ブッダは、何不自由なく生活しているときに、突然、自分はやがて死んでいかなければならない存在である、と知った。死にゆく存在である自分を見つめること、すなわち、現実の実態を見つめることが、自分は何のために生まれて来たのか、本当の生きる目的を求める第一歩なのだということに気付いた。死の向こうには、天国や極楽があるのはなく、無が存在する。そして、地球上のすべての生き物は、死に至る運命にあり、意識の消失とともに無に至る。しかし、物質的に考えると、大きな宇宙の中で、死に至った存在は他の物質に転換され常に変化し存在を続ける。一定のところに留まるものはないと知ったのである。死んだ生物の身体は鳥によってついばまれ、あるいは、バクテリアによって分解され、地球の一部となって存在するのだ。これが「諸行無常」に示されている。
人生で、死ぬほどの重大で決定的な事件はないのに、人間はこのような死にまつわる変化を忘れて生きているように思われる。「諸行無常」の考えは、人生最大の重大事が何かを思い出させてくれる。死を考えずに生きると、目の前の現実(その多くは些細な事だ)に気を取られる。一方で、人が死を知らないかといえばそうではない。すべての人は死にゆく定めは理解しているが、さて、そのことにどう対処してよいかわからない。結果的に考えることをやめてしまう。
また、一部の人は、死を否定し、死後の世界を思い描く。多くの宗教が死後の世界を提示することで、信者を集めている。特に、現世が苦難に満ちている時には、死後の世界に現世の救済を求める場合もある。それはそれで、死後の世界を信じることが出来るのは良いこととも思えるが、果たして科学的知識に染まった現代人の常識にそって考えると、死後の魂は本当に実在できると思っているのかどうか疑問である。所詮それは、死後の世界を信じている人のみの考えであり、多くの人が死後の世界を信じられず、死に怯え、死を考えず生きていることが実態だ。その結果として、現世に過大な期待と、わずかばかりの快楽を求めるようになる。
一人の人間の中で、死すべき定めと、日常的現実との関係はどのようになっているのだろうか? 死を意識しないのは、意識出来ないのでなく、死を考えることが恐怖だからである。その反対に、死を目前にした人は、現在生きていることが素晴らしいと感じられるという。私たちの多くは、死を眼前にしていないので、あるいは死を考えることを避けているので、現在生きていることの素晴らしさを感じることができないのかもしれない。
しかし、それでも死を考えること、そして魂の存在を抜きにすることは難しい。それは、自分という存在に関してのことである。ブッダによれば、全てが無常であるとすれば、自分という存在も無常の一部に入るはずであり、そもそも確固たる存在とはいえない。自分というものをすべての基盤として考えると、世界は永遠に続くような幻想に囚われるかも知れないが、振り返るとそうではなく、自分もいずれは死者の列に入ることは確実であると分かっている。しかし、日常ではその考えは消失して、自分の永遠性を元にして考える習慣がある。現実の考えと「諸行無常」との間の隙間を埋めようとはしない。日常にこそ、「諸行無常」は登場すべきだし、「諸行無常」の考えから日常を考える必要もあるのではないか。そこに、「無我」が生まれる可能性がある。
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