「投資の判断は自己責任で」は、投資を促すコマーシャルの最後にかならず付けられるフレーズである。また、危険な国へ潜入するジャーナリストに対して、公的な保護を与えようとすると、「自己責任で行ったのだから」そんなものは必要ない、とのネットの書き込みも多い。それ以上に、格差が生じたとき、貧しいことは「自己責任」の問題であると見る人もいる。
これに対して、高齢者に対する姿勢は全くその反対だ。つまり、高齢者に自分のことを、責任を持って任せることは無理である、責任を持てるはずがない、高齢者自身だけでなく、その行動は、周囲に迷惑をかけるから高齢者自身が責任をもつことは無理だ、などの常識がある。高齢者に対しての「自己責任」は通用しないと言っているのである。つまり、投資を失敗したり、危険地帯に行き、捕まったり、貧乏になったりすることは「自己責任」であり、高齢者が自由に行動したり、車の運転をしたり、一人暮らしを「自己責任」でやることは認められないと言うことだ。非常に矛盾している。
高齢者の「自己責任」を認めない社会では、高齢者施設へ高齢者が入居して、何らかの原因で転倒すると、施設の管理が悪いと言われる。施設側は責められたくないので、危険を少なくしようとする。危険を少なくするためには、高齢者をできるだけ歩かせないように(車椅子を使うように)なる(車椅子の方が、効率が良いこともある)。外出して、車にはねられると問題はさらに大きくなるので、外出は禁止され、それを破ると「異常行動」レッテルを貼られ、ことによると「認知症」と決めつけられることもある。
こうなると一体、個人はどのように「自己責任」で行動すればよいのかを迷ってしまう。しかし、「自己責任」を持ち出す場合も、「自己責任」を否定する場合も、もとは同じ様な考えだ。つまり、行動は自分の責任で行うが、周囲はそれを温かく見守る、のではない社会環境である。行動は自分の責任とせず、周囲が監視すること、あるいは、行動を自分の責任で行うなら、勝手にすれば良いと考えることなどである。
そうではなく、自分の責任で事を行うので、責任の帰着は行った本人にあるが、社会はそれを否定せず、アニマルスピリッツ、意欲的行動、人権の尊重などの観点から支援しなければならない。このようなことが、社会の連帯に繋がり、ひいては、社会環境によって貧困に陥る人たちに対しても、「自己責任」のみに帰着できない要素を認めることにつながる。
当然ながら、社会の規律を守ることは必要なので、昔からいろいろの戒律が決められている※。人を殺してはいけないし、傷つけてもいけない。人のものを盗ってはいけない。これらの戒律を守る限り、行動は「自己責任」で行うことを原則としている。一般に自分に対しての「自己責任」を厳しく課している人は、他人に対して寛容なところがあり、自分に対しての責任が甘い人は、他人に対して自己責任を主張する傾向もある。
高齢者が介護施設に入ることは、死への階段を一歩登ることだと言う人もいる。つまり、「自己責任」を認められず、従って、「自由」もなく、他者に拘束された生活を送り続けることは、死への準備段階に等しいと考える。その上、日本ではこの期間が著しく長い。この状態は死への準備段階と称されても、生きている本人にその自覚が無い場合には、社会も無駄なことを行っている(社会保障費を無駄に使っている)し、高齢者本人も無駄な期間を過ごしていることになる。
問題は、高齢者が障害を背負ったときに、「自己責任」で、その危険を背負って生きて行くのか、高齢者の「自己責任」を否定して、周囲の環境を全く安全なものにしておくのかにある。生きて生活する場合の危険は昔に比べ格段に少なくなっている。しかし、障害があれば、その障害を負って生きるためには細心の注意が必要である。高齢者にも「自己責任」を課し、危険な世界を生きていくことを、高齢者以外の人間と同じように認めるべきだろう。
※モーゼの十戒;唯一神への信仰を求める第一戒に始まり、偶像礼拝の禁、神の名の尊厳、安息日の厳守、父母を敬うこと、以下、殺人・姦淫かんいん・盗み・偽証・貪欲などを戒める。
※仏教の五戒;
不殺生戒(ふせっしょうかい) - 殺生をしない
不偸盗戒(ふちゅうとうかい) - 盗みをしない
不邪婬戒(ふじゃいんかい) - 不倫などの道徳に反する性行為をしない
不妄語戒(ふもうごかい) - 嘘をつかない
不飲酒戒(ふおんじゅかい) - 酒を飲まない
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