終末期を考える-逝く人来る人

20年も前の頃、まだ当地域に救急患者さんを受け入れてくれる公立病院がなかったころの話です。当院は救急指定病院ではありませんが、当時は私もまだ若かったですし、併せて当時勤務してくれていた若い先生方の熱意もあって、そして何より、地域の患者さんからの要請もあったため、結構(当院に受診歴のない患者さんも含めて)救急患者さんを受け入れていたものでした。
 私自身は、卒後お世話になった二つ目の研修施設(今で言う後期研修でしょうか)が救急指定病院であったことから、常勤と非常勤を合わせて5年間、救急医療に携わる経験をさせていただきました。そのお陰もあって、当院に「外科(げか)部長」として赴任したものの、実は「怪我(けが)部長」としてではなかったかというほどに外傷患者さんを診させていただいたことでした。どの職業でもそうでしょうが、無駄になる経験はないということを実感したことでした。

そうした救急患者さんの多くは、当院が胃腸科をメインにしていることから、腹部症状を訴えている患者さんが多かったように思いますが、外傷や循環器、呼吸器に絡んだ病気も受け入れなければなりませんでした。そして、今ならすぐに三次救急に送るような重症患者さんを受け入れることもあったわけで、今から考えてもよく頑張っていたのだと思えています。現在は、そうした患者さんは、高次の救急施設へお願いしていますが、そうした救急の現場で頑張っておられる先生方には、改めて敬意を表したいと思うところです。
 さて、そうした中で、ある病室で力尽き亡くなる方を看取ったその足で、病状が回復し、笑顔で今後の治療方針を説明させていただくといったことも何度か経験することになりました。こうした時に想うのが、題名にした「逝く人、来る人」ですが、後者は正確には「戻ってきた人」とするべきかもしれません。そして、最近になって、(70歳に近くなった歳でも頑張っている)当直の寝こみを襲うように鳴り響く救急要請の電話を取るたびに、こうした経験を、昨日のことのように思い出すことになっています。

ところで、救急患者さんを受け入れて下さっている施設ごとに、どういう対象患者さんを受け入れ扱っているのかによって、自ずから「終末期」の様相も変わってくるのだろうと想像しています。三次救急を取り扱うような高次救急施設は元より、一次や二次を扱う救急施設でも、その医療行為は突然の出会いで始まるわけで、最初のほんのわずかな判断ミスから、後にもたらされる結果が大きく変わることもあるわけで(そうした時には、往々にして悪い結果になるわけですが)、常に緊張を強いられることになります。また、幸いにして回復された場合には、それぞれの疾患に応じた専門の病棟や病院へ移ることになるわけで、本格的な救急施設の多くで、救急医が元気になった患者さんの退院に立ち会うことは少ないようです。こうなってくると、治療を成し遂げた達成感が得られなくなることもあるわけで、時にはこちらの問題の方が肉体的な疲労以上に精神的疲労を強いることになるようです※。
※:以前に救急医学会の演題の項目を拝見したことがありますが、「救急医のメンタルケア」というシンポジウムがあったと記憶しています。その時には、拙い自分の経験と併せて、救急の分野では切実な問題なのだと納得したことでした。

 

一方、救急患者さんでは、医療をする側から観て「生き死に」の境を彷徨っていると判断される時期には、痛みを感じていなかったと言われる方が多かったように記憶しています。治る(というより、もっと直截な言い方をすれば、「死なずに済みそう」、「アチラから戻ってきた」という)兆しが見えてきた頃から、痛みや苦しいという感覚が戻ってきたということですが、やはり痛みなどの感覚というものは「生きている」ことの証なのだということが確認されたことのように思えています。

救急の現場では、「救急を長くやると手が荒れる」と言うことがあるようです。あくまで個人的な解釈とお断りした上での話ですが、ここで言う「手が荒れる」とは、いろいろな処置は速くはなるが雑になるといったくらいの意味合いと了解していました。併せて、人の痛みに鈍感になり、果ては人の生き死にすらも気に掛けなくなるとでもいった「心」の荒廃をも意味していたのではなかったかと、今になって考えています。全ての救急医がそうなるということではないのでしょうが、当時、そう進言してくださった先生からの警告であったのではなかったかとも感じています。私自身は、先にも書いたように5年間救急病院に勤務した後、大学病院を経て今の職場に赴任しましたが、今でも、普段の医療にも通じる言葉であると胆に銘じています。ただ、救急医の名誉のために付け加えれば、極めて高度な判断と的確な手技を求められる救急現場では、いわゆる感情や感傷といったものが治療の邪魔になる場合もあるわけで、そうした中で、まさに救命することに情熱を持って頑張っておられるのが救急医であると申し上げたいと思います。この意味からも、若い先生方には、内科や外科といった枠にとらわれずに、こうした救急救命の現場を短期間でも良いので経験されることをお勧めしたいと思っています。

ところで、ここ数か月の期間、目の前で起こっている国際的な紛争といった現実を見る時、「終末期」を考えられる、あるいは持てるということは幸せなことなのではないかと考えるようになっています。それは、「終末期」とは、「生」から「死」への準備をする期間、移行期とでも言い換えられるのではないかと思うようになったからですが、生きとし生けるものの唯一無二の摂理であればこそ、最近で言うところの「終活」にも通じる最後のイベントに向けて持ちたい時間ではあります。どうやら、個人にとっての平凡な「生」とその延長線上に訪れる穏やかな「死」、そして去り逝く人に対して、心を込めて葬送ができる人々の営みがあるということほど、人間にとって自然で幸せなことはないのではないかと思い始めています。

医療法人 寺田病院 院長板野 聡
1979年大阪医科大学を卒業後、同年4月に岡山大学第一外科に入局。
専門は、消化器外科、消化器内視鏡。
現在の寺田病院には、1987年から勤務し、2007年から現職に。
著書に、「星になった少女」(文芸社)、「伊達の警察医日記」(文芸社)、「貴方の最期、看取ります」(電子書籍/POD 22世紀アート)、「医局で一休み 上・下巻」(電子書籍/POD 22世紀アート)。
資格は、日本外科学会指導医、日本消化器外科学会指導医、がん治療認定医、三重県警察医、ほか。
1979年大阪医科大学を卒業後、同年4月に岡山大学第一外科に入局。
専門は、消化器外科、消化器内視鏡。
現在の寺田病院には、1987年から勤務し、2007年から現職に。
著書に、「星になった少女」(文芸社)、「伊達の警察医日記」(文芸社)、「貴方の最期、看取ります」(電子書籍/POD 22世紀アート)、「医局で一休み 上・下巻」(電子書籍/POD 22世紀アート)。
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