終末期を考える―すべては「運」のうちか

最近になって、外来や入院患者さんとよくする会話です。若い頃にはしていなかったと思いますし、そんな発想もできなかったのだと思っています。これも時の積み重ねがもたらしてくれたものなのでしょうか。

患者さん:「先生の手術のお陰で元気になれました。」
私:「よかったですね。私にとっても有難い事です。手術をしても元気になっていただける方ばかりではありませんからね。」
患者さん:「やはり難しい方もあるんですね。」
私:「病気が見つかった時期によって変わりますからね。いい時期に見つけることができたのは、治療させていただく私たちとしても有難く嬉しい事だと思っています。」
患者さん:「そうなんですね。」
私:「ええ、最後は、お互いに運が良かったということになるのですかね。」

治療に努めつつ緩和ケアを行い、最期の時に向けて、まさにソフトランディングに入っている患者さんやご家族との会話もあります。

患者さん:「長い間、お世話になりました。」
私:「そう慌てないでくださいよ。まだ時間はありそうですから。」
ご家族:「ええ。でも、詳しい説明とアドヴァイスもいただいて、家族で十分に話もできました。主人も私たちが困らないようにと、いろいろなことを子供たちに伝えてくれました。」
患者さん:「こんなに、穏やかな気持ちでいることができるとは考えていませんでした。」
ご家族:「本当に。きちんとお話していただけたので、皆が落ち着いています。」
私:「そうでしたか。それは良かったです。痛みが出たりしんどかったら仰ってください。ちゃんとお薬も使えますからね。」
患者さん:「はい、有難うございます。」
私(の心の声):「お互いに、まだ時間があるうちに出会えて、率直に話し合えたことが良かったんでしょうね。お互いに『運』が良かったということでしょうか。」

これまでにも書いてきた真の意味での「告知」、今で言うところの“IC ( informed consent ) ”が正しく、しかも良いタイミングで行われると、よほどの偏屈な患者さんやご家族でない限り、きちんとした治療、手当てを受けていただき、最期を迎えるにあたってはお互いに穏やかな時間を持つことができるように思えています。

敢えて、「お互いに」と書いたのは、私の思い入れが強いからかもしれませんが、ぎくしゃくすれば、医療者側にもそれなりのストレスがかかることになるからです。そうした例は、これまでにも書いてきましたが、案外うまくいっていないケースの方が多いのかもしれません。そのためか、医者の中には、端から「煩わしい」と考えて淡白な対応をする方がいるのも事実のようではあります。かく言う私自身も、出会いのタイミングが悪い場合には、患者さんやご家族と良い関係を築けないままに終焉を迎えることもあり、医療者側が悪いとか患者側が悪いとかという議論にはなりにくい話のようではあります。こうなると、出会いという段階で「運」の良し悪しが決まるということになるのでしょうか。

さて、ここまで書いてきて、まだ治療ができる時点では、「発見が遅かった」といっても対応する時間があるわけですが、最期の最後を誤った時には、修正の時間もない事だけに、まさに「たまたま行った先の病院なり担当してくれた医者が悪かった」ということで、後味の悪いエンディングを迎えることになるのでしょうか。これも、結局は当事者同士の問題であり、その事を、私一人が「運が悪かった」と傍から言っても仕方ない事であるとは承知していることではあるのですが…。 

患者さんの側からすると、たまたまかかった病院で、たまたま診てもらった先生との縁で治療が始まるわけですが、これはまさに「運」試しということになるのでしょうか。もっとも、この時点では他の医療機関やお医者様との比較ができるわけもなく、その良し悪しはわからないということではあります。


一方で、熱心な患者さんやご家族の中には、ネットなどで有名な先生や評判の良い先生を探し出し、地元に限定しないで特別な医療を受けたいと思われる方もおられるようです。これに対して、医療とは別の観点から声高に喧伝する医療施設もあるようで、本当に希望する医療に辿り着くのも難しいのが現実なのかもしれません。そうであればこそ、持続した通院が可能なエリアに標準的なレベルの医療機関(特に医師)があるか(いるか)どうかも、そのエリアの方々にとっては「運のうち」ということになるのでしょうか。

こうしてみると、何も「終末期」と限定するまでもなく、あえて言えば人生そのものも「運」試しみたいなものだと開き直るしかないように思えてきますが、そう言ってしまうと身も蓋もないと言われそうです。せめて、自分が関わる人たちには、「運が悪かった」と言われないようにしたいものだと思っていますが、こればっかりは自分でわからないということで、なかなか難しい事の一つです。

今回のお話し、せめて人生の最期は「良運」に巡り合えるように、早いうちから「その時」への備えをしておかれることをお勧めして終わりにしたいと思います。

“Good Luck !! ”

医療法人 寺田病院 院長板野 聡
1979年大阪医科大学を卒業後、同年4月に岡山大学第一外科に入局。
専門は、消化器外科、消化器内視鏡。
現在の寺田病院には、1987年から勤務し、2007年から現職に。
著書に、「星になった少女」(文芸社)、「伊達の警察医日記」(文芸社)、「貴方の最期、看取ります」(電子書籍/POD 22世紀アート)、「医局で一休み 上・下巻」(電子書籍/POD 22世紀アート)。
資格は、日本外科学会指導医、日本消化器外科学会指導医、がん治療認定医、三重県警察医、ほか。
1979年大阪医科大学を卒業後、同年4月に岡山大学第一外科に入局。
専門は、消化器外科、消化器内視鏡。
現在の寺田病院には、1987年から勤務し、2007年から現職に。
著書に、「星になった少女」(文芸社)、「伊達の警察医日記」(文芸社)、「貴方の最期、看取ります」(電子書籍/POD 22世紀アート)、「医局で一休み 上・下巻」(電子書籍/POD 22世紀アート)。
資格は、日本外科学会指導医、日本消化器外科学会指導医、がん治療認定医、三重県警察医、ほか。
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