現在では、「介護」は一般的な言葉となり、障害者や高齢者の世話をする意味で使われている。「介護」という言葉が公式に使われ始めたのは意外にも最近で、1970年代終わりからであり、1980年代に入り一般に普及したようだ。「介護」は専門性が乏しく、近親者が障害や病気を抱えている親族の世話をすることと同じようなものだと思われている。介護施設では、高齢者を「家族と思って」介護するように教育される場合も多いようだ。定義がどのようになっているかは別として、近親者が親族の世話をすることと、公的に行われる「介護」との混同が、いろいろの問題を引き起こしている。「介護」の意味や考え方を明らかにして、公的に行われる「介護」と、近親者が親族の世話をすることとは違うことを示す必要がある。
「看護」もかつては、「介護」と同じように、近親者が親族などの世話をすることと同じように考えられていた。違いは、「看護」が医療機関で行われる場合に、医師からの指示に基づき、「診療の補助」を行うことだった。「看護」のもう一つの役割である「療養の世話」は、いわゆる介護行為であるが、医療機関では付属的なものとみなされていた。
図で見るように、「介護」が登場する以前はパターン1のように、近親者の行う援助と「看護」は境界がはっきりしていなかった。1980年以降「介護」が一般化すると、パターン2のように、近親者の行う援助と「看護」との間に「介護」が入り、「介護」と近親者の行う援助との境界が不明確となる。また、「介護」と「看護」との関係も依然としてはっきりしない。「介護」は「看護」の一部分であると考える人も多い。なるほどそうかも知れないが、現実には、「看護」は医療に分類され、看護師は自分が「介護行為」を行っているとは考えず、医療行為の一つである看護行為を行っていると言うだろう。従って、「介護」は「看護」と区別されるべきだし、近親者の行う援助と「介護」とは同じであるとは考えないほうが良い。
その為には、ここで言う「介護」は、近親者や友人などの援助と違って、公的に位置づけられた援助を指していると考えるべきだ。大切なことは、公的に位置づけられた「介護」はケアマネジメントが行われることを前提として、ケアマネジメントに基づき、公的で合理的ケアプランに沿った行動をとらなければならない。ケアマネジメントは、援助する人の身体的、精神的、社会的な不利を理解し、援助が必要な障害者、高齢者が、出来るだけ「普通の生活」を送るためには、どのような援助が必要かを規定する。つまり、介護保険を使うかどうか、あるいは介護保険の限度額がどの程度か、援助が可能かどうか、などに関係なく、障害者、高齢者が、「普通の生活」を送るためには、どのような援助が必要かを示すのだ。その為には、障害者、高齢者の状態を評価(アセスメント)して、以前の生活を再び取り戻すことが出来るには、どのような援助が必要かを判断する。この過程は合理的なもので、医療(リハビリテーションを含む)、看護、ソーシャルワーク、心理的ケアなどの知識と技術が必要となる。決して、単なる親切心や愛情で行うものではない。これに対して、近親者が障害や病気を抱えている親族の世話をする場合は、「気持ち」で世話をしてもいっこうに差し支えないし、そのほうが良いこともあるだろう。
「普通の生活」とは、その人が障害を発生する以前に送っていた生活、あるいは、同年配の障害がない人が送る平均的生活を参考とする。障害が発生すると、それまでのやり方では、以前の生活を送ることが出来なくなっている。例えば、障害が発生する前に週3回集会所で地域の人と交流していた人が、脳卒中のため半身麻痺になったとき、以前と同じような生活が送れるようにプランを作ることがケアマネジメントの基本となる。その為には、まず身体的、心理的サポート、社会的活動への支援、能力の回復(リハビリテーション)を含む援助の方法を考える。以前は援助無しで良かった生活を、援助を加えて取り戻すのである。介護保険での基準や上限金額とは関係なく、ケアマネジメントから導かれたケアプランでは、「普通の生活」を取り戻すために必要な援助を拾い出す。公的な援助に限界があり、公的な援助以上のものを求める場合には、私的な援助が必要となる場合もある。私的援助とは、家族や友人の援助、あるいは、有料の私的援助が該当する。この場合の公的援助が「介護」と位置づけられるのだ。社会保障の観点からは、「普通の生活」を送ることの多くが公的援助で賄えるように制度を整えるべきだろう。公的援助は、ケアマネジメントによって必要とされた「介護」を行うことが出来るように、それ以上でも以下でもなく、設計されていなければならない。
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