丹野智文さんは、「認知症の私から見える社会」の中で、次のように述べている。認知症と診断されたら、治療や介護の会話に加われないし相談対象にならない(どうせ説明しても分からないのだから、処遇は家族と医療機関で決める)、困っていると言えない(困りごとはすべて認知症のためだと決めつけられるから)、自由を制約される(自由にすると危ないから)。認知症とそうでない状態とは連続しているので、認知症と診断されたからといって、「突然」認知症になるわけではない。認知症の人に対して、家族や介護施設の人が言う「目が離せなくなった」と言うのは、周りに迷惑をかけてはいけないからと言う理由からだ。それは多分当事者の行動を十分把握してない介護者が、自分の不安を解消する為もあるだろう。認知症の人が、電気のつけっぱなしや、水道の水を出しっぱなしにして困っていると訴える場合には、それを問題にするのではなく、消してあげればいいだけであるが・・・。
これらは、タルコット・パーソンズによって唱えられた「シックロール」(病者役割)が、認知症に当てはめられている表れだ。「シックロール」とは、①患者(病んでいる人)は、病気という不可抗力によって能力を制限されているので、社会的責任を免除されること、同時に、②病気から回復することを努力しなくてもよい状態になることを示している。「シックロール」(病者役割)と位置づけることにより、社会は、病者に対して、病気による行動責任及び病気になった責任も免除する。しかし同時に、社会における「役割」を奪う意味もある。
患者にとっての「シックロール」は、今まで原因が分らず不安であった状態が、診断によって原因が明らかになり不安が解消すること、同時に、自分自身が病気という不可抗力によって能力を制限されているので、社会的責任を免除されることを指している。病院に入院すると、妙に安心するのは、この様な「シックロール」に自分自身を置く事になるからだ。「シックロール」の考えかたでは、患者の周辺者が、患者に対する印象を大きく変えることになる。つまり、今まで通りの社会的役割を果たさなくなったと非難していたのが、病気という不可抗力的な状態に置かれた「可哀想な人」と見るようになるのだ。子供が授業中に騒ぐのは、しつけが悪いのではなく、「ADHD(注意欠陥・多動性障害)」の為、学習についていけないのは、「LD(学習障害)」と言う「疾患」の為、友達が出来ず孤立しているのは「自閉症」の為、など、多くの状態を「疾患」にすれば、本人は責任を免れ、努力する、協調するなどをしなくても、仕方がないと見なされる。本人にとっては社会的役割を免除された状態となる。
他方、家族にとっても、「シックロール」はそれなりの役割を果たしている。家族が子供に対して、わがままになった、怠けるようになった、誠実でなくなった、など、倫理的、感情的に非難する態度から、一転して、病気だから仕方ないと考えるようになり、行動を許し、あるいは、同情的な感情を持つ事が出来るようになるのだ。
しかし、認知症について、「シックロール」は、もっとも大きな影響を与える。認知症に罹っている高齢者を抱える家族にとって、怠惰になった、あるいは、約束を守らない、と非難する代わりに、認知症と言う病気になった「かわいそうな人」の役割を与え、同情することが出来るのだ。この考えは、患者を家族からの非難の対象から救い出すと同時に、家族と同等の地位を剥奪し、ケアの対象としての地位、すなわち社会的に自立した存在であることを消し去る意味を持つ。患者は、もはや独立した人格としての権限を失い、他者がその動向を監視し、左右する存在となる。患者を脇に置き、処遇は家族と医療側あるいは介護側の話し合いで決めることになるのだ。
冒頭の丹野智文さんはこのことに反対する。認知症になっても、今まで通り、社会的役割を持ち、そして、責任を担う存在として認めてほしいと訴えている。認知症になった人を全面的に否定せず、障害で失われた部分のみを補うよう求めているのだ。
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