置き去りの54万人の障害者・彼岸花が見れる幸福を

地域移行として施設から自宅へと生活を移す事は難しく、また、そのまま施設に居ると国の政策から外れて置き去りにされている感じがするので書きます。

今、国は大規模な入所施設の新たな建設をやめ、グループホーム、デイサービス、訪問ヘルパーの拡充など地域で暮らせる政策を進め、精神障害者の長期入院も基本三カ月以内と定めています。

日本の障害者は、身体障害者が436万人で施設入所者の割合は1.7%、精神障害者は419万3千人で入院は7.2%、に対し、知的障害者は108万2千人いるうちの施設入所者は11.1%となっており、特に知的障害者の施設入所の割合が高くなっています。やはり知的障害があると自らの意思が尊重され難く、親や社会の意識に影響を受けやすいためでしょうか。日本では「障害者は障害者だけの世界で安心安全な施設で暮らせたら幸せ」という考え方のもと知的障害者の入所率が高いです。

施設入所・入院している障害者が約54万人以上いる中、そもそも「地域で暮らす」って何?
私の解釈を書くと、家族のもとや小規模な施設で福祉サービスを利用しながら一般社会と繋がりを持って暮らす事。施設に入所した障害者に話を聞くと、親が介助が出来なくなり、学校を卒業して何十年の間施設に入所した障害者が多かったです。確かに昔はそんな時代でしたが、今は障害者でも生き方の選択肢が増えて来たのに施設の中だけは時間が止まっているようでした。施設では1年に一度だけ外出が出来る話を楽しそうにしてくれて、あちこちへ行ったと言ってました。 

40年間施設にいると40回外出が出来る、と聞くと多いように聞こえますが、14610日の中のわずか40日しか外出が出来なく、外出だけが人生じゃないけれど、自分らしく生きれる時間がこれだけで、残りの14570日は 職員さんは精一杯明るく接してくれるけれど、食事、トイレ、風呂介助等で余裕がなく、その他のことはあまり何も出来ない状態です。この話はコロナの前に聞いたので今はもう少し状況が悪く、さらに毎日同じ生活かもしれません。

人って40年も生きていたら、怒ったり笑ったり喜んだり悲しんだり、時には失敗して落ち込んだり引き篭もったりしますが、すべてひっくるめたのが人生で、辛い事の方が多くても豊かな人生になる事もありますが、施設に入所した障害者は毎日同じ生活で感情の変化に乏しくて、人らしく暮らすために地域移行が必要といわれています。

本当に人らしく暮らすためには、地域移行が良い方法なのか?
私は入所した障害者の話を聞いてるうちに疑問に思えてきました。地域移行は理想ですが、時間がかかりすぎるし、現実性が乏しく、また実際に地域移行をした人を見ても、昼間は通所施設に通い、夜はグループホームや在宅でヘルパーなどを利用しながら過ごす、という生活で、地域との繋がりはほとんど無く、なんで地域移行をしたの?と思う事も多いです。

障害者権利条約に、障害があっても居住の権利があり、どこに住もうが行政は福祉サービスの提供の義務があるから地域移行がうたわれ始めました。しかし、よく考えると入所施設で人らしく暮らせるだけの福祉サービスが使えない事が問題の本質です。施設では入所すると利用できる福祉サービスが極端に制限されることについて行政に理由を尋ねると、入所施設は生活に困らないだけの人員がいるので、その他の福祉サービスの利用は認められない、という回答でしたが、これを変えるだけで人らしく暮らせるのでは?

理想は地域で暮らす事だけど、夢が描ければ施設でもよく、地域移行はどうでも良いから、施設の中の時計の針を進める事が大事です。国の政策は地域移行というスローガンに問題の本質を隠し、本来やるべき事をやってないのに、障害当事者団体も地域移行に関しては声を上げますが、施設入所者の生活改善には意識が低いです。理由として、障害当事者団体には地域移行が出来た人やもともと地域で暮らしている障害者が多く、施設入所者がほとんどいないからではないでしょうか。施設入所者54万人いるうちのわずかな人しかできない地域移行に力を入れて後はそのままです。大規模施設をグループホーム化して柔軟に?福祉サービスの利用を認める事が地域移行より大事だと私は思います。

16年間の安全な入院生活から今は医療ケアの研修を受けたヘルパーさんと在宅で暮らしている私の友達に、16年も何してた?と聞くと、「毎日毎日やる事がないので壁の模様を数えてた」と言ってました。この話を聞いたときは、彼岸花が満開の時期でした。16年間というと、32回もこの真っ赤に染まる風景を見る事ができるのに、それも無く過ごしたのか~と残念に思いました。私も少し施設で暮らしたけれど、温度管理がされていて春夏秋冬の感覚がなくなり、人として当たり前に感じる[寒い暑い涼しい暖かい]こんな感覚もなくなるし、普段何気なく感じられる事が施設や病院では乏しく、、これが安心安全の暮らしです。

こういう人がまだまだ無数にいる中で、地域移行は形だけ。わずかな障害者を地域で生活させて多くは社会との接点がほとんどないままです。そして、介助者や通所施設の中だけの世界で生きる障害者をモデルにして後は何もしないという、これが障害者権利条約後の日本の障害者政策です。

地域移行という施策にこだわって、年に1回の外出しかできず、彼岸花も見れない施設入所者の生活を改善しない福祉政策が日本社会の問題に連結しているような気がします。

「夢を叶える145」ライター宮村孝博
1974年10月22日 誕生
1980年 城山養護学校小学部(現在城山特別支援学校)に入学(丁度その前年に、障害者の義務教育が開始)
1992年 城山養護学校高等部商業科卒業。と同時に、父が運営する関金型に就職。母の手を借りながら、部品加工のプログラムを作成。
2003年 父が亡くなり失業。母も足の難病に罹り、障害者二人暮らしが始まる。
2006年 「伝の心」と出会う。
2017年 「夢を叶える145」ライターデビュー 「チャレンジド145」プロデュース
趣味、囲碁、高校野球観戦
春と夏の甲子園の時期はテレビ観戦のため部屋に引き篭もる
1974年10月22日 誕生
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