論理は制度を作り、制度は政策を決定する。例えば介護保険制度は次のような「論理」に基づき、「制度」の考えを示している。
介護保険法
第1条 この法律は、・・・要介護状態となり、・・・療養上の管理その他の医療を要する者等について、これらの者が「尊厳を保持し、その有する能力に応じ自立した日常生活」を営むことができるよう、必要な保健医療サービス及び福祉サービスに係る給付を行う・・・。
第2条
3 保険給付は、被保険者の心身の状況、その置かれている環境等に応じて、「被保険者(高齢者自身)の選択に基づき」、・・・効率的に提供されるよう配慮して行われなければならない。
4 ・・・被保険者が要介護状態となった場合においても、可能な限り、「その居宅において」、その「有する能力に応じ自立した日常生活を営むことができるように」配慮されなければならない。
要約すると、要介護状態になっても「尊厳を保持し、その有する能力に応じ自立した日常生活」が出来るように、そして、「被保険者の選択に基づき」、「その居宅において」「有する能力に応じ自立した日常生活を営むことができるように」配慮することを示している。つまり、高齢者個人の欲求の容認と、それに伴う責任を持った自立を介護の目標としている。高齢者自身以外の「誰か」の意見によって、処遇が決められるわけではないし、自宅において、高齢者自身が考え、自律的に行動することに制度設計がなされている「はずだ」。しかし、介護保険の運用では、高齢者個人の欲求よりも家族の要望が優先され、介護施設においては自立よりも管理(リスクを避けること)が優先される。
家族の要望を優先することや、施設での自立より安全が優先されることは、従来からの日本の慣習や、リスクを恐れる傾向が、介護保険の論理よりも尊重されているということである。論理と慣習との食い違いは、論理とそれに伴う制度を西欧から取り入れたにもかかわらず、日本の昔からの慣習が優先されることの現れである。この両者の矛盾が明らかになった場合、どちらを選択するかによって、制度の方向性が決まるのであるが、さらにもう一つの日本的方法として、その選択を留保し、決定を先延ばしにして、いわゆる「建前と本音」の食い違いを容認するやりかたもある。この場合、どちらかといえば、本音、つまり今までの慣習を優先させたやり方になり、建前は論理上のみの問題として棚上げされる。棚上げされた結果、当然ながら本音(慣習)を優先し、介護保険では高齢者の欲求は退けられ、家族の要望するリスク回避のための管理が優先する。論理(高齢者の欲求を優先すること、自立を目指すこと)は建前なので、研修などでは教えられるが、現実の介護には取り入れられないことも多くなる。このような論理と慣習との食い違いは、介護保険のみならず、社会保障分野、一般の企業統治、ジェンダーの問題など多くの分野に表れ、慣習が論理に優先する風景を見ることができる。結果的に制度変更は難しくなる。
食い違いのもとになっているものは、西欧から輸入した考え方であるインディビデュアリズム(個別主義)と日本の慣習(保守主義あるいは共同体主義)との違いだ。例えば、生活保護制度においての扶養義務の範囲について、インディビデュアリズム(個別主義)の考えからは、個人は独立して存在し、希望すれば個人単位で給付を行うことが求められる。しかし、日本の慣習では、家族、親族は一体であり、お互いに助け合う必要があるとされる。善悪の問題ではなく、それが日本の慣習なのである。慣習を貫くのであれば、慣習に合わせた法的ルールを作れば良いと思われるが、生活保護制度はそうでなく、論理に従って、個人(世帯)単位で給付されることになっているので、たとえ裕福な親族がいても、給付を妨げるものではない。しかし、日本の慣習では納得されない。
論理は西欧で盛んになり、その系譜は啓蒙主義を経て、個別主義へとつながっている。これに対して日本を含む東洋では、保守主義あるいは集産主義的な慣習が残っている。問題は、西欧の論理的考えを、そうでない日本社会に取り入れていることだ。この結果、建前と本音の食い違いが生じ、それを気にしない雰囲気が作られている。もし、日本人、あるいは日本政府が、論理を元にした国を目指すとすれば、慣習を大きく変えなければならないし、日本に根づく慣習を重視するなら、論理は脇へ置かなければならない。
政治の世界でも、個別主義と保守主義は、表面的に現れてはいないが(表面に現れるのはポピュリズムかどうかだが)、基本的な対立軸となっている。このような基本的な考えを表面化させず、主義主張を述べても仕方がないだろう。やはり、個別主義と保守主義の論争が必要だ。それは、家族のあり方、天皇の地位、元号の取り扱い、教育の基本など多岐にわたる問題を含んでいるからである。
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