階層社会と平等社会<対等の関係とはどの様なものか>

介護の世界において、30年前の状態と現状とでは余り変化がない。30年前の問題点は、現在でも同様に問題点となっているのだ。これらの問題点の原因を考えているうちに、なぜ、問題が解消しないかの原因として、階層社会から平等社会への転換が不十分であることに帰する可能性が考えられた。従って、階層社会と平等社会の対比を考えることで、日本における介護の変化の乏しさ考えることが出来る。

階層社会と平等社会を対比して考える。

階層社会は、人類が農耕を始めてから数千年続き、その間国家が成立した。そして、人類の歴史から言えば、つい最近の約200年前にフランス革命を転機として、先進国では徐々に平等社会へと変化していった。革命を起こしたフランスでさえ、この変化には一般の民衆は戸惑った。いわんや他の国において、階層社会から平等社会へ移行するためには、革命など社会の突然の大きな変革なくしては、甚だ困難なことであった。
階層社会は、数千年の歴史があり、社会の隅々にまで広がり、あるいは、すべての制度に階層を前提とした考えが染み透っているので、平等の思想を取り入れる場合は、社会習慣との間に無数の軋轢を生むことになった。

 

平等の思想は広範囲に影響を与える。
家族にあっては親と子、夫婦間、会社においては、部下と上司、社会では、男性と女性、家柄や家格の高低、人種、定められた社会階層、障害者と健常者、高齢者と非高齢者間などでの問題だ。

平等であることは、相手を畏怖する存在と考えざるを得ない。なぜなら、階層社会では、すべてにおいて相手は上か下であり、ほとんどの項目で従うか、従わないかが最初から決まっている。その結果、人間関係に及ぼす各種の問題も、多くの場合、多少の疑問があっても、階層を前提として、機械的に考えればよいが、平等社会の場合、論議する事柄や人間関係を複雑に考慮しなければならない。

平等社会では、相手に対する恐怖と、相手に対する思いやりと、相手に対する要求などが一体となり、どの様な態度を取っていいのかがよく分からない。複雑な人間関係をそれなりに対処できる人ならいいが、多くの人は、どの様な態度を取るかが分からないので、その都度判断することを要求される。
自分の殻に閉じこもることなく、つねに開放的になり、相手の要求や要望を知る努力を行い、十分なコミュニケーションを行ったうえで、自分の相手に対する態度を決める必要があるのだ。これらは、小さいころからの訓練によって自然と培われるものである。相手の要求や要望の真の狙いを的確に理解すると共に、それに対する自分自身の考えに基づき、相手にそれを伝えることの繰り返しである。

 

この様な訓練や経験を経ていない場合には、次のような態度を取ることになる。第一に、面倒なことを避け、表面的な付き合いのみを求め、深い付き合いになるとこれを拒否する傾向になってくる。
第二に、それが通用しない場合は、自分自身で悩み、神経症的な態度を取る。相手の態度に過剰反応するのである。この様な平等の原則に不慣れな場合は、昔からの階層的な関係のほうが心地よく、あえて平等の関係を避ける立場に、自分自身を置くことになる。

平等を建前としている日本社会の現状から見えてくるもの。

例えば、平等社会を建前としている日本における男女関係の場合、潜在的に男性優位の感情を持ちながら、女性の要求や要望を聞くことになる。男性は自分が譲歩していると感じているのだ。家事を「手伝う」や、休日に「家族サービス」をするなどというのは、譲歩している意識を基にした表現なのである。
しかし、男性優位の感覚は階層社会の名残であり、平等社会において、これから完全に抜け出さない限り、双方に有益な関係は作れない。

では、職場の上下関係はどうだろうか。職場の上下関係は一見階層的であるが、実はそうではなく、仕事上の命令指示システムの内部の問題だ。従って、命令に不満があれば、説明を求める必要があり、上司はそれに対して当然のことながら、説明をする義務があるのだ(もちろん十分な説明にも拘らず、部下が納得しない場合は、強制的に命令を実行させる権限はあるが、その様な事態は普通あまり無い)。昔の階層社会では、この様な説明義務はなかった。この違いが未だ理解されていない場合が多い。

この様なことは、高齢者介護の場面で、未だに30年前と同じような介護が行われている大きな理由となる。階層社会では、高齢者はそれ自体尊敬すべき存在であるのだが、一方で障害のために能力が低下することによって、見下される存在となる。
また、家庭での高齢者は、階層社会において、家族にとって、尊敬、畏怖されるべき存在であると同時に、障害を持ち能力の低い存在のために、軽視あるいは無視すべき存在となる。

その結果、これらの矛盾する上下関係がさまたげとなり、平等社会での必須条件である親族間での対等の話し合いは出来る気配もない。平等社会では、話し合いが最も重要な手段であるにも関らず、対話無しの、階層社会的な権力関係や慣習によって、態度を決定するのだ。その結果、高齢者は障害ゆえに身体的、精神的に能力が低下することに比例して、その意見を無視されるようになる。

老人ホームやその他の高齢者ケアにおいて、平等社会では、自分自身の処遇を自分で決めることがすべての基本であるとすれば、現状はそうでなく、家族が処遇の決定に大きな役割を果たしている。その家族の役割が平等社会の原則に沿って行われるのであれば、高齢者本人にとっても好ましい状態であるが、階層社会の継続によって権力の上下で処遇が決定される状態は、高齢者にとって非常に悲しいことなのである。それが、平等と言われている日本社会の実情なのだ。

公益財団法人橋本財団 理事長、医学博士橋本 俊明
1973年岡山大学医学部卒業。公益財団法人橋本財団 理事長。社会福祉法人敬友会 理事長。特定医療法人自由会 理事長。専門は、高齢者の住まい、高齢者ケア、老年医療問題など。その他、独自の視点で幅広く社会問題を探る。
1973年岡山大学医学部卒業。公益財団法人橋本財団 理事長。社会福祉法人敬友会 理事長。特定医療法人自由会 理事長。専門は、高齢者の住まい、高齢者ケア、老年医療問題など。その他、独自の視点で幅広く社会問題を探る。
  • 社会福祉法人敬友会 理事長、医学博士 橋本 俊明の記事一覧
  • ゲストライターの記事一覧
  • インタビューの記事一覧

Recently Popular最近よく読まれている記事

もっと記事を見る

Writer ライター