施設化する特別支援学校

最近はインクルーシブ教育で一般学校に特別支援学級が作られて、軽度障害や発達障害の児童は一般学校に多く通うため、特別支援学校に通う児童の障害の重度化が進んできています。そのこともあってか、学校が親の負担を減らすための、施設のような介護を提供する場に変わってきた気がします。

特別支援学校は、重度障害者でも残された能力を活かして社会の中で生きる力を教育する事が本来の姿ですが、最近は介護をどうするかに比重が置かれ、進路指導も社会の中でどう生きるかという視点が乏しく、重度障害者だと通所入所を含め施設探しへの力の入れ具合が95%ぐらいと施設ありきの人生設計です。私がたびたび書く、障害者は障害者だけの世界で暮らせば幸せと言う考え方は特別支援学校が根源ではないか?と思ってしまいます。

実習で施設に通う体験はよくありますが、移動支援や重度訪問介護を使って暮らす体験は実習ではやらないので、親も障害当事者も制度自体を知らずに施設探しに一生懸命と言う方が多いです。私の「伝の心」(※)も、身体障害者手帳1級と言語手帳3級があれば50万ぐらいのものが支給される制度がある事を、今の特別支援学校の教員は知っているのでしょうか?今は重度障害者もICTや福祉制度を使えば何でもできる時代で、私のこの記事も三重の自宅で声の振動でパソコンを操作して書き、岡山にメールで送って一カ月後には全国に向け掲載されているのです。

私が生まれる前の重度障害者の教育が義務化されてなかったことは以前にも書きましたが、重度障害者は家の中に閉じ込められて教育も受けられない時代があり、1972年に国連が障害者権利宣言を発表してから日本でも重度障害者の教育が義務化されました。養護学校、今は養護が差別的な感じを受ける障害者がいるらしく特別支援学校と言うようになりましたが、私は養護学校に通っており、この時代の重度障害者の卒業生は確かに行ける施設が無く大変でした。

今は2006年に発行した国連障害者権利条約で、障害者でも一般学校に通える権利も出来たし、特別支援学校も沢山あり、生徒数が少ない代わりに先生と一対一で話ができるので何でもできるはずなのに、障害の重度化の影響なのか、介護や卒業後の行き場探しに時間が取られてしまう。進路指導はまだ20世紀のままのように感じます。

昔の特別支援学校は三重県で一校しかなくバスで1時間かけて12年間通い、先生も少ないため母が来て介助をするので凄く恥ずかしかったです。私の時代の養護学校は生徒数が多く、6人ぐらいのクラスを一人の先生が見るので当然介助が足りずに親が順番で介助していました。

その中で友達同士が助け合い車椅子を押してくれたりもしていましたが、いじめはあったしタバコを持ってきていた障害者もいました。当時はナイフを持つ事がファッションで、軽い脳性麻痺のアテトーゼ型の人が、手が勝手に動くのにナイフを持ち歩いて危ない危ない。
今なら大問題になるけれど当時は自主性を尊重してくれていたのでしょうか?先生も注意するぐらいで、危険な事も沢山あったけれど、一般社会のルールが学べました。

中学の頃、社会の先生が私に囲碁を教えてくれました。将来役に立つから覚えろと言われ、テスト期間になると自習時間に美術室のストーブの上でイカを焼きながら囲碁をやった思い出があります。この頃は遊び半分でやっていただけですが、今の私の暮らしに囲碁は欠かせないものになりました。地域の中に囲碁で知り合った人が大勢いますが、もし囲碁をやっていなかったら介助者と家族と障害者にしか会わない暮らしで、障害者だけの世界で満足していたでしょう。昔の先生は先見の明があり本当に感謝です。

しかし、最近の特別支援学校だと先生が一対一で対応してくれる代わりに社会を学べる機会が少なく、障害者のコミュニケーション能力を気がつかないうちに奪っているような気がします。それから特別支援学校には寄宿舎があり、幼いころから寄宿舎に入り卒業するとすぐに施設に入所する重度障害者がかなりいて、家庭の中で暮らしたり社会の一員として暮らす事が福祉の充実と引き換えに困難になりつつあります。これは施設にも当てはまるけれど、養われ護られていたのが、護られすぎても辛いから、「養護学校」から「特別支援学校」へ、「養護」から必要なときに助けてくれる「介助」へ、この気持ちが心豊かな障害児を育てると思います。

考え方によっては、昔は病院で一生を終えていた重度障害者が学校や施設に行けるようになり良かったと思うけれど、人の幸せを考えると仲間がいて助け合ったりけんかをしたり、楽しんだり苦しんだり笑ったり泣いたり、色んな経験が出来る事が幸せな人生で昔の養護学校ではそれが出来ました。

最近の特別支援学校だと、まず安全で健康で元気に、と言う施設のような考え方で、育てる感覚がなくなってきたので、ただ養われ護られる(=養護される)障害者が多いのではないでしょうか。
私も障害者ですが、自分がどうしたいか、どう生きたいかという自分の意思はしっかり持ちたいです。

(※)伝の心:筆者が使用している、身体の不自由な方のための意思伝達装置 https://www.hke.jp/products/dennosin/denindex.htm

「夢を叶える145」ライター宮村孝博
1974年10月22日 誕生
1980年 城山養護学校小学部(現在城山特別支援学校)に入学(丁度その前年に、障害者の義務教育が開始)
1992年 城山養護学校高等部商業科卒業。と同時に、父が運営する関金型に就職。母の手を借りながら、部品加工のプログラムを作成。
2003年 父が亡くなり失業。母も足の難病に罹り、障害者二人暮らしが始まる。
2006年 「伝の心」と出会う。
2017年 「夢を叶える145」ライターデビュー 「チャレンジド145」プロデュース
趣味、囲碁、高校野球観戦
春と夏の甲子園の時期はテレビ観戦のため部屋に引き篭もる
1974年10月22日 誕生
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