「迷惑」のポリティクスについて

「迷惑をかけないように」

こうした言葉は、先生から生徒、親から子供、また経営者から従業員に対して使われます。電車の中でも「他のお客様の迷惑になりますので、携帯電話のご使用はご遠慮ください」というアナウンスが聞かれます。

満員電車に大きな鞄を抱えて乗るとき、自分が他の人に迷惑をかけていると感じたり、あるいは、他の人が同様の行為をしたときに迷惑だと感じる、といったことは、誰しもが経験したことがあると思います。

「人に迷惑をかけている」「あの人の行動は迷惑だ」と思うことは、日常生活においてよくあることであり、時には善意を伴うものであることから、人と人との関係性において避けては通れないものであると言えます。他の人と一緒に暮らすことにより、必ず生じてくる感情の一部でしょう。それは親近感から切り離せない感情です。そして、「迷惑」のような概念は、もちろん日本だけのものではありませんが、私がこれまで暮らした場所と比較すると、日本でより多くこの言葉を耳にします。

「他の人に迷惑をかけないような子になってほしい」と思って子育てをしている人も少なくないように、「迷惑をかけない」という概念は社会の調和に良いもの、必要なものだ、と言う見方もあります。ここで私は、概念自体は問題としていません。また、「迷惑」だと感じたり、「迷惑」という言葉が使用されるすべての場面において問題があるとも思っていません。

私が関心を持っているのは、この「迷惑」という言葉が特定の人やその人の行動を評価するにあたり、どのように機能するか、ということです。より具体的に言うと、「マジョリティー」の人々にとって普遍的なものとそうでないものを選別するのに「迷惑」という言葉が使われ、結果として、特定の人々が権利や自由権を行使することを妨げうる、ということが、私が懸念していることです。

例えば、職場で従業員が妊娠した際、周りはどのように反応するでしょうか。「育休・産休取得は職場に迷惑をかける」と思う人は、職場によっては少なくないかもしれません。

特定の人物やその人の行動が「迷惑」だとされる際、誰かがそのように評価することによって初めてそのラベリングが適用されるのであり、そうした他者の判断なしに「迷惑」となることはない、というのは言うまでもありません。そうした評価は解釈的なものであり、客観的なものでも、時間や場所を超えて普遍的なものでもありません。

日常の場面において「迷惑」という言葉が使われる際、そうした「評価する人」と「評価される人」の関係性があることが曖昧になりがちですが、「迷惑だ」という評価は、世間一般的に、「マジョリティー」の立場から、常識であるとされる価値観をもとに下されるものであると言えます。

どのような人、どのような行動が「迷惑」と呼ばれる傾向にあるのでしょうか?また、特定の人や物事が迷惑であると評価されることによって、人々の行動をどのように規制しうるのでしょうか?そうした評価の背景には、どのような価値観や社会的構造があるのでしょうか?つまり、それは何のため、誰のために機能しているのでしょうか?

これらの質問は、移民女性の妊娠をめぐる権利意識と権利行使について研究するにあたり、重要なものであると考えています。ここでは、私の研究とも関連する、ローレン・ベルラントの『On the Inconvenience of Other People』(2022年)から、「迷惑」のポリティクスに関する理論をご紹介します。

「迷惑」に関する理論

「迷惑だ」という感情は、社会的な摩擦や圧力によって生じる感覚であると言えます。それは、人々が「(とある場面で)遭遇した物事から受ける影響やその物事の立ち位置」を評価する尺度(p.8)から成り立つものであり、翻ってそうした人々の評価を反映するものでもあります。

なぜ、そうした感覚におちいるのでしょうか。ベルラントは、迷惑を「妨げ」と表現しています。何か、あるいは誰かが、その立ち位置によって、周りの人々に何らかの影響を与えることで「迷惑」であると評価される際、その「何らかの影響」とは、多くの場合、不平等な社会的構造の再生産を「妨げる」ことを意味します。つまり、誰かが「迷惑」であるとみなされるのは、その人の行動が、不平等な社会的構造の再生産を阻害する、あるいは阻害するとみなされることに起因しているのです。

妊娠をめぐる権利の話に戻りましょう。職場におけるマタハラや差別は、法的に禁じられているにもかかわらず、世界中で起こっていることです。経済効率や利益が優先される労働環境では、妊娠中の労働者はしばしば負債、つまり「邪魔な」労働者とみなされます(Byron, 2014)。日本の職場でも、妊娠中の従業員は同僚や経営陣から迷惑な存在とみなされ、そのように扱われることも少なくありません。多くの人が職場に迷惑をもたらすことに罪悪感を感じているのです(和田 2016;森田 2020)。

こうした場面において、「迷惑」という概念は差別を正当化する言説として機能し、妊娠した従業員が解雇されたり、退職に追い込まれることを当然のことだとする見方を肯定します。もちろん、すべての職場において、妊娠した従業員や同僚、上司の一人ひとりが、こうしたことを「自然」で「当然」とする感覚を必ずしも持ち合わせているわけではありません。しかしながら、保育園不足や性別による社会的役割などと相まって、「妊娠すると職場に迷惑をかける」という考え方が、結果として、妊娠した従業員の半数以上が権利を主張せず、仕事を辞めるという日本社会の現実につながっているといえます。これは、他の性差別的習慣(賃金格差、ハラスメント、性別による採用区分など)とあいまって、性別による労働分業を再生産するものです。

