マルチリンガリズムと母語教育  Multilingualism and Mother-Tongue Education

母語教育とは?


日本に住む外国にルーツを持つ子どもたちの支援について考える際、多くの人が「日本語教育」の重要さを指摘する。もちろん、日本語という、日本社会における公用語を身につけることは、子どもたちの学校生活や将来の進路などを考えるにあたり、重要であることは間違いない。

しかしながら、外国にルーツを持つ子どもたちにとって、当然、言語とは日本語だけを指すわけではない。自身、もしくは親の母国の言葉を家庭環境で話す子どもたちも少なくない。そうした子どもたちの「母語」の力を伸ばそうとする取り組みのことを「母語教育」と呼ぶ。

 

なぜ母語教育が重要なのか?


日本社会において日本語を母語として育った「マジョリティー」の人々にとって、母語教育がなぜ重要なのか、実感がわかないかもしれない。しかし、言語学の研究や外国にルーツを持つ子どもたちの支援に携わる人々の間では、その重要性が長年指摘されている。本稿では、主に大きく3つの母語教育のメリットについて述べたい。

 

① 認知発達上のメリット
バイリンガル、もしくはマルチリンガルとして、複数言語を習得することは、それぞれの言語の文化における価値観や視点を身につけることを意味する。その結果として、情報処理能力や柔軟な思考力を育み、認知発達の面で大きなメリットがあることが指摘されている(Cummins, 2011)。

 

② 日本語学習におけるメリット
Cumminsの「相互依存説(Linguistic Interdependence Hypothesis)」(2011)によると、母語と学習語(日本語)は、個別に習得されるものではなく、1つの言語における知識やスキルは、もう1つの言語に移転しうるとされている。これは、例えば、母語で算数の「分数」の概念を理解していれば、日本語においてもその概念を理解できる、ということを意味する。したがって、母語を伸ばすことで、日本語習得をうながすことができるのである。

一方で、この言語の性質は、裏を返せば、1つの言語において特定の概念を理解していないと、もう1つの言語においても理解が難しい、ということを意味する。したがって、母語が十分に発達していないと日本語の習得も困難となる場合が少なくない(高橋, 2007)。そうした「ダブル・リミテッド」の状態は、子どもたちの学習に大きな支障をきたすことが考えられる。

 

③ アイデンティティーの確立
母語確立・維持は、子どもたちのアイデンティティーにとっても重要である。子どもの母語はもろく、外国にルーツを持つ子どもたちが母語教育を受けずに日本の学校に通う場合、就学後2〜3年で喪失してしまうとされているが(Cummins, 2011)、そうすると、多くの場合、家庭におけるコミュニケーションに支障をきたすこととなる。特に、「ダブル・リミテッド」となり、母語も日本語も十分に発達していないと、家庭からも学校からも疎遠になってしまう可能性がある。そのような孤立した状態は、子どもの情緒発達において大きな問題となりうる。

また、学校で母語を否定されるなどの経験をすると、それは自身の文化的ルーツ、そして自分自身が否定されることを意味する。言葉とアイデンティティーは深くつながっており、母語を維持し、確立することは、子どもたちの自己肯定感を高めることにもつながるのである(薮田, 2019)。

 

日本における母語教育の課題


日本において、外国にルーツを持つ子どもたちが多く住む地域や「外国人学校」を中心に、母語教育が実践されている例が報告されているが、個々のコミュニティが独自に教材や教育人材を用意して実践している場合が多く、課題は少なくない(e.g., 加藤, 2021)。そもそも学校現場において外国にルーツを持つ子どもたちに対する日本語教育が徹底されておらず、地域の日本語教室もボランティア頼みという日本社会の現実において(米勢, 2006)、必然的に母語教育の優先順位は下がる。したがって、母語教育をいかに普及させていくか、というのが現段階における喫緊の課題である。

