子どもが生まれた時、その父親は誰かということを定める法律が日本には存在する。それが民法772条「嫡出の推定」である。近年、社会問題化した無戸籍児の問題に関し、法務省は今年1月時点で把握できている無戸籍の人は全国で825人であり、このうちおよそ7割にあたる591人がこの民法772条が背景であったことを明らかにした(2022.2.13 朝日新聞掲載)。これを受け同法および関連する法の見直しが進められることとなった。これらの法の何が問題だったのか、そしてそれらの見直しが進められる言論の中で隠されてしまった「抑圧される女性の主体性」ついて述べたいと思う。
まず民法772条とは。1.妻が婚姻中に懐胎した子は、夫の子と推定する、2.婚姻の成立の日から200日を経過した後又は婚姻の解消もしくは取消しの日から300日以内に生まれた子は、婚姻中に懐胎したものと推定する。つまり同法では女性が婚姻中もしくは離婚後300日以内に子どもを産んだ場合、その父親は自動的に婚姻関係にある夫であると定められている。この法の何が問題だったのか?
具体的な事例を想定して考えてみる。例えば、夫婦関係が破綻し離婚はしていないが長期の別居状態にある夫婦で、女性には新たなパートナーがおりそのパートナーとの間に子どもが生まれた場合。現民法に則ると戸籍上の父親は婚姻中の夫となってしまう。離婚が成立していたとしても離婚後300日以内に新たなパートナーとの間に子どもが生まれた場合も同様である。要するに、夫婦関係が完全に破綻していたり、例えばその関係破綻・離婚の原因に配偶者によるDVがあったとしてもその背景に因らず現民法では戸籍上(元)夫の子どもとされてしまうのである。そのため母親である女性が(元)夫との接触を避け出生届を出さない、これが「無戸籍児」の問題を生み出す大きな原因の一つとなっていたのである。
さらに問題なのは、(元)夫と生まれた子どもの親子関係を否定(嫡出否認)する権利が基本的に夫(男性)側にのみ認められているということである。母親である女性側から父子関係を否認する場合には複雑な手続きを踏む必要があり、男女で権利の不平等が生じている。
また、これに関連し女性の主体性を侵害している可能性のある法として民法733条があり、これは妊娠している女性に対し、元夫と現夫で子の父親が重複する可能性が出てくることを理由に女性に対し離婚後100日間(2016年までは離婚後6ヶ月間)再婚を禁止するものである。つまり、女性にのみ再婚の自由が制限されているということである。今回民法772条の見直しに伴い元夫と現夫で子の父親が重複するという事象がなくなるため、民法733条の廃止も併せて検討されている。ただし、ここで一つ重要な視点として女性の自由が制限されているという点からの廃止ではない、ということを述べておきたい。
冒頭で述べたように「無戸籍児」の問題が社会問題として取りあげられたことからこれらの一連の法が持つ問題点が露呈し見直しが進められることとなった。ただ、ここで伝えたいことは、女性の主体性を制限し男女の不平等が黙認されていたこれらの法が制定(1898年)されて以降、今回の見直しに至るまで124年もの間改正されることなく存続していたということ、そして今回の見直しはあくまで「無戸籍児の問題解決」つまり子の権利保障が目的であり、女性の権利保障や主体性の侵害に関する問題は主要な争点とはなっていないということである。民法とは市民相互間の権利義務関係を定めたものであり、つまり私たちの諸生活に最も身近な法と言える。その民法の3原則の一つには“権利能力平等の原則”があり誰でも平等に権利義務の主体となれることが謳われている。しかし、今回の民法見直しに関する一連の論争からは女性側(妻・母親)の権利に関する視点の欠如が見られ、女性の意志や存在が感じられない。多少大袈裟な表現にはなるが、これらの民法において女性の立場というものが妊娠・出産という機能面だけで管理され意志の持たない存在として扱われているのではないだろうか。これまで120年以上もの間大きな改正が行われることなく存続してきた民法だが、2020年に現代社会に適応させることを目的に全面改正法が施行された。しかしその内容は主に契約等に関する「債権法」分野の改正となっており、民法772条および733条の見直し論争に見られるように現代日本社会において大きく価値観や考え方が変化しているジェンダーの視点はいまだおざなりにされたままである。
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