「迷惑」の理論に戻ると、技能実習生などの移民労働者が妊娠した場合、妊娠中の外国人労働者が直面する、こうした圧力は、国境管理による不安定な法的地位(その他、経済格差や人種差別など)によって生じる圧力と交差して経験されます。法的地位の不安定さは、例えば、滞在期間に制限のあるビザ、転職を不可能とする制度、低賃金を正当化する「低技能者」としての扱い、そして来日時に移民労働者が負う負債などによって、作り上げられています。

ベルラントの理論にもとづいて、移民労働者の妊娠をめぐる権利について考えることによって、彼らが出産休暇を申請することを「迷惑である」と(自他ともに)評価する背景を社会的構造の中に位置づけることができます。つまり、なぜそうした行為が「迷惑だ」と評価されるのかを問うことは、「それは何を妨げるのか」を問うことにつながります。

この理論的観点からすると、妊娠をめぐる移民労働者の権利を認め、実現することは、資本主義におけるジェンダー・人種的少数者搾取の中心性といった、現代の不平等な社会的構造の再生産を妨げるものであると解釈することができます(p.20)。

「迷惑」とみなされることの影響

前述したように、こうした圧力や差別を正当化する言説は、自己規制的な行動を促すことがあります。こうした言説は、職場においては、「妊娠した従業員はやめる(継続して働くことができない・許さない)」という考え方の普遍化につながりかねません。一方、妊娠した従業員の立場からすると、こうした圧力や言説は、妊娠したら権利を主張せず辞める、または妊娠を隠して働き続ける、といったリスクを伴う決断につながる可能性があります。このように、「迷惑」という言葉は、「頑固なまでに社会的不平等を維持しようとする(社会の)力」(p.4)に応じようとする圧力を作り出す機能を持ち合わせているのです。

多くの人にとって、「迷惑だ」「迷惑をかけている」と感じることは、ごく普通の日常的な経験かもしれません。一般的には、「迷惑」という言葉は、前述したような抑圧的な意味合いを含まずに使われることが多いです。なので、迷惑の評価を伴うすべての状況が批判的な姿勢を必要とするわけではありません。しかし、「迷惑」の政治性に関する理論は、「迷惑」という、とても身近な概念が、日常生活において当然視され、何気なく使われる際、どのような視点で人々や物事を評価しているのか、またそのように評価することにはどのような「隠れた役割」があるのか、考えるように促していると言えます。

また、少なくともこの記事で取り上げている、妊娠をめぐる権利を行使しようとする行動を「迷惑」だと自他ともに評価する例においては、次のようなことも言えます。――つまり、力(権力)のある者が、自分たちの有利なように、「何を迷惑とするか」という社会的認識を構築している、ということ(Fricker, 2007)。

結局のところ、何気ない日常の中にこそ、社会的不平等や自身の持つ権利の有無についての考え方がさりげなく再生産されており、結果として私たちの生活に目に見える形で影響を与えるのです。しかし、日常生活において「『迷惑だ』と評価することは誰にとって有益なのか?」「誰に不利益をもたらすのか?」と問いかけることによって、私たち自身で、こうした不条理の再生産をほんの少しでも妨げることができるのかもしれません。こうした努力は、取るに足らないものに見えるかもしれませんが、私たち個人は、「日常」の中で新しい価値を創造し、選択することもできるのです。

英語・日本語翻訳 相川真穂


References

Berlant, L. (2022) The Inconvenience of Other People. Durham: Duke University Press.
Byron, R. A. and Roscigno, V. J. (2014) ‘Relational Power, Legitimation, and Pregnancy Discrimination’, Gender & Society, 28(3), pp. 435–462.
Fricker, M. (2007) Epistemic Injustice: Power and the Ethics of Knowing. Oxford: Oxford University Press.
Morita, M. (2020) ‘A Study of Working Mothers and "Nuisance" in Japanese Workplaces’, Kochi University Academic Research Report, 69, pp. 179-189.
Wada, A. (2018) ‘The Scale of Working Pregnant Women's Guilt Feeling: Its Reliability and Validity’, Department of Health Sciences, Tohoku University School of Medicine, 27(1), pp. 23-30.

ソシエタス総合研究所 研究員秋吉 湖音
日本で生まれ、海外で育つ。King’s College London (BA in War Studies & Philosophy) 卒業後、King’s Undergraduate Research Fellowとして、ロンドンで移民達がいかに暮らしを営んでいるかの理解を目的として、特に法的なステータスとジェンダーのインパクトに焦点を当てつつ、Migrant Voices in Londonのプロジェクトを主催。つづいて、オックスフォード大学にて MSc in Refugee and Forced Migration Studies を修める。2021年4月からソシエタス研究所で研究員として勤務。
日本で生まれ、海外で育つ。King’s College London (BA in War Studies & Philosophy) 卒業後、King’s Undergraduate Research Fellowとして、ロンドンで移民達がいかに暮らしを営んでいるかの理解を目的として、特に法的なステータスとジェンダーのインパクトに焦点を当てつつ、Migrant Voices in Londonのプロジェクトを主催。つづいて、オックスフォード大学にて MSc in Refugee and Forced Migration Studies を修める。2021年4月からソシエタス研究所で研究員として勤務。
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