母語教育の普及に加えて、どのように母語教育を実践するか、ということも重要である。母語の習得におけるニーズや課題は、それぞれの母語の性質や、年齢・渡日時期によって大きく異なり(関西母語支援研究会, n.s.)、そうした個別性を考慮した母語教育を実践することが求められる。一方で、そのような母語教育を実践するには、多様な教材・人材が必要となり、様々な資源がなければできないことであると言える。したがって、現状では、きめ細やかな母語教育はできないというコミュニティは少なくないだろう。

しかしながら、外国にルーツのある子どもたちが、将来日本社会の一員として自信を持って生きていくには、日本語教育とともに母語教育を充実させることが必須である。特に、母語教育の日本語教育上のメリットを考慮すれば、子どもたちが両方にアクセスできることが重要になると言える。母語教育のメリットをより多くの人に知ってもらうことで、結果的に日本語教育だけでなく母語教育が社会的に支援されればと思うが、将来的には、母語教育を受けることは外国にルーツを持つ子どもたちの権利であると認知され、公的教育の一環となるべきであると筆者は考える。そのためにも、まず、私たち一人ひとりが、自分の住む地域における外国にルーツを持つ子どもたちの存在や母語教育の現状について知り、この問題を自分事としてとらえることが重要ではないだろうか。

 

 

参考文献
Cummins, J. (2001). Bilingual children’s mother tongue: Why is it important for education. Sprogforum, 7(19), 15-20.
加藤丈太郎, 2021, 「母語教育を日本語教育と両輪に――ミャンマー語母語教育『シュエガンゴの会』の取り組みから――」, 『多文化共生ポータルサイト』https://www.clair.or.jp/tabunka/portal/column/contents/115221.php 
関西母語支援研究会. n.s.,「多文化な子どもの学び~母語を育む活動から~」 https://education-motherlanguage.weebly.com/
高橋朋子, 2007,「ダブルリミテッドの子どもたちの言語能力を考える:日本生まれの中国帰国者三世・四世の教育問題」,『母語・継承語・バイリンガル教育(MHB)研究』vol. 3: 27-49. https://dl.ndl.go.jp/pid/10944420/1/1
薮田直子, 2019,「外国にルーツのある子どもの支援を考える(第9章)」, 『地域で考える子どもの貧困 : 東アジア諸国の外国にルーツを持つ子どもの支援と包摂型移民政策』: 33-37.
米勢治子, 2006, 「外国人住民の受け入れと言語保障——地域日本語教育の課題――」, 『人間文化研究』vol. 4: 93-106.

ソシエタス総合研究所 研究員相川 真穂
神奈川県横浜市出身。津田塾大学学芸学部国際関係学科卒業後、2011年に大学院進学のために渡米。メトロポリタン州立大学大学院修士課程(ミネソタ州)にて心理学を専攻し、移民・難民のウェルビーイングに関する研究を行う。2013年に修士課程修了し、その後一度日本に戻って障がい者福祉に携わる。2016年にクラーク大学大学院(マサチューセッツ州)の博士課程(社会心理学専攻)に進学し、周縁化、差別、抑圧などの問題について幅広く研究してきたほか、研究助手として性暴力防止プロジェクトにも従事した。2021年10月より、同大学院博士課程にて研究を続ける傍ら、橋本財団ソシエタス総合研究所の研究員として勤務する。
神奈川県横浜市出身。津田塾大学学芸学部国際関係学科卒業後、2011年に大学院進学のために渡米。メトロポリタン州立大学大学院修士課程(ミネソタ州)にて心理学を専攻し、移民・難民のウェルビーイングに関する研究を行う。2013年に修士課程修了し、その後一度日本に戻って障がい者福祉に携わる。2016年にクラーク大学大学院(マサチューセッツ州)の博士課程(社会心理学専攻)に進学し、周縁化、差別、抑圧などの問題について幅広く研究してきたほか、研究助手として性暴力防止プロジェクトにも従事した。2021年10月より、同大学院博士課程にて研究を続ける傍ら、橋本財団ソシエタス総合研究所の研究員として勤務する。
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