私は2年前に大学病院を退任し、往復5時間かけて旧炭鉱町の町立病院で当初は月1回、医師不足のため週1回に、今年からさらに週2回診療をしています。慢性心不全の悪化、肺炎や脊椎圧迫骨折などの患者さんがたくさん入院しています。入院患者さんを年齢順にソーティングしてみますと、ほとんどが高齢者で80〜90歳代も多く、少数ですが100歳を超えた方も入院しています。最近95歳の男性の方が「きつかー、きつかー、死にたかー」と訴え、初めて当院を受診しました。貧血が強く便潜血陽性から進行した消化器がんが疑われました。
人の一生をみてみますと、30歳前後に身体的な機能がもっとも充実し、その後右肩下がりで徐々に機能が衰え、まったく事故や病気にかからないとすると110歳前後で老衰死します。しかし、多くの方はその長い人生の軌跡のなかでいくつかの病気にかかり、それに伴い心身の衰えが加速、平均寿命である80歳代で亡くなります(図1)。その病気の一つががんです。
日本では、がんは1981年に死因のトップになり、以後、心臓病や脳卒中による死亡の追随を許さず独走しています。がんに罹患する方の70%以上、死亡の85%以上が65歳以上で非高齢者の方が少ないのです。したがって、がんは高齢者の慢性疾患と言うことができます。では高齢、とくに心身の機能が衰えてきている超高齢のがん患者さんを前にして我々医療者は何ができるか、本人・家族だけでなく医師や看護師も悩みます。
さて、先ほどの患者さんについて、みなさんならどうされますか?初診で見えるまでは、病気らしい病気をしたことはなく、ただ足腰が弱って部屋で過ごすことが多かったようですが、食事ができると自室から食堂まで歩いてテーブルについて食し、トイレは自分で対応できていました。認知障害も目立ったものはありません。入院後、患者さんに負担のかからない検査で全身状態の把握と診断に迫ることができるものを検討しました。血液検査では鉄欠乏性貧血、胸部・腹部のCT検査では、肺に複数の小さな影、胃の幽門部(胃から十二指腸への出口)の壁が厚くなり、胃周囲のリンパ節が腫れていました。胃がんのリンパ節・肺転移疑いです。ここで、診断を確定するために胃カメラをするかどうかについて、病棟医は家族と相談しました。家族といっても70歳を超えた娘さんたちです。高齢だからきつい思いをさせたくないというのが彼女たちの意見でした。ただ、私は本人の意向は聞くべきではないかと提言しました。理由は、進行・転移がんが考えられるので治癒を目指した治療はできませんが、①診断が確定する、②出血部位が明らかになれば止血処置ができる、③胃の出口の開口具合では、早晩食べものが通らなくなり絶えず吐き気・嘔吐に悩ませられることになります。家族の心配をよそに本人は2つ返事で了解し、輸血後、上部消化管の内視鏡をしました。その結果、胃がんの診断を得、②③の緊急処置は必要ないことを確認し無事検査を終了しました。今後、積極的な抗がん治療の予定はなく、鉄剤を処方され退院となりました。
もちろん、進行胃がんの可能性は高いので、内視鏡検査をせずに貧血改善のために鉄剤の内服を促し経過をみるという選択肢もあると思います。ただ、その選択肢を選ぶにしても本人の意向を確かめるべきでしょう。もし、彼が早期胃がんで手術をすれば治せる可能性があった場合、手術を受けるかどうか、すなわちお父さんのがんからの生還の機会を家族(娘さん)が奪って良いかどうか、手術の合併症との兼ね合いで難しい判断になります。
さて話は変わりますが、日本には、健康や病気に関する法律が3つあります。①国民健康保険法:みなさんが病気になった時には「健康保険被保険者証」を提示して病院で診てもらいます。75歳以上の方に対しては2008年から後期高齢者保険制度が開始されています。②介護保険法:65歳以上の高齢の方で足腰が弱ったり認知障害のため支援が必要な方は、介護サービスが利用できます。③健康増進法:急速な高齢化の進展及び疾病構造の変化に対応するために栄養や体力の改善を目的に栄養指導や運動療法が行われます。
がん治療に関して考えてみますと、小児は両親や祖父母の全面的なサポートがあって治療が成り立ちます。一方、高齢者では親・兄弟も高齢者で十分なサポートは難しいことが多く、少子化で子供が少ないうえ、仕事や子育ての年代のため全面的に親を支援することは困難です。そこで2000年に施行された介護保険法は、それを解決する大きな役割を担っています。がんに限らず介護サービスを受け、生活基盤を維持しながら治療を受けることが可能となっています。すなわち、がん医療と介護の連携です(図2)。がんと診断され医師から治療を提案された時には、元気いっぱいで介護など要らないと思われるかもしれません。しかし、がん治療は100%いろんな副作用が起こり、しかも長期にわたって持続することも多いのです。そのため予定された治療を完遂し、その後も自立した生活を元気に過ごすためにも早め早めの対応が求められます。と言いますのも介護サービスを受けるには、介護認定審査を受けなければなりません。申請から介護度の決定まで1か月以上かかります。
もう一人、90歳の男性を紹介します。2年前から多発性骨髄腫の診断で、独居ですが自炊ができ家や庭の手入れもし、当初はゲートボールなどを楽しみながら元気に通院治療中の方でした。骨髄腫のコントロールは良好でした。ただSARS-CoV-2 感染拡大で仲間とのゲートボールの集まりが中止、運動量が減り、さらに膝関節の痛みも出現して体重ならびに筋肉量が減少し、今年になって杖歩行となっていました。介護認定を申請中でしたが、一人で踏み台に乗って居間の切れた電球を新しいものにかえようとしたところ転倒、胸椎の圧迫骨折で緊急入院となりました。振り返ってみますと、独居・自炊、骨髄腫以外にも複数の疾患に罹患していることもあって、骨髄腫の診断時から身体機能の低下が進んでいた可能性があり、役場の健康増進係と相談し栄養指導や運動療法を実施していれば、ここまで足腰が弱らなかった可能性があります。今後、元気な方であっても高齢のがん患者のケアにあたっては、潜在的に栄養障害、サルコペニアがあることを前提に身体機能の維持・増進のために公的なサービスの利用を検討してはどうでしょうか。
患者さんや家族は、介護サービスを受けるために自宅にケアマネジャーやヘルパーなどの他人が入ることに抵抗があり、また介護を受けること自体を善しとしないところがあります。また、健康増進のための公的なサービスを受けるためには、手続きが必要で高齢者には敬遠されがちです。今後高齢者はますます増えます。以前に比べ元気な方も多くおられますが、やがて心身の衰えが目立つようになり何らかの支援・介護を必要とし最後をむかえます。こういった公的なサービスを有効に利用し、健康で元気な余生(健康寿命、介護受けないで過ごせる時間)をできるだけ長く楽しむようにしてはどうでしょう。とくにがんを始め慢性の病気を持っている超高齢の方は、自分は元気だと思っている「今」から検討されることをお勧めします。
Viva nonagenarian, centenarian!!
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