1994年7月午後4時ごろ、アメリカ南部チャールストンにあるオムニ・ショラムという5つ星ホテルのビジネス・ラウンジ。私がこれまで生きてきて受けた最大・最悪の屈辱的な体験をご紹介します。
当時私は、米国東部の首都ワシントンDCにある在日本米国大使館に勤務していました。現上皇・上皇后様が天皇皇后両陛下に即位されて間もない頃でした。両陛下による陛下として初のご訪米ということで外務省・警察庁とりわけ皇宮警察は経験したことのない、大イベントへ向けて準備中でした。私は、警察庁から出向していた関係で日本からの警察関係出張者(警察庁と皇宮警察)のロジ補助(※1)と両陛下の警護を担当してくれる米国シークレット・サービスのリエゾン業務、「先遣隊」という両陛下のご訪問先に「先飛び」してご訪問先における危険・脅威情報の収集と報告を行うという任務を帯びていました。両陛下が日本からワシントンDC入りされた後の第一訪問地として選ばれていた街、それがサウスカロライナ州の古都チャールストンでした。
チャールストンと言えば、米国南北戦争では南軍に属し「チャールストン・ダンス」で有名な南部の古い街で、市内には古くからの街並みが残された、歴史の浅い米国にとっては数少ない自慢の街です。7月のチャールストンは毎日うだるような酷暑と蒸し暑さが続く、出張者にとっては極めて不快な気候の街でした。その日は、午前中は両陛下のご訪問先の実地踏査、午後からは昼食を挟んでチャールストンの警察当局及び両陛下の身辺警護を担当するシークレット・サービスと簡単な打合せを済ませたあと両陛下のご滞在先でもあり私の滞在先でもあった、冒頭のホテルに戻ってシャワーを浴び最上階にある一部の選ばれた客のみがアクセスできるビジネス・ラウンジで単身寛いでいました。
オムニ・ショラムのラウンジには結構広々とした空間で、片隅には豪奢なバーカウンターが設えて有りバーテンダーも配置されていました。バーテンダーは、数人の旅行客を相手に大きな声でお喋りをしていましたが、私がラウンジに入るのを目視すると私の方をチラチラと見ていました。私はラウンジの出入り口付近に座り、ソーダを注文して当日の実地踏査状況と翌日に控えた天皇皇后両陛下のチャールストンでのロジ手順(※2)を反芻していた矢先
「ジャップなんかには上手いウィスキーは作れませんよね!」
という耳を疑う大声が飛び込んできたのはその時です。私は、一瞬何がおきているのか分からず状況を把握・確認する努力をしました。そして超一流ホテルのしかも選ばれた客のみしかアクセスできないラウンジで、あろうことかホテル従業員であるバーテンダーがラウンジ利用客である私の方を見ながら「JAP」呼ばわりするという暴挙が私の眼前で起きていることを認識しました。私はラウンジ内を見回し、他に客はいないか確認しましたがバーテンダーの周りにいる米国人と思しき数人を除いて私以外誰も客がいない状況だったのでバーテンダーが発した、日本人に対する最悪の侮蔑である「JAP」が私に対して投げかけられていることにようやく気付きました。
もともとチャールストンに居住する日本人が少ないこともあってか、日本人を目にする機会のない現地人は私を見て珍しかったのもあるのでしょうが、あろうことか私の存在を確認したうえで私を「JAP」呼ばわりするとはいい度胸だと思いましたが、翌日から天皇皇后両陛下がチャールストン入りされるということで私も事を荒立てる訳にはいかず、じっとその場にいました。すると、バーテンダーは再び、
「ジャップには上手いウィスキーなんて造れないですよね?」
と再びバーカウンターの止まり木に座っていた客に対して大声で私に聞こえるように私の方を向きながら話しかけるではありませんか。バーにいた数人の客のうちの一人は私の方を振り返り一瞥し、私が「おそらく」日本人であろうことを確認した後でバーテンダーをなだめるようにこう言いました。
「日本にもサントリーという酒造メーカーもあるし、日本のウィスキーも旨いと思うけど」
バーの客は一応私を気遣ってくれているんだな、こいつら全員悪意を持った奴らでは無いんだなと少しホッとした瞬間、更に追い打ちをかけるようにバーテンダーがこう言い放ちました。
「いやいや、JAPなんかにウィスキーが造れるはずないですよ!サントリーなんてクズですよ!」
これには流石の私もバーテンダーの敵意と悪意が私に向けられており、客である私を日本人だからという理由でその場から排除したいと考えているのではないかと思い至りました。
当時の私は、米国での任期も終わりに近い状態だったことから英語での口論(喧嘩まではいきませんが)は出来るくらいの語学力は有していましたのでバーテンダーに対して失礼である旨を告げるくらいはできたのですが、前述のとおり翌日に天皇皇后両陛下のご訪問を控えたタイミングで問題を起こすのは本意ではなかったので、そこはじっと耐えました。そして悔しい思いをその場に残してラウンジを黙って去るという選択肢を選びました。その後米国東部には民間人の社長として再び3年間ほど勤務するチャンスを得、数々の侮蔑や差別言動を耳にし、或いは体験しておりますが、このチャールストン事件以上の屈辱は味わったことはありません。人生で最悪の侮蔑を受けた現場にいながらにして、しかし言い返すことが出来ない状況下での悔しさと憤りはまさに筆舌に尽くしがたい屈辱でした。
日本人の多くが「米国人はトモダチ、良い人々」との印象を持っているなかで、数少ない体験ができたことは今思えばある意味ラッキーだったのかもしれません。
日本を含むどの国にも差別意識、今でいうヘイトは存在します。
屈辱的な体験をした者だからこそわかること、またやるべきことは、
◆自分の母国以外で受ける迫害、差別的言動や屈辱がどれくらい辛いのか
◆不慣れな外国に単身或いは家族で住み続けることのつらさや寂しさ、そして「痛み」
◆同じ体験を日本に居住する外国人或いは外国人旅行客に出来るだけさせたくない
◆差別のない社会を創造することは困難ではあるが、草の根的なムーブメントによって少しでも改善したい
ということです。
私は残された人生を日本人と外国人との共生のために、日本人の心と認識を「国際人」に近づけるような活動に捧げられたら本望だと考える今日この頃です。
※1 「ロジ補助」~「外務省ではロジスティック(兵站/へいたん=一般に、後方支援業務の一環)のことを略語でロジと呼びます。ロジ補助とは全体のロジスティックのうち一部を補助(アシスト)することを指します。
※2 「ロジ手順」~「ロジスティック(兵站)の手順」すなわち本稿では天皇皇后両陛下がチャールストン市内のどのルートを御料車で通行なさって何処の訪問先に向かわれ、その後ホテルにお戻りになられるまでの動線すなわち手順のことを意味します。
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