障害者用に引かれたレール

私はこれまで共生社会やインクルーシブ教育など、すべての人が活躍できる社会を目指して色んな制度が出来て社会が徐々に変わってきたことを書いてきました。
昔の障害者は福祉サービスが乏しく、家族に頼って社会に出ることなく暮らす人がほとんどでしたが、出来ることが限られる中でも人生設計を考える障害者が多くいたため、彼らが立ち上がって社会に訴える活動があり、今の福祉サービスが出来てきました。

今ではどんなに障害が重くても何でもできる時代になったように見えますが、現状は違います。

2015年に障害福祉サービスを利用する全ての人に対して利用計画が義務付けされ、計画相談支援が重視されるようになりました。計画相談支援とは、障害のある人が自立に向けた生活が送れるよう、また生活が少しでも便利になるように実施されている福祉支援サービスです。

住んでいる市町村によって様々な制度や支援があり、どんなサービスが受けられるのかは、指定特定相談支援事業者が作成した「サービス等利用計画」、あるいは自分で作成する「セルフプラン」の内容によって決まります。

主に受けられる支援内容は以下の通りです。

訪問サービス
・居宅介護
・移動支援
・通院介助
・重度訪問介護
・行動援護
・重度障害者等包括支援
・同行援護

日中活動の場
・療養介護
・生活介護
・自立訓練(機能訓練/生活訓練)
・就労移行支援(一般型/資格取得型)
・就労継続支援(A型)
・就労継続支援(B型)
・就労定着支援
・放課後等デイサービス(児童が対象)

住まいの場
・短期入所 (ショートステイ)
・施設入所支援
・共同生活援助 (グループホーム)
・宿泊型自立訓練
・地域移行支援
・地域定着支援
・自立生活援助
・居宅訪問型児童発達支援(児童が対象)

計画相談支援を受けるには市役所の障害者福祉課で日常生活を送るのが困難なことを相談し、「計画相談支援」を行っている事業所を紹介してもらいます。

一見便利なサービスに見えますが、障害者にとっては福祉サービスこそが人生を決めるもので、計画相談員に恵まれるかどうかで人生が左右されます。最近は幼いころから福祉サービスを使うことが多く、分別が付かない時期からすべてを親と計画相談員が決めるので、大人になっても誰かに決めてもらうことが当たり前という障害者が凄く増えています。

国や親や計画相談員が引いたレールの上を進むだけという人生で、国が引いたレールを見ると、地域移行と言いながら施設入所者が地域の通所施設に通って暮らすことも地域移行になり、地域社会との接点はまったくないとしても関係なく、地域で暮らしているとされます。これが国が障害者に引いたレールの一つで、親や計画相談員も安心安全の施設を求めることが多く、社会との接点という視点で見ると昔とさほど変わっていませんね。

健常者なら色んなレールがありポイントも多く色んな人生を歩めますが、障害者は他のレールとは交わることなく特別なレールの上をまっすぐ進むだけで、他のレールがあることを親や計画相談員が知らないと、自力では進めなくなっています。

私の頃は相談員はいたけれど計画相談支援はなく福祉サービスも乏しい時代でした。ただ家族に苦労をかけたけれど別に障害がある事を後悔はしてなくて、それは今思うと家族が社会との接点を作ってくれたからでしょう。特別なレールはなかったですが、既存のレールの上を家族や周りの人の協力で進めて来れたことが大きくて、私はたまに、今の制度なら安心感はありますが、社会との繋がりをさほど持つことなく特別なレールの上を進むだけの人生を満足できるだろうか、と考えます。

通所施設の中には社会との繋がりを大事に考える施設もありますがごく一部で、ほとんどの施設が(そういう意識はないかもしれませんが)障害者は障害者だけの世界の中だけで暮らすという、結果的に社会から離れてしまう障害者が多いです。

訪問サービスもありますが計画相談員に勧められやすいのは食事や排せつや入浴の介助などに関してで、買い物や旅行や地域のイベントに参加したりすることは障害が重いと勧められにくくなります。
要因はいくつかあり、計画相談員の知識不足や別になくても暮らせるという意識、そして一番の問題はヘルパーの確保が難しいことで、制度はあるけれどヘルパー不足のため諦めて、通所施設のデイサービスや作業所などの比較的簡単に使える福祉サービスを勧めてしまう計画相談員が多いです。

私の場合、幸いにも最初に移動支援が多少使えたので、ヘルパーさんと施設見学によく行き、以前書いた自立生活体験室の利用やJILの人たちとの出会いで繋がりがあったことと比較的ヘルパーさんには恵まれたことで、今は週4回地域の囲碁サークルや買い物や散歩などにヘルパーさんと行き、週2回デイサービスに行き、あとはパソコンをしたり障害者団体で活動をしたりしています。

もし私が幼いころから親と計画相談員が決めたレールを進んでいたら他のレールの存在を知らずに、たとえ知ったとしてもポイントがないのでまっすぐ突き進むしかなかったでしょうね。

普通は社会との接点がポイントになりますが今の障害者はそれが乏しいので、安心安全の意識より社会との接点を意識してレールを選んでほしいです。

知的障害者も同じで、大多数の人が国が引いた特別なレールの上を進んでいるので親や計画相談員もそれに流されがちですが、一人ひとり障害が違うので安易に決めないでほしいです。

障害は個性だという人もいますが、進めるスピードも違うし進めるレールも限られる中で、精一杯迷いながら進んでいくことこそが幸福へと繋がると私は思います。

「夢を叶える145」ライター宮村孝博
1974年10月22日 誕生
1980年 城山養護学校小学部(現在城山特別支援学校)に入学(丁度その前年に、障害者の義務教育が開始)
1992年 城山養護学校高等部商業科卒業。と同時に、父が運営する関金型に就職。母の手を借りながら、部品加工のプログラムを作成。
2003年 父が亡くなり失業。母も足の難病に罹り、障害者二人暮らしが始まる。
2006年 「伝の心」と出会う。
2017年 「夢を叶える145」ライターデビュー 「チャレンジド145」プロデュース
趣味、囲碁、高校野球観戦
春と夏の甲子園の時期はテレビ観戦のため部屋に引き篭もる
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