近年、固定電話の保有率が減少する一方で携帯電話やPHS、スマートフォンなどのモバイル端末の世帯保有率は2021年現在、97.3%となっており(総務省 2022)、いまや我々の生活に欠かせない必需品となってきている。日常的な場面だけでなく各種契約や登録・申請、就職活動などその活用場面は多岐に渡る。現代社会においては1人1台保有することが当然のことであり、それを無くした際に果たして社会生活を送る上でどのような支障をきたすのかについては想像すら難しい。筆者は2020年夏から、定住する住まいを喪失した人々(以下、ホームレス)を対象に、彼らの生の声から彼らの日々の経験や実態について知ることを目的とした聞き取り調査を行っている。その中で明らかになったことの一つが携帯電話やスマホなどの通信手段を持たないために様々な困難を経験する「通信困窮者」の存在である。彼らの声からわかったのは、携帯電話の喪失が現代社会においては単なる“不便”のレベルに留まらないということである。特に住居を喪失し路上生活を送る者にとってその障壁はさらに高くなる。岡山市で路上生活を送るHさんは、住居と携帯電話を確保するために市役所へ相談に行った際の職員とのやり取りについて次のように語っている。
(Hさん/男性 51歳)
家と、まず携帯持ってないとなんにも身動き取れないと、そういう話をして。お金の貸付はできないんですけど、仕事の紹介はできますという話は聞いて。携帯の話は、貸付ができない状態だったんで。それはパーになったってことですね。家に住んでれば生活保護の手続きはできますけど、家もないわけですからね。(―携帯借りるにも貸付が)ちゃんとした住まいがないと信用してもらえないんで。
当時住居も仕事も所持金もなかったHさんはひとまず携帯電話だけでも確保しようと貸付の相談をしたが、住居がないため生活保護も貸付も受給できず、ただ仕事を紹介すると伝えられた。稼働年齢であるHさんにとって自立へと残された道は就職であったが、携帯電話の喪失は最後の道である就職活動へも大きな障壁となる。長期的に路上生活を送るOさんは就職活動時における経験を以下のように語ってくれた。
(Оさん/男性 60歳)
就職するんでも電話がないと採用してくれない会社が多いですからね。生活保護を受け取っても電話がないとハローワークへ行って求人に応募しても、面接受けても連絡先がないとね、企業側も採用してくれないからね。連絡取りようがないですから。
結局、最後の道であった就職への道も携帯電話がないために閉ざされてしまい、OさんとHさんは路上生活を余儀なくされた。OさんとHさんの語りから見えたのは、自立へ向かおうにも堂々巡りで行き詰まりの状態に陥ってしまった状態である。聞き取り調査の中ではこうした声を多く聞くこととなったが、現状は、携帯電話は生活困窮者にとっては単なる“贅沢品”、生活保護費にも通信機器にかかる費用は含まれない。つまり彼らの自立を支え社会と繋がるための必需品とは到底認識されていないのである。もちろん彼らの目の前にはその他にも様々な障壁が立ちはだかり、問題は複雑で見えにくい。私は彼らの声を聴き、その実態を明らかにし、社会の中で可視化していくことが研究者としての一つの使命と考えているが、それと同時に目の前で困窮した者の声を聴いた一人の人間として、何かできることはないか考えざるを得なかった。彼らの着実な自立へ何か少しでも変化を起こせるもの、小さくても具体的に動かせるものがあるとしたら、携帯電話の確保ではないだろうかと思い至り、2021年6月に生活困窮者を対象とした携帯電話無料貸出事業を開始することとなった。事業は開始当初は様子を見るため、提供団体を限定し10台の端末から始まった。しかし、いざ始めてみると当初の想定を超え貸出要請が多く端末数が追い付かなくなり、その後さらに2度、10数台ずつ追加購入することとなった。これまで約60名の方へ貸出を行い、岡山市内だけでなく他市へも普及し始めている。
事業を始めて改めて分かったことは、「通信困窮者」の多様さである。利用者の属性は40~50代の男性が最も多くなってはいるが、それ以外にも10代の高校生から70歳以上の高齢の方まで幅広い年齢層で携帯電話が必要とされていることがわかった。また、その用途も就職活動や住居確保だけに留まらず、学校や仕事先への連絡、一人暮らしを始めるにあたっての各所機関への連絡、市役所や病院等への連絡、口座開設、友達とのやり取りなど基本的な社会生活を送るための一助となっている。事業を始めることによって、その必要性と意義をより実感することとなった。生活困窮者の自立を支えることを目的に今後も継続して事業の拡大と普及に努めていくが、それと同時にこの事業は一民間レベルで行うものではなく、最終的には国や自治体レベルで行うべきものであると考える。本事業を通して通信困窮者の実態と公的な携帯電話提供支援の必要性を主張しつつ、少しずつ具体的で着実な課題の解決へ寄与したい。
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