思いやること、周囲に合わせること、目立たないようにすることとのギャップが次第に社会の裂け目を作っている。
解決方法は難しい。「欲求」を表明して、話し合いを重ね、妥協点を見出す、限りない反復練習を行うことであるが、その為には、幼少期からの「欲求」の表明が必要となる。「欲求」がぶつかり、その解決に時間がかかっても、人間関係に異常が生じても、それによって多少の知識取得過程に遅れがあっても仕方ない。日常的に「欲求」を素直に吐き出し、そのぶつかり合いを経験させる必要がある。その為には、教育自体を大幅に変えなければならない。
注意すべきは、「欲求」を表明することと、「欲求」に執着することとは異なることだ。「欲求」の表明は単なる言葉であり、常に妥協する余地を残す意味がある。「欲求」の表明によってその人の価値が判断されるわけではない。仕事を変えたいとの「欲求」を表明することは、仕事を変えられなければ辞めることを意味しているのではないし、不満を抱いたままでいることを意味しているわけでもない。もともと人間がすべての現状に満足していると考えることこそ不自然であると考えるべきだろう。すべての人間は、常に現状とは違う「欲求」を抱えたままで、それでも一定の妥協をして生きているのが普通である。
しかし、なにか意見があるかどうか問われ、それに対して意見を述べることが出来るのは、現状に対する認識、つまり「欲求」を言葉で表現できるかどうかにかかっている。リスクを取らない日本人が増えていることも、「欲求」の表明ができない社会の反映である。真剣な議論と、どのように妥協するかの訓練である、この基本的な態度の変更なしには、日本の再生はないだろう。
研究助成 成果報告の記事を見る
小林 天音の記事を見る
秋谷 進の記事を見る
坂本 誠の記事を見る
Auroraの記事を見る
竹村 仁量の記事を見る
長谷井 嬢の記事を見る
Karki Shyam Kumar (カルキ シャム クマル)の記事を見る
小林 智子の記事を見る
Opinions編集部の記事を見る
渡口 将生の記事を見る
ゆきの記事を見る
馬場 拓郎の記事を見る
ジョワキンの記事を見る
Waode Hanifah Istiqomah(ワオデ ハニファー イスティコマー)の記事を見る
芦田 航大の記事を見る
岡﨑 広樹の記事を見る
カーン エムディ マムンの記事を見る
板垣 岳人の記事を見る
蘇 暁辰(Xiaochen Su)の記事を見る
斉藤 善久の記事を見る
阿部プッシェル 薫の記事を見る
黒部 麻子の記事を見る
田尻 潤子の記事を見る
シャイカ・サレム・アル・ダヘリの記事を見る
散木洞人の記事を見る
パク ミンジョンの記事を見る
澤田まりあ、山形萌花、山領珊南の記事を見る
藤田 定司の記事を見る
橘 里香サニヤの記事を見る
坂入 悦子の記事を見る
山下裕司の記事を見る
Niklas Holzapfel ホルツ アッペル ニクラスの記事を見る
Emre・Ekici エムレ・エキジの記事を見る
岡山県国際団体協議会の記事を見る
東條 光彦の記事を見る
田村 和夫の記事を見る
相川 真穂の記事を見る
松村 道郎の記事を見る
加藤 侑子の記事を見る
竹島 潤の記事を見る
五十嵐 直敬の記事を見る
橋本俊明・秋吉湖音の記事を見る
菊池 洋勝の記事を見る
江崎 康弘の記事を見る
秋吉 湖音の記事を見る
足立 伸也の記事を見る
安留 義孝の記事を見る
田村 拓の記事を見る
湯浅 典子の記事を見る
山下 誠矢の記事を見る
池尻 達紀の記事を見る
堂野 博之の記事を見る
金 明中の記事を見る
畑山 博の記事を見る
妹尾 昌俊の記事を見る
中元 啓太郎の記事を見る
井上 登紀子の記事を見る
松田 郁乃の記事を見る
アイシェ・ウルグン・ソゼン Ayse Ilgin Sozenの記事を見る
久川 春菜の記事を見る
森分 志学の記事を見る
三村 喜久雄の記事を見る
黒木 洋一郎の記事を見る
河津 泉の記事を見る
林 直樹の記事を見る
安藤希代子の記事を見る
佐野俊二の記事を見る
江田 加代子の記事を見る
阪井 ひとみ・永松千恵 の記事を見る
上野 千鶴子 の記事を見る
鷲見 学の記事を見る
藤原(旧姓:川上)智貴の記事を見る
正高信男の記事を見る
大坂巌の記事を見る
上田 諭の記事を見る
宮村孝博の記事を見る
松本芳也・淳子夫妻の記事を見る
中山 遼の記事を見る
多田羅竜平の記事を見る
多田伸志の記事を見る
中川和子の記事を見る
小田 陽彦の記事を見る
岩垣博己・堀井城一朗・矢野 平の記事を見る
田中 共子の記事を見る
石田篤史の記事を見る
松山幸弘の記事を見る
舟橋 弘晃の記事を見る
浅野 直の記事を見る
鍵本忠尚の記事を見る
北中淳子の記事を見る
片山英樹の記事を見る
松岡克朗の記事を見る
青木康嘉の記事を見る
岩垣博己・長谷川利路・中島正勝の記事を見る
水野文一郎の記事を見る
石原 達也の記事を見る
野村泰介の記事を見る
神林 龍の記事を見る
橋本 健二の記事を見る
林 伸旨の記事を見る
渡辺嗣郎(わたなべ しろう)の記事を見る
横井 篤文の記事を見る
ドクターXの記事を見る
藤井裕也の記事を見る
桜井 なおみの記事を見る
菅波 茂の記事を見る
五島 朋幸の記事を見る
髙田 浩一の記事を見る
かえる ちからの記事を見る
慎 泰俊の記事を見る
三好 祐也の記事を見る
板野 聡の記事を見る
目黒 道生の記事を見る
足立 誠司の記事を見る
池井戸 高志の記事を見る
池田 出水の記事を見る
松岡 順治の記事を見る
田中 紀章の記事を見る
齋藤 信也の記事を見る
橋本 俊明の記事を見る