論語から引用された「由らしむべし、知らしむべからず」は、「論語―泰伯」の「民は之に由らしむべし之を知らしむべからず」によると言われる。意味は、人民を為政者の施政に従わせることはできるが、その道理を理解させることは難しい。従って、為政者は人民を施政に従わせればよいのであり、その道理を人民に分からせる必要はない、ということだ。つまり、「バカ」な人民に対して、情報をすべて公開するのは危険であり、施政がうまくいくような情報だけを提供すべきであるとの考えだ。
この考えは、論語を著した孔子に限らず、昔の為政者の多くが考えていたものである。事実、政治の道理を理解することはいつの世でも難しく、従って、政治の内容をすべて知らせる必要はなかったのかもしれない。昔も今も人民の生活は苦しいので、多くの人は目の前のことのみに気を取られ、直近の利害に動かされ、長期的なことは無視する傾向が強い。そのため統治者は、少なからず表題のような考えを持つのだろう。例えば、日露戦争後の和平交渉で、小村寿太郎及び日本政府の方針に、「もっとロシアから領土や賠償金を取るべし」との世論は圧倒的に強かった。しかし,後世の歴史に示されるように、当時の日本政府がとった抑制的方針は正しかったと言える。太平洋戦争の開戦時も、最近の研究では政府は民衆の「英米討つべし」との世論を意識して、開戦に踏み切った面もあったようだ。この様に世論が必ずしも正しいとは限らず、むしろ間違っていることも多い。
2013年からの日銀の金融緩和政策時に、「サプライズ」が強調された。「サプライズ」とは、世論(経済に参加している専門家も含む)が考えていなかった予想外の政策を打ち出すことだ(そのために情報はその時まで隠しておく)。その結果、為政者(この場合は日銀)が思い描いたように経済が変化することを狙っている。これに対するのは、「市場との対話」の考えである。打ち出そうとする政策を、時間をかけて説明し、難しいものであっても、少しずつ消化できるようにしようとする考えだ。この考えは、冒頭の「由らしむべし、知らしむべからず」ではなく、「知らしめて、その後由らしむ」、つまり、説明を行った後に政策を実行しようとするものである。
このような「知らしめること」は、社会に議論を行う土壌がないと成り立たない。議論は、色々の意見を自由に述べることが出来ることを基本としている。現代の中国やその他の強権的な国家のように、政府に反対する意見が言えないとなれば議論は出来ない。議論が出来なければ「知らしめる」ことは不可能となる。日本もある意味では同じような状態にある。正当な論理は一つであり、それに反する意見は「言ってはいけない」との風潮がある。コロナで「行動制限をしなくても良い」との意見は、考え方の一つであるが、「そんな事を言うことは皆を惑わせる」と一蹴され(つまり無知な民衆を惑わせる発言だと見なされ)、発言を訂正させられる。
全国知事会は常に、政府の「統一的な見解」を望む。コロナのように経験が不足している状態が襲ったときに、それぞれの県が異なる対応をしてもいいように思われるが、そうでなく、同じ対応が必要とされるようだ。また、災害警報でも、気象庁の発する警報が「色々あり分かりにくい」と言われる。国民は子供のように何も知らない存在なのだろうか? 少しぐらいバリエーションがあったほうが、選択肢が増えて良いと思われるのだが。
災害時の避難でも同様の現象が見られる。対象者に対して避難する人の割当が数%と低いことが「問題」だという。人々の行動は、それ自体を修正すべきことではなく、事実として受け止め、なぜそのような結果になったのかが問われなければならない。つまり、過剰に危険を訴える情報は、何回も行うにつれて、信用度が低下する。そのため、情報の精度の向上こそが必要なのであるが、当局は情報の正確さを目指すよりも、避難しない国民の問題であると言うのはいかがなものか。
「説明責任」が唱えられて長い時間が経っているが、「説明責任」の意味が理解されていないようだ。「説明」とは、よくわからない人たちに対して、情報を制限し、簡単な、分かりやすい説明を行って政府の促すような行動を行わせるのではなく(由らしむべし)、十分に情報提供(説明)を行って(知らしむべし)、その後の選択は国民に委ねる方法を、民主主義国家は取るべきだろう。その為には、政府が望む事とは反対の行動をとるかもしれない情報も隠さず提供して、その結果国民の行動が間違えば、政府でなく、国民自身が情報に対する対応方法を見直す必要があるのだ。
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