人間がストレスを感じるのは、そうしたほうが進化にとって良いからだ。つまり、何かに怯えて暮らすほうが、警戒心を持たず安心しきって暮らすよりも、生き残る確率が高いからである。例えば、足元の縄のようなものを蛇と勘違いして飛び上がることは、99回ストレスや恐怖を感じることだが、1回の本当の蛇に噛まれることなく、生き残ることが出来る。草食動物の気が小さいのもこの理由による(競馬レースはこの性質を利用して成立した)。このようにストレスは進化に有用だが、人間が過度に感じるようになると、かえって精神的に悪影響を及ぼす。
ストレスを感じたときに、そのストレスを頭の中から取り除き、普通の状態に戻りたいと誰もが考えるが、ストレスの「使命」として、取り除かれてしまうと、危険を意識する機能を弱らせるので、取り除くことが簡単にできる仕組みにはなっていない。ストレスは心全体に覆いかぶさり、深く食い込み、その他の考えを排除するように働く。従って、何とかしてストレスを取り除こうとしても、成功することは少ない。このような場合にどうしたらよいのか? 結局のところ、ストレス本来の危機管理機能を取り除けないとすれば、人間はストレスと同居するしかなさそうだ。ブッダは、このようなストレスの本質を見極めた上で、人生に降り掛かってくるストレスに対して、どのように対処すべきかを考えた。ストレスは仏教での「苦」と同等に考えても良い。
ブッダはストレスのうちで最も大きいものは何かと問い、それは「死」であると考えた。人間を含め動物は「死」を恐れ、避けるためにストレスを抱えるのだ。あるいは、その前の「老い」について、あるいはそれらを引き起こす「病」についても同様である。「病」に至らないでも、身体的、精神的なストレスは多い。これらは、人間が対処すべきだが、解決できないことも多いものである。
ストレスに対処する方法として、ブッダは「無常」と「因果」とを考えた。ストレスに対する共通する原則は「無常」である。おおよそ、世界に存在し、永久に変わらないでいることが出来るものはない。常に変化する宿命にある世界に対して、一定の場所に留まり、一定の状態に留まることは出来ない。すべてが変化する前提なら、それが早く到来するかどうかの違いのみとなる。「無常」の考えからは、「死」がすべての人に早かれ遅かれ到来することを理解すべきだと教える。その前の「老い」も同様だ。
同時に、個別のストレスは、「因果」的に考えると、原因と結果があり、原因を処理すれば、ある程度は解決できる。物理的な痛みや、その他の苦痛は、何らかの警告かもしれないが、この場合は、適切な薬を使ったりして、早めに苦痛から逃れる方が良い。しかし、精神的な苦痛に対してはそのようにはいかない。そこで、自分の内部の精神的な痛みを客観視し、外部の音や光を客観視することと同じような次元で捉えるようにする。困難なことに遭遇しても的確な判断ができる人は、ストレスを包み込み、通常の生活をすることが出来る。つまり、心がストレスに浸されていても、それ以外の余地を持つことが出来る。これは、ストレスを感じないこととは少し違う。
ブッダの自己の概念によれば、ストレスによる不快な感覚は自己の一部ではないと言える。一旦この論理に従って、思い通りにならないものを自己の一部だと思うのを止めてみると、不快な感覚から解放され、自分のコントロールを取り戻すことが出来る。心にどっかりと住むストレスを客観的に見ることが出来れば良い。例えば、ホラー映画を見て恐怖を感じ、自分で制御出来ない感情が現われたとき、映画から抜け出し、映画をただスクリーンに映る現象であると見なすことが出来れば良い。なぜ、単なる映像に怯えなければならないのか。自分の思考は自分で生じるものではなく、自分の前をただ通り過ぎていくものだとみなすことである。この経験は、自我を縮小し、無我の状態を経験させる。
自然選択の影響は、自分は特別だと言う感覚にある。これは自然選択の価値の中央にある。従って、世界と自分との境界がないこと、薄くなることは、遺伝子に埋め込まれた、性質に対する反逆である。無我となってしまうと、自然な感性が失われるのではないかとの懸念もある。しかし、精神的な苦痛を脇においてその感情を客観視することによって感性が失われることはない。瞑想を実践すると分かることだが、自然選択の力は非常に大きく、その歪な部分を少し削ることに過ぎない(瞑想に没入することが難しい)。調和の取れた世界観を作るために、出っ張った自我を少し削り、安定させることになるのだ。
※この文章は、ロバート・ライト著;「なぜ今、仏教なのか――瞑想・マインドフルネス・悟りの科学」を参照しています。
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