自己家畜化と現代社会

家畜化は、生き物に対して、他からの(人間による)働きかけで行われるが、自己家畜化、self-domesticationとは、他からの働きかけなしに、家畜化が進行することである。自己家畜化は、人類特有の現象である。それは、現代社会にどのように影響しているのだろうか? それを問うためには、まず、家畜化とはどのようなものかを考えてみよう。

ソ連時代、1959年遺伝学者であるドミトリ・ベリャーエフは、モスクワから遠く離れたノボシビルスクで野心的な研究を行った(ソ連共産党は遺伝学が嫌いだったために田舎で密かに行わなければならなかった)。対象はキツネである。普通キツネはあまり人懐こくはないが、その中でも人に寄ってくるキツネを選び、選んだキツネ同士を交配し、さらに、その子供の中で人懐こくなっているキツネ同士をまた交配した。彼らはその交配を十数年間、数十世代にわたって行った。その結果は驚くべきものとなる。まったく野生のキツネと違ったキツネが誕生したのだ。キツネの家畜化である。そして、飼いならされたキツネは、垂れた耳、巻いた尾、小さい歯、短い鼻面などの家畜に特有な特徴を備えていた。また、身体性以外の社会的な変化も生じている。家畜化以前には、単独で生活していたキツネが、家畜化されると集団での生活を行うようになる。性格は穏やかになり、集団内での揉め事は少ない。

人類は、狩猟採集生活を行っていた時代、個別型の社会だった。集団は30人を超えなかったし、集団内でも、自主的に生活しつつ、お互いに協力することが出来た。しかし、この協力関係は集団内だけで、他の集団との間には協力関係は乏しかったし、争いも絶え間なく生じていた。つまり、生来の協調性はあるが、それほど強いものではなかった。

現人類の直接祖先であるホモ・サピエンスが他の人類、例えばホモ・エレクトス(直立原人)やホモ・ネアンデルターシス(ネアンデルタール人)に比べ、能力や腕力で勝っていた証拠はない。むしろ劣っていた可能性が高い。それでもホモ・サピエンスが現在の繁栄を迎えたのは、集団内でお互いに協力する、協調的な遺伝子を持っていたからだと言われる。この協調的特徴は、狩猟採集時代から農耕社会に入り、集団が大きくなると、より強く進化に作用した。ホモ・サピエンスが、もともと協調的なので、大きな農業社会が出来たのか、農業の技術的な進歩があったところにホモ・サピエンスの協調性が寄与したのかわからない。いずれにしろ、多人数の集団、例えば数百人から数千人の集団で暮らすためには、協調性がもっとも重要な要素となる。ホモ・サピエンス以外の人類では、出来なかったことだ。この時代からホモ・サピエンスは、自発的に家畜化(自己家畜化)の道を歩むことになる。

大集団で暮らすためには、社会の決まりに従うことが必要だ。個々の人間が自分たちの欲求のまま生きていると社会が混乱する。もともと持っていた協調的な性質に加え、大きな集団で求められたのは、いろいろの制限、規則である。ホモ・サピエンスは、集団を大きくすると同時に、色々の決まりを作り、他者からの強制でなく、自分たち自身で自分たちを統制する過程に入っていった。暴君が人民を抑圧したのではない。人類の自己家畜化傾向は文明の進化とともに大きな役割を発揮した。

家畜化の特徴とは、次のようになる。まず、第一に生きるための食料やねぐらを自分で調達するのでなく、飼い主から提供されることだ。その結果、生理的欲求(特に食物)の大部分が解消される。また、第二に安全も保障される。草食の哺乳類の多くは、つねに肉食獣の餌食になる危険があるが、家畜では飼育主が最大限の努力を行い、その危険から守ってくれる。第三に、自然の災害、例えば低温、熱波、洪水などからも守られる。つまり、家畜化は安全のために、自由を手放した状態であると言える。ホモ・サピエンスが作り上げた農業社会では、集落には厳密な掟があり(いくつかの掟はなぜそうするのかの理由もわからなくなっている)、掟を守ることによって、集団内で、あるいは領主から安全を保障されていた。結果的に社会は、良くも悪くも停滞した。

近世になり、都市化によって、人々が農村社会の緊密な状態から、民衆を縛る掟もない個人が独立した状態に移ると、自由な思想が芽生えて、自己家畜化傾向が低下したように思われた。近代の資本主義社会では個人の意志が尊重され、自由で民主的な生活を送ることが出来るようになったのだ。人々はかつての暴力による支配の代わりに、貨幣に価値を見出し、金によって世界を支配するようになった。商才があれば、大きな権力を握ることが出来るようになった。しかし、現代に至り、資本主義が更に進展すると、貧富の格差が生じ、社会の不安定感が強くなる。驚くべきことに、それまでどちらかといえば、民衆を抑圧していた国家の、社会に対する働きかけが期待されるようになったのだ。そこで、再び、自由を差し出し、安全を願うような傾向が強くなって来る。つまり、自己家畜化傾向が、再び世界的に強くなったのだ。安全に限界はないが、少しでも安全にということが世界の欲求となっていく。

太平洋戦争後の日本では、アメリカの保護のもとに、経済の拡大が続いた。いわば安全を保障されている状態だ。東西の冷戦が解消され、多極化世界となり、もはや安全が保障されず、自由と安全の関係を自分で選択することを強いられると、日本の経済発展は急速に停滞した。冷戦収束後の1990年から現在まで30年間の状態を見ると、一時的な問題というよりも、根本的な問題が日本には存在しているように思われる。現代では、安全が最も重要であり、危険な行動は禁止されるべきものとみなされ、住民が決めた基準に沿った、安全な生活が求められるようになった。このような世界では、アニマルスピリッツは、無謀な企てとして退けられ、安全な行動が求められる。それは、自己家畜化の進展である。自己家畜化が人類にとって悪かったわけではない。しかし、現代の日本では、自分で考えることをやめ、昔からの習慣や、住民相互の監視によって、安全のために行動を「自主的に」制限している。集団で何かに頼って生活することをやめ、自分で自由に考えて行動する原則をみんなが決意しない限り、日本の低迷は続くと思われる。

公益財団法人橋本財団 理事長、医学博士橋本 俊明
1973年岡山大学医学部卒業。公益財団法人橋本財団 理事長。社会福祉法人敬友会 理事長。特定医療法人自由会 理事長。専門は、高齢者の住まい、高齢者ケア、老年医療問題など。その他、独自の視点で幅広く社会問題を探る。
1973年岡山大学医学部卒業。公益財団法人橋本財団 理事長。社会福祉法人敬友会 理事長。特定医療法人自由会 理事長。専門は、高齢者の住まい、高齢者ケア、老年医療問題など。その他、独自の視点で幅広く社会問題を探る。
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