文化がヒトを進化させる エピジェネティック的(DNAの配列変化によらない遺伝子発現システム)進化

一般的に進化は、遺伝子が突然変異によって書き換えられ、違う性質を持った個体が出現し、その後自然淘汰、適者生存によって、(たまたま)すぐれた性質を持った個体だけが生き残り、適さない資質を持つ個体が絶滅することによって進行すると考えられている。この進化は、遺伝子の(たまたま)起こる突然変異によって起動される。しかし、ジョセフ・へンリック※によると、文化的環境も、集団を一定の方向に誘導する適者生存の圧力として作用し、文化的進化によって、集団自体も生き残る確率が高くなるという。例えば、石を道具として用いることを覚えた個人は、属する集団にそのことを伝える。結果的に、その方法が広まれば、集団は便利な石器を使う習慣が出来て、他の集団よりも生き残る確率が高くなる。文化的進化とはこのようなものである。もちろん、文化的進化は遺伝子進化とは別である。文化的進化においては、遺伝子は変わらない。石を道具として使った集団には、遺伝子変化はない。しかし、文化によって「進化論的選択圧」がかかる長い年月を想定すると、集団としての文化的進化が遺伝子に影響を与える場合もある。

文化的進化に伴う身体変化(遺伝子変化によるもの)が、いくつか分かっている。これは通常考えられている、遺伝子の変化(多くは突然変異)が生物の行動を支配することとは異なる視点である。身体変化は、遺伝子変化が起こっている証拠となるが、これには文化的進化が先導した遺伝子変化も含まれる。この文化的進化が遺伝子変化に及ぼす影響は、文化的進化がない場合の自然状態においての遺伝子変化(突然変異によるもの)よりも素早く生じる。例えば、次のような例がある。

① 言語を発する機能が高まることによって(言語を話すことが求められるに従って)声帯の位置が変化する(下にさがる)。言語を多く使うグループはそうでないグループより、生き残る確率が高い。そして、声帯の位置が低い集団が多数派となる。これは、文化的進化が遺伝子変化を起こす例である。
② 腸管の構造も文化的進化とともに進化する。加熱調理は消化機能の負担を大幅に軽減する。熱を使って調理するグループのほうが飢える確率が低く、生き残る確率も高くなる。熱を使って調理する集団、つまり、腸管が短い集団が優位となり、次第に一般的性質となる。
③ 獲物を狩る場合の文化的進化(狩りの道具ややり方)は、長距離走の能力が高い集団を多数派として、人類の遺伝的変化を招き、結果的に身体的能力を大幅に変化させた。長距離走の能力が上がったのは、筋肉など体の構造の変化と、体温調節の能力向上がある。これらは、いずれも文化的進化が、遺伝子変化を急速に起こした例である。
④ 人間はラクターゼ活性持続(ミルクに対する耐性)が通常5歳までに停止し、それ以降はミルクを飲むことができなくなるが、その活性が持続する(ラクターゼが産出される)場合がある。これは、羊やラクダが家畜になってから、その乳を子供に飲ませるようになった後、家畜を飼う文化的変化が遺伝子変化を招き、大人も乳を飲めるようになった。文化が遺伝子に影響を与えた例である。

また、昔からの風習は科学的根拠がないものとみなされ、単なる迷信に過ぎないと片付けられることがあるが、意外にしっかりとした根拠が見つかる場合もある。

例えば、植物や動物の多くはそれを食べた場合、急性中毒性と慢性中毒性を持っている。急性中毒はわかりやすいが慢性中毒はすぐには起こらない。しかし、10年後の死亡率上昇によってその植物を食べている集団は、ついには死滅する。植物はそれぞれが生き残るために、いろいろの毒素を進化させている。毒抜きをしなければ食べられない場合のほうが多い。自然の生の多種類の食べ物に頼る集団は、慢性中毒によって死滅する可能性もある。火を加えて加工することはこの被害を未然に防ぐ効果があるのだ(現代の多くの人は自然の新鮮な食べ物は純粋で安全というイメージしか持っていない。それは、食材をすべてスーパーマーケットで購入し、人工的な環境で生活しているからである)。

また、人間は模倣が得意で因果関係を重視するが、物事はランダムに起こる場合が多い。人間は指し手をランダムに変えることは苦手である。何らかの架空のパターンを作り上げ、それに従った行動を取る。例えば、戦争で勝つと、その戦略をパターン化して使おうとするが、戦争で勝利したのは、偶然によることも多いのだ。多くの古代文明で行われる戦争の前に占い師が登場し、戦略を指示するのも、人間が作った架空のパターンを防ぐ効能が大きい。人々は先祖由来の風習になんの意味があるのかを理解していないが、その理解していないことが重要だとも言える。

最後に、家畜化した生き物は、二度と自然へは戻ることができないが、家畜化した犬、豚、馬などと同様に、人間が集団を作ると人間の自己家畜化が起こる。なにごとも集団の規律を守り、自分を律する。その規則がなぜ作られたのかは、今ではわからないことも多い。しかし、集団の規則に従わないと罰を受ける場合がある。多くの場合、集団の規則は、かつては生き残るために有利に働くものだったのだろう。最初の理由は忘れ去られて規則だけが残っていることも多い(例えば小学生の制服、ランドセルなど)。自己家畜化の最も明らかな特徴は、自由を捨てて、安全な道を求めることである。

これら文化的習慣が人類の進化に与える影響は多大であると言える。一般に生き残るために良い文化的習慣は人類を進化させるが、時には、選択された習慣が、人類に悪影響を与える場合もある。化石燃料の大量使用、原子力、人類を含めた生物に対する遺伝子操作などは、人類を滅亡に追いやる可能性もあるのだ。

※ジョセフ・へンリック「文化がヒトを進化させた―人類の繁栄と〈文化-遺伝子革命〉」

公益財団法人橋本財団 理事長、医学博士橋本 俊明
1973年岡山大学医学部卒業。公益財団法人橋本財団 理事長。社会福祉法人敬友会 理事長。特定医療法人自由会 理事長。専門は、高齢者の住まい、高齢者ケア、老年医療問題など。その他、独自の視点で幅広く社会問題を探る。
1973年岡山大学医学部卒業。公益財団法人橋本財団 理事長。社会福祉法人敬友会 理事長。特定医療法人自由会 理事長。専門は、高齢者の住まい、高齢者ケア、老年医療問題など。その他、独自の視点で幅広く社会問題を探る。
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