個人の欲求を押さえつける同調圧力について

ソ連崩壊後のチェコ初代大統領、ヴァーツラフ・ハヴェル※は、その著書「力ない者たちの力」のなかで、第二次大戦後出現した旧ソ連圏の東欧諸国が持つ体制を「ポスト全体主義」と呼んでいる。「ポスト全体主義」は、1989年、鉄のカーテンが崩壊し、東欧諸国がソ連の軛から解放されるまで続いたが、ハヴェルによると、「ポスト全体主義」体制においては、次のような特徴があったという。それは、本来人間個人の「生」が持つ、複雑性、多様性、独立した自己形成や自己編成、つまり自身の「自由の実現に向かう動き」が抑圧され、社会は統一、単一性、規律へと向かっていたと述べている。「生」が絶えず新しい、本当に「ありそうにない仕組み」(創造的システム)を作ろうとするのに対し、「ポスト全体主義」体制は本当に「ありそうな状態」(持続的システム)を個人の「生」に強いる。従って、旧東欧の体制では、個人の欲求を抑圧し、「誰かが…多分ソ連指導部」が決めた体制を強いられ、そして、個人の欲求は表明することも、実行することも難しい。その結果、社会は変化が少なく、決まりきった状態を繰り返し停滞する。これは社会主義体制の欠点としてよく知られていることである。しかし、ハヴェルはさらに、このような旧東欧の「ポスト全体主義」体制は、奇妙なことに、すべて上からの命令や指示によってなされるのではなく、なんとなく、世間の雰囲気が、規制を促すような、つまり、個人の欲求を表明出来ないような状態にあったと述べている。

例えば、青果店の店主が「全世界の労働者よ、一つになれ」という(かつてよく見かけた)スローガンの書かれた札をショーウィンドウの玉ねぎと人参の間に置く。しかし、驚くべきことに、青果店の店主はスローガンの文言を、よく考えてもいなければ、自分自身の見解を世の中に訴えようともしていないのだ。青果店店主は、このような習慣を長年やっているので、そうしないといけないから置いていたにすぎない。もし、その習慣を変えたら厄介なことになるかもしれないし、それは社会と調和して安定した生活を保障する多くの事柄の一つにすぎないのである。イデオロギーの規律に伴う、「ポスト全体主義」国家とはこのようなものなのである。権力は匿名化され、人間は儀式の中に溶け、儀式によって主体性が失われる。

この場合の表面的スローガンは、すでに広まっているもの、あるいは、上からの指示を明示したものであるが、他方で、「世間の雰囲気」に左右される状態は、なんとなく、日本の現状を思い出させる。日本の場合はスローガンそれ自体も意識されていない。しかし日本では上からの指示やイデオロギーではなく、横からの監視がそのような状態を強いるのである。その結果、一旦習慣が出来上がると、その時点での習慣や行動様式は変更されることなく、だらだらと永遠とも思える時間を経ても、相変わらず変化しないで、果てしなく続く。なぜこのような社会が出来上がるのだろうか?

我々の世界(現代の日本)では、個人の欲求は今や何であるかがはっきりとしなくなり、行動は社会の習慣のみに基づいているようだ。この場合の議論は、出来上がっている社会習慣に対しての是非が論じられる。その場に、「生」の個人の欲求はあまり登場しない。むしろ、個人の欲求は「わがまま」「独りよがり」「調和を乱すもの」として退けられる。議論の場で個人の欲求よりも優先して論じられるのは、倫理的なスローガンなのである。例えば、人間相互の調和、いたわり、平等、平和、安心安全、環境保護などである。そこには、ハヴェルの言う、本来の「生」の持つ、複雑性、多様性、独立した自己形成や自己編成、つまり自身の「自由の実現に向かう動き」は見られない。

これらの「生」の持つ多様なうごめきは、個別の欲求からしか出てくることはない。個人の欲求が封じ込められている状態では、いかに倫理的に優れていても、生き生きとした変化に富んだものとはならないだろう。そこには生々しい「生」のうごめきはなく、「ありそうもない状態」は不可能で、「ありそうな状態」を個々人に強いるようになっている。それは、現在の日本で社会改革を訴えている人たち、あるいは主要なマスメディアにおいて、あたかも旧東欧の共産主義を信じる青果店店主を見ているようなものなのだ。全く新しいことは敬遠され、変化は乏しく、過去の継続か否かのみが議論される。

このような社会に活力を与えるのは、個人の欲求に基づく行動のみだろう。個別の生々しい欲求が、社会の変化を誘導する。個別の欲求のみが変化を恐れない行動を誘発するのだ。

※ヴァーツラフ・ハヴェル(1936年- 2011年);文筆家、反体制運動指導者、チェコ大統領
1963年に発表された戯曲『庭の祭り』で世界的に有名になった。1968年、プラハの春と呼ばれる改革運動がワルシャワ条約機構軍によって潰された後の「正常化」時代に、反体制運動の指導者として活動した。1977年に、ヘルシンキ宣言に謳われた人権擁護を求める「憲章77」を起草する。以後、幾度となく逮捕・投獄される。1989年、反体制勢力を結集した「市民フォーラム」を結成し、共産党政権打破(ビロード革命)の中心となる。ビロード革命後の1989年12月に連邦最後の大統領に選出され、チェコスロバキア解体後の1993年1月に新たに成立したチェコの初代大統領に就任、1998年に再選され、2003年2月の任期満了で退任した。

公益財団法人橋本財団 理事長、医学博士橋本 俊明
1973年岡山大学医学部卒業。公益財団法人橋本財団 理事長。社会福祉法人敬友会 理事長。特定医療法人自由会 理事長。専門は、高齢者の住まい、高齢者ケア、老年医療問題など。その他、独自の視点で幅広く社会問題を探る。
1973年岡山大学医学部卒業。公益財団法人橋本財団 理事長。社会福祉法人敬友会 理事長。特定医療法人自由会 理事長。専門は、高齢者の住まい、高齢者ケア、老年医療問題など。その他、独自の視点で幅広く社会問題を探る。
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