進化の仕組みは「適者生存」である。つまり、環境に対してより良く適合したものが生き残るという仕組みだ。例えば、上空を鷹が飛んでいるのにも関わらず、警戒せず餌を探すネズミやうさぎは、生き残ることは出来ないだろう。しかし、どこかに鷹がいるかも知れないと思い、巣から出ることが出来ないネズミやうさぎは、餓死するだろう。つまり、生き残るためには、絶えず怯えながら、それでいて積極的に行動する必要があるのだ。
人間が細い紐を見て、ヘビだと思い恐怖に捉われることは、狩猟採集時代に1%遭遇する可能性のある本物のヘビから逃れる事ができるが、その反対に99回は無駄な恐怖感を味わうことになる。しかし、そのおかげであなたは現在この世にいるわけだが、その特徴を受け継いだあなたは、進化の名残として、99回怯えるストレスも持たされている。
人間は、このような事態をコントロールするために、「意識」を発達させてきた。「意識」は、「意識」を持たない条件反射的な行動(鷹を警戒したり、ヘビに怯えること)よりも効率的である。条件反射では細い紐を見て99回無駄に怯えるが、「意識」を持てば、その回数を少なくすることが出来るかもしれない。都会の中で細い紐を必ずしもヘビだと思わない「意識」は人間の役に立つ。
神経学者のダマシオによると、人間は進化とともに「中核意識」から、「拡大意識」を持つようになったそうだ。「中核意識」とは、現在の状況を考えて、生き残るために必要な判断を行うためのものである。一旦は情動的「恐怖」でびっくりするが、よく見るとヘビでないことを認識する能力が「中核意識」である。多くの哺乳類は進化の結果、条件反射より効率的な「中核意識」を備えるようになっている。「中核意識」は生き残りに大きな貢献をしたが、もっと発達した「拡大意識」は、人間(あるいは一部の哺乳類)だけが持っているもので、集団での社会的位置を見定めるとともに、過去の記憶を参考にし、将来の展望を予測することが出来るものだ。「集団の中でどのボスに従ったほうが良いのか」、あるいは「この場所では、命を取られるようなヘビはいないのだ」と、集団社会の状況や、過去の記憶から「拡大意識」はどのように行動すべきかを教えてくれる。このような「意識」の進化に伴い、集団の社会状況を読み、過去の教訓を参考にしたり、将来を予測したりすることによって、人類は生き残る可能性がさらに強くなった。しかしその反面、別のことに対して怯える可能性も高まった。もともと祖先から受け継いだ情動的「恐怖」に加え、集団での振る舞いや、将来の「病」「老」「死」に対する不安感が強くなったのは、「拡大意識」を発達させた人間だけである。
現代では、人間にとって環境から生存を脅かされるような直接的脅威は殆どなくなった。その結果、生存のために必要であるとは言え、社会からの脅威や、将来に対する不安などを過剰に警戒するストレスのほうが、生物的生存可能性よりも遥かに大きくなっている。昔は外敵を気にしたほうが生き残る確率は高かったが、現代では、外敵などの社会自然環境を過度に気にする人は、ストレスが格段に大きくなるだけで生存にはあまり貢献しなくなっている。これらの進化圧力に伴う過度のストレスに加え、後から加わった拡大意識に伴う集団生活から生じるストレスや、「病」「老」「死」に対する不安が人間の生活を苛む大きな圧力となっている。これを「苦」(ドゥッカ)と呼ぶ。
昔から、欲望を捨てることが、平穏な生活を送る上で大切であることは、多くの宗教や道徳で言われてきた。それは、行動を控えることによって、これらのストレスを減少させるためのものだ。しかし、それだけでは、消極的で、楽しみを制限するだけの生活になる。そうではなく、進化圧力から生じる無駄なストレスを取り除く必要がある。その為には、無駄なストレスをどのようにして生活から除くかが重要となる。
人間は欲求を持っている。単純に欲望を捨てることだけでは、出家するしかないだろう。そうでなく、自分が不必要なストレスになぜ囚われているのか? 社会生活でのストレスはどのように発生し、そのストレスはどのように自分を虜にしているのか、そして、将来の「病」や「死」に対する姿勢はどのようにあるべきか? などの問題を真剣に考え、解決する必要がある。その為には、それぞれに対するストレスに伴い感情はどの様に発生して、どの様に消失するのか? などを「観察」することが出来れば、単純に欲望を捨てる以外にも、この世でストレスを制御して、生活することが出来る方法が見つかりそうだ。仏教で「止観」と言われるのは、感情を止めて、観察する意味である。「瞑想」のその手段の一つであるが、感情の観察によるストレスの制御が決め手になると思われる。
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