差別滅亡への道・歴史から消し去るべき差別もある

以前記事に、障害者差別解消法で合理的配慮を義務化すべきところが、努力義務という骨抜きなものになってしまった、という事を書きましたが、障害者差別解消法が去年改正され、合理的配慮が義務となったので紹介を兼ねて、ただし、差別は本来は法律で無くなるものではないということも併せて書きたいと思います。

まずは戦後からの差別解消への世界と日本の動きについて説明します。戦争の反省から1948年に『すべての人は平等であり、それぞれが同じ権利をもつ』とした世界人権宣言を行いました。それからも弱い者の権利を護る宣言が次々になされました。国連が女子差別撤廃条約を発効したのが1981年で日本が批准したのが1985年、また子どもの権利条約を国連が発効したのが1990年で日本が批准したのが1994年でした。障害者も1975年の12月9日に国連が障害者権利宣言を決議し、日本はこの日を障害者の日と定めています。それから障害者権利条約は2006年に国連が発効して、日本が批准したのが2013年です。

障害者権利条約は障害者の生きる権利についての50条からなる条約で、障害者の教育、就労、居住、移動などの差別は禁止されるなど、人としての当然の権利が書かれています。障害がない人と平等に活躍できる社会を目指すための、障害者の権利を定めていて、例えば、車椅子の人が入学や入社するときには段差をなくしたり、電車やバスも障害を理由に乗車拒否を行わない事です。入学、入試、入社、入居拒否は基本できなくなりました。長年こういった障害者の差別をなくすための『合理的配慮』は努力義務で、何もしなくても法律上違法ではありませんでしたが、2021年に障害者差別解消法が改正され、合理的配慮が義務化され何の罰則もないものの一応違法ということになりました。

合理的配慮の義務化で何が変わったのか。

別に私の暮らしの中で障害者差別解消法が改正されたからと言って何の変化もありません。大多数の障害者も同じだと思います。ただ、たしかに学校の障害を理由にした入学拒否やバスや電車やタクシーなどの乗車拒否が徐々にですが、堂々とはし難くなって来た気がします。私は裁判は嫌いですが、合理的配慮を提供しない場合訴えると障害者側が少し強くなりました。でも、裁判に勝訴したところで表面上の差別は減りますが、本心での、心からの差別は増えると思います。

昔は脳性麻痺だと風邪をひいて町医者に行くと診療拒否されましたが、最近でも精密検査に少し大きな病院に行くと脳性麻痺と言うだけで顔も見ずに大病院を紹介されます。半世紀近くたっても障害者差別は昔とさほど変わってない現状があり、だから法の力が必要で障害者差別解消法が出来て、合理的配慮も努力義務から義務になったけれど、なんの罰則もないためにか、あまり暮らしに変化がありません。

でも、合理的配慮を提供しない事が違法だと法律に明記され、この意識が社会に浸透していけば徐々に差別はなくなっていくのではないか?

本来差別は法の力で無くすものではなく、人と人とが理解し合い思いやりとか支え合う気持ちが差別をなくしていくものですが、理解し合うきっかけに合理的配慮の義務化がなればいいと思います。ただし、法律があるからと言って人の気持ちが変わらないと差別はなくならないことも事実です。

戦後の差別に部落差別という江戸時代から続くものがあります。

私が部落差別を詳しく知ったのは県の人権センターです。常設展示室で部落差別の歴史や県が制定した部落差別を禁止する条例などが博物館のような感じで展示してあり、部落差別って知ってるようで詳しくは知らないので展示を見てみました。部落とは、近世の封建的身分の最下位にあった賤民(せんみん)のなかで、主として、もっとも主要な部分を占めていた穢多(えた)を直接の先祖とする人々のうち、明治維新の改革で封建的身分制が廃止されたのちも、身分的差別の残滓(ざんし)をおもな要因として不当に人権を侵害されている人々が集中的に居住している地域のことで、今まで何となく理解はしていましたがはっきりとわかりました。

そもそも今の社会で部落差別ってあるのでしょうか?

調べたところだとまだ存在しているようですが、はっきり言って今の世の中で部落差別をしたら人間性を疑われるのではないでしょうか。我々の世代で滅亡する差別なのではないかと思いますが、展示や条例がある事により逆に差別を延命してしまう気がします。

今は山ガールがブームだけど昔の山はほとんど女人禁制で、こんなことを意識して登る女の人はめったにいないから差別は滅亡しましたが、もし山に誰でも登れる法律があると多少は意識してしまうのではないでしょうか。

非常識な差別は歴史の教訓を伝える事も大事ですが、意識の中から消し去る事も大事だと思います。昔は優生保護法で犬や猫のように強制的に中絶させられた障害者差別も今ではあり得ませんが、優生保護法も部落差別も本来なら歴史の教訓として伝えていくべきという声もあります。でも私は早く記憶から消し去りたい、それぐらいひどい差別だと思います。

今は障害者差別解消法が改正され徐々に差別も減っていますが、私が生きてる時代に「こんな法律はなくさないと(記憶の中に差別が残ってしまう)」と言える時代が来るだろうか?と考えます。

「夢を叶える145」ライター宮村孝博
1974年10月22日 誕生
1980年 城山養護学校小学部(現在城山特別支援学校)に入学(丁度その前年に、障害者の義務教育が開始)
1992年 城山養護学校高等部商業科卒業。と同時に、父が運営する関金型に就職。母の手を借りながら、部品加工のプログラムを作成。
2003年 父が亡くなり失業。母も足の難病に罹り、障害者二人暮らしが始まる。
2006年 「伝の心」と出会う。
2017年 「夢を叶える145」ライターデビュー 「チャレンジド145」プロデュース
趣味、囲碁、高校野球観戦
春と夏の甲子園の時期はテレビ観戦のため部屋に引き篭もる
1974年10月22日 誕生
1980年 城山養護学校小学部(現在城山特別支援学校)に入学(丁度その前年に、障害者の義務教育が開始)
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2003年 父が亡くなり失業。母も足の難病に罹り、障害者二人暮らしが始まる。
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