「多様性」は今や流行り言葉になっているが、実態が伴っているか疑問だ。その代表格は教育である。多様性(diversity)とは、ウィキペディアによると「異なったタイプの人々を、グループや組織に包摂すること」、とされている。つまり、個人ごとに「個性が異なる」ことを前提にして、社会の中での異なった個性を持つ集団、あるいは個人がそれぞれに個別性を尊重され、社会の一員として同じ地位を占めることが出来ることを意味する。その為には、まず、個人が出発点となり、お互いの個性を尊重することが始まりとなる。集団や全体の価値観の問題ではない。経済的にも大量生産時は終わり、個別的な製品を要求されるようになると、個人の考えに基づく独創的な製品が求められると言われている。経済的、社会的に、すべてのことに対して個別性が尊重され、個人の欲求が社会的に認められるのだ。
しかし、現在の日本の教育ではどうだろうか? 戦前の教育は一律の儒教的倫理観を強制し、かつ、個人でなく集団的な秩序を重んじる教育だった。戦後も好戦的な教育は廃れたが、教育の集団性、画一性は相変わらず残っている。これらは、明治からの「富国強兵」政策や、戦後の「大量生産時代」に適合したものである。戦後教育は儒教的倫理観の前提を取り払ったつもりでいるが、その代わりとなる倫理(集団から個人へ)が出来上がってはいない。倫理観がない場合には、手法を競うような教育になる。読み書きソロバンを重視したり、英語教育やデジタル教育が好まれることも、この範疇に入るだろう。一方で新しい倫理観が確立されないせいで、昔からの手法が教育に踏襲されている分野も数多い。ランドセル、制服はその典型であり、さらには、何を目的にしているのかも不明な校則などもある。多様性を教育に求めるなら、これらは直ちに廃止あるいは改正されるべきものだろう。個別性を重視しながらの制服はそぐわない。教育内容についても、正解を求める画一的教育が一般的だ。正解は一つではない。
平均的生徒を基準にした教育が行われていることも変化がない。生徒の能力には大きな幅がある。IQで分類しても、40台の子供から160台まで大きな幅がある。さらには、社会性についても、最初から高い子供と、そうでなく、集団に馴染みにくい子まで多彩である。これらのバリエーションに対する備えはないままに、平均的状態を想定して教育は行われている。多くのことについて平均的な子供を中心にして、上位の子は学習速度を遅らせ、下位の子に対しては、早めることを促すような教育体制が、集団的な教育であり、この様な制度は、近年でもほとんど変化はない。これらは、集団的に、画一的な考え方を勧めるものである。画一的な答えでなく、多様な考えを容認しようとすれば、教師の数はまるで足りない。
画一的教育や過去からの習慣に基づく学校では、平均から外れる子供は、クラスから排除される傾向が強い。しかし、平均的画一的な教育を嫌って、あるいは、集団生活自体を嫌って、学校に行かない場合の代わりの選択肢はない。不登校を咎めるような風潮は少なくなったが、不登校を認める割には、代替となる手段は用意されていないようだ。フリースクールの多くは正規の教育とは認定されていないし、補助も少ない。それよりも、学校自体が多様性を持ち、いろいろの状態の生徒に適合したクラスを用意するほうが簡単だと思われるが。
今の教育では、「多様性」を持つ人間は育たないだろう。同じ様な人間であり、かつ、人よりも少しだけ秀でている人が「優秀である」とみなされる。そして、少しだけ「優秀な」人材から多様な考えは育たない。この様な教育を経て生まれた、多様な考えを持たない人が子供の教育を考えても仕方ないし、多くの教育者が改革を行おうとする熱意を消失しているなら、なおさら既存の学校が「不登校児」を含む教育を行うことは難しい。結論は明確である。現在の学校が標準的教育から脱して、「不登校児」あるいは「障害児」を含む教育を行う必要がある。この選択が第一であり、実行すべきである。百歩譲って、もしそれが何らかの理由によって難しいなら、国家は教育から一部手を引いて、民間の受け皿に任せるしかない(ただし費用を支払う責任はある)。あるいは、現在の教育はその制度上の欠陥で、画一的な人材しか育てることができないとの前提で、民間に教育の半分程度を任せる必要があるのかもしれない。
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