(The English version of the article follows)
オピニオンズでは、この度『VOICE~様々な文化的背景の人たちの声~』という特別連載企画をはじめることとなりました。この企画では、岡山県内に住む様々な文化的背景を持つ人々にスポットライトをあてていきます。当企画は、岡山に住む多様な方々の人となりや岡山での経験などをお伝えすることを目的としていますが、それによって社会・世間が彼らに対して一方的に抱くイメージに抗い、岡山における多文化共生を後押しすることができれば、と企画者・執筆者一同考えております。当企画は、不定期とはなりますが、今後継続して記事を掲載していく予定です。
読者のみなさんには、この企画を通して様々な人と“出会う”こととなります。その中には、街中で見かけたことのあるような人もいれば、これまでまったく交流を持ったことのないような人もいるかもしれません。そうした「よく知らない、“自分とは違う”人たち」と出会う際、みなさんはどのように反応し、どんなことを考えるでしょうか。もしかすると、その人の出身国や文化について質問をしたり、その人がなぜ日本(岡山)で暮らしているのか聞いてみることを考える読者の方もいるかもしれません。自分とは違う(と思われる)人々について知ることは、楽しく、ワクワクすることであり、また今まで知らなかったことを学ぶ機会となると考える人も少なくないと思います。
一方で、読者のみなさんは、逆の立場になったこと、もしくはそうした立場の人たちがどのように感じるか考えたことはあるでしょうか――。つまり、まわりの人たちとは「違う」とみなされることで、誰かの「関心の的」となっていろいろな質問を立て続けに受けるというのは、どういうことか、想像したことがあるでしょうか。
2年ほど前、とあるミックスルーツ(“ハーフ”)の女性が「初対面カード」というものを作成したということがツイッター上で拡散され、話題となりました(HuffingtonPost, 2020)。女性は、毎日のように初対面の人から、興味本位で、自身の人種・ルーツのこと、外見のこと、両親の馴れ初めといったプライベートな事柄まで聞かれることにうんざりし、そうした質問事項への回答をまとめたカードを作成して渡しはじめたのだといいます。こうした自身の経験について紹介する記事において、女性は「『ハーフですか?』と聞かれる度に、周囲に『他所者』と認識されていることを再確認する。そしてそれに続く質問はまるで門番からの尋問のよう」と述べます。
初対面の人に、いきなり興味本位でいろいろなことを質問される、というのは、私(筆者)もアメリカ留学中に何度も経験しました。「はじめまして」と自己紹介をしたあとすぐ、日本文化(伝統文化やアニメなど)や日本社会における問題・現象(労働問題、恋愛事情、漫画・アニメなどにおける女性の性的描写など)のことを尋ねられたり、またそうしたトピックスについての個人的な意見を求められたり、それに派生して自身の経験やプライベートな事柄について聞かれたり、というのは、日常茶飯事でした。私は自身が「まわりの人(特に白人)」とは違う外国人であることは自覚していましたが、それでも、そうした質問を浴びるたびに、自身が相手の好奇心を満たすために“消費”されているように感じ、モヤモヤしました。
わたしたちは、初対面の人と会話をする際、多くの場合、その人について何も知らないので、失礼にあたることは聞かないよう、一定の配慮をします。ところが、意識してではないにしろ、そうした「配慮」をするべき人、しなくて良い人を区別していることがあります。後者の人を「配慮」の対象から外すことは一種の「他者化(othering)」現象(Kitzinger & Wilkinson, 1996)ですが、文化的背景や人種などが異なるために「違う」と判断される人に対して配慮を怠り、一方的に自身の関心・好奇心のために“消費”することは、彼らを「他者化」することであり、一種の「暴力」であるといえます。
今回の特別企画を実施するにあたり、私たち橋本財団のメンバーは、岡山県に住む多様な人びとへのインタビューを実施していますが、インタビュー時の質問事項の作成時やインタビューを実施する際、私たちはそうした「暴力」をふるう可能性があることを自覚するよう努めています。なぜなら、そうすることよって、実際にインタビューを行う際、そうした「暴力」をふるう可能性が小さくなると考えるからです。その一環として、本企画では、すべての人に決まった質問はせず、それぞれの方に岡山での経験やライフヒストリーを語っていただくことを心がけています。そして、その“語り”をできるだけそのままの形で記事に掲載していく予定です。
読者のみなさんがこれから目にする、様々な人びとについての記事は、そうしたプロセスを経て書かれたものであるということを、ぜひ、頭の片隅においていただきたいと思います。また、以下のことも念頭において記事を読んでいただきたいです。それは、この連載記事は、異なる文化や国について扱う「エンターテイメント」ではないということ、そして記事の中に登場する人々は、ひとりの生活者として岡山で日常生活を送り、またそれぞれの生い立ちがあっての「今」があるということです。読者のみなさんには、ぜひ、記事の中に登場する人々とゆっくり、お茶を片手に対話をすることを想像しながら、当連載記事を読んでいただけると幸いです。
We, the Opinions Project members, are launching a new special issue with a series of articles, entitled “VOICE -diverse voices of diverse people-”. The issue will shed light on people with diverse cultural backgrounds who live in Okayama Prefecture. The issue aims to highlight nuances of who they are as individuals and their experiences in Okayama, and we hope that the issue will be a tool to challenge societal stereotypes against diverse groups of people and to promote multiculturalism in Okayama. We plan to publish articles continuously overtime for this issue.
For readers of the current issue, reading its series of articles will be an opportunity to “meet” various people. You may find some of them to be similar to those you know, or have seen in town, while others appear completely unfamiliar to you. Imagine you meet these people, who you might first assume to be “different” from you, for the first time—how would you react and what would you think in such a scenario? Some of you may try to ask questions about their country or culture of origins, while others may wonder why they live in Japan (or Okayama). For many people, meeting someone whom one might first assume to be “different” could be exciting and fun, and may serve as an opportunity to learn “something new.”
Meanwhile, have you ever experienced being at the opposite end of such encounter, or have you imagined what it’s like to be in such position? —That is, what it’s like to be considered as “different” from the majority of people and become targeted with a series of questions that examine you and your culture/country of origin?
About two years ago, a biracial (ha-fu) woman posted on Twitter about her experience of creating what she calls first-time meeting cards, and the post was widely shared on the platform (HuffingPost, 2020). According to her, she created the cards because of her frustrating experiences as a mixed-race person in Japan; She often gets asked various kinds of questions—about her race, her appearance, and even some personal topics such as matters about her parents—by people whom she just met. Exhausted from getting these questions from strangers almost every day, she created cards with the list of common questions she receives and corresponding answers, and started handing one to anyone who initiates to ask random questions to her. In the article that summarizes her experiences, the woman states: “Every time I am asked, ‘Are you ha-fu?’ I am reminded that people perceive me as an outsider. And a series of questions that follows feels like torture from a gatekeeper.”
Her story is somewhat relatable to me (the author of this article), as I share similar experiences from when I was studying in the United States. It was very common for me to receive various kinds of random questions from someone I’d barely known—from questions about Japanese culture (both traditional cultures and anime) and social issues in the country (e.g., labor issues, people’s attitudes toward relationships, media representations of women as sexual objects), to questions asking me about my own opinions and personal experiences related to these matters. While I recognized myself to be different from the majority of people (particularly white people) in the United States, I could not help but feel like I was being consumed for the sake of someone’s curiosity (about Japan and its people) whenever I was getting these questions.
Normally, we act politely when we meet someone for the first time, and avoid asking questions that can be considered rude. Whether it is intentional or not, however, it is often the case that some groups of people (usually majority groups) are treated with the basic courtesy, while others (usually minority groups) are not. When certain minoritized groups of people do not get the basic courtesy in everyday interactions, one can say that they are being othered (Kitzinger & Wilkinson, 1996). Thus, if we weaponize our curiosity toward specific groups of people and fail to treat them with courtesy when we ask them questions, we engage in a form of violence against them by othering them.
Our writers for the current special issue interview diverse groups of people to write articles, but we try to be conscious of the possibility of engaging in such violence when we create interview questions and conduct interviews. This is because we believe that, by doing so, we can minimize the possibility of actually engaging in othering our interviewees. As a part of this effort, we do not have a set of questions that are asked to every interviewee, but rather, we aim to ask them questions so that they feel comfortable narrating their experiences in Okayama and their life histories. And the upcoming articles will include these narratives in their (mostly) original forms.
It would be our wish that readers of the new special issue keep back in their mind that each article for the special issue is written after going through this process of questioning our own tendency to other those who are considered “different” from us. And it is also our sincere hope that readers keep in mind the following when they read the upcoming articles; that the current issue is not meant to be a source of entertainment about different countries or cultures, and that people who you “meet” through the articles live their everyday lives in Okayama just like everyone else and have their own life histories that lead to their current lives in Okayama. Imagine that you are drinking tea with one of the interviewees and enjoying conversations—that may help you feel like you are getting to know the person in real life!
<参考文献>
HuffingtonPost 「ミックスの私が『初対面カード』を配る理由。それは無言のプロテスト」, 2020年7月.
https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_5efe8687c5b6ca97091ba024
Kitzinger, C., & Wilkinson, S. (1996). Theorizing representing the other. In S. Wilkinson & C. Kitzinger (Eds.), Representing the Other: A Feminism & Psychology Reader (pp. 1-32).
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