日本の「ケアラー支援」で大切なこと

皆さんは、「ケアラー」という言葉を聞いたことがあるだろうか?最近、ニュースや政治でも「ヤングケアラー」が取り上げられることもあり、少しずつ日本でもケアラーの知名度は広がってきている。

日本ケアラー連盟によると、ケアラーとは、「こころやからだに不調のある人の『介護』、『看病』、『療育』、『世話』、『気づかい』など、ケアの必要な家族や近親者、友人、知人などを無償でケアする人」を指す。ヤングケアラーは、祖父母などを介護する学生のことを指す意味合いで使われており、介護によって自身の勉強その他学生としての生活に支障が出ている点から、社会問題としてクローズアップされている。本稿では、ヤングケアラーを含む、日本のケアラー問題を踏まえ、支援の大切な視点を提起したい。

日本のケアラー問題を考える上で、人々の高齢化は避けて通れない事実である。というのも、高齢になると介護が必要となるリスクが高まるためである。内閣府「令和3年版高齢社会白書」によると、「65~74歳で要支援の認定を受けた人は235,000人(1.4%)、要介護の認定を受けた人が495,000人(2.9%)であるのに対して、75歳以上では要支援の認定を受けた人は1,586,000人(8.8%)、要介護の認定を受けた人は4,137,000人(23.0%)」である。介護が必要となると、介護を支援する専門職(ケアマネジャーやヘルパーなど)に加え、要介護者本人の家族がケアラーとなり、介護に関わるようになる。ケアラーの数は、明確になっていないが、要支援・要介護者の家族の多くがケアラーであると考えれば、その数の多さは想像に難くない。ケアラーが向き合う事柄として、要介護者本人のこれからの生活、ケアラー自身の家庭や仕事を維持しながらの介護生活、家族内の主ケアラーと主でないケアラーの関係などがある。

日本のケアラー問題は、ケアラー支援が進まず、その負担が放置されやすいことにある。ケアラーは要介護者と身近な存在であるという理由から、無償でケアをすべきという社会規範があり、ケアラーによっては、仕事として介護をする専門職以上の時間とエネルギーを費やし要介護家族と向き合っているにも関わらず、それを自身も周りも当然とみなしやすい。また、施設への入居を考えても、ケアラー、本人、他の家族、周りの目、施設の空き状況や要介護度、金銭面から、施設に入りたくても入れないという問題も存在する。そのため、同居、近居などの形で、ケアラーが要介護家族と向き合っている構造がある。

日本において、ケアラー支援の取り組みは、認知症本人・ケアラーを中心にした認知症カフェ、認知症に限らないケアラー同士の交流会など、各地域の包括支援センターやNPO、企業なども参画し、進んでいる。しかし、それらのコミュニティに参加できるのは、自身で移動可能、ケアラー支援有など参加できる環境が整っている人のみである。コロナ禍を経て、オンラインコミュニティも増えているが、ケアラーの多くも高齢であり、デジタルに苦手意識がある人は、アクセスの難しさを抱える。国立社会保障・人口問題研究所(2018)「介護保険制度下での家族介護の現状に関する研究」によると、主な介護者の年齢構成を見ると、60 歳以上が大部分(5~6 割程度)を占める。また、そもそもそのような場の存在を知らない人、別の形の支援を求める人など、多様なケアラーそれぞれと接点を持つ難しさもある。家庭内の問題を外に出しにくい(恥と考えやすい)意識がある日本社会において、それぞれが、自身の生活と介護のバランスを取りながら、生活をしている。

要介護者に適切なケアをどのように捉え、誰がどのように実施するかに関わらず、ケアラーが要介護者にとって大切な存在であることは間違いなく、支援が必要であることも間違いない。その存在への支援のあり方として、ケアラー個人への支援に、より注力すべきだと私は考える。TwiggとAtkin(1994)は、ケアラーの「4類型」を示している。最初の類型である、「主たる介護資源としてのケアラー」は、家族がほとんどのケアをするのが当然と見る考え方である。その次の類型は、「介護協働者としてのケアラー」であり、家族は専門職と協働して、要介護者の介護度の改善を目指す。この2つまでの類型が今の日本のケアラーの実態に近いと思われる。その次の類型は、「クライエントとしてのケアラー」であり、ここでは、要介護者だけでなく、ケアラー自身も支援の対象に含まれる。ただ、その中心は、引き続き要介護者の介護度の改善であり、ケアラーが要介護者の健康状態を維持、改善させる存在である限りにおいて支援対象になっている。そして、最後の類型は、「ケアラー規定を越えたケアラー」である。この類型では、要介護者とケアラーが切り離され、両者を個人として個別的に支援するものであり、この形は、今、進みつつある未来のケアラー支援の方向性として、望ましいものではないだろうか。なぜなら、「ケアラー規定を越えたケアラー」の支援をすることで、要介護者、ケアラー本人の生活の豊かさが高まるためだ。ケアラーが適切に関わる、場合によっては適切に関わらないことで、要介護者の介護度の改善が見込まれるだけではなく、ケアラーの介護の抱え込みによって、残念ながら生じてしまう可能性のある要介護者への虐待や関係性の悪化、ケアラー本人の健康度悪化などを避けることもできる。

具体的にケアラー個人への支援として、三点お伝えしたい。一点目は、ケアラーを主体として社会が再認識することである。ケアラーは一人の人間として存在しているのであって、要介護者のためだけにある存在ではない。二点目は、ケアラー自身への情報の提供である。介護は社会化されるべきことであり、自身だけがケアを担う必要がなく、最低限関わるだけでも十分という気づきを周りが与えることである。三点目は、介護と離れた自分の世界を持ち続けやすくする機会の提供である。つまり、自分時間を持ったり息抜きを気兼ねなくすることができるよう応援してあげれば良い。これらは、必ずしも費用を要することではなく、ケアラーと関わる人だけでなく、ケアラー本人も意識、実践できる。このような支援の空気が醸成されれば、一人ひとりが時々の環境に合わせて、より自分らしく生きやすくなるだろう。

今後も高齢者の増加によって、多くの家族がケアラーとして介護と関わることは間違いない。その際、ケアラーをどのように支援し、要介護者本人、介護専門職、地域の人々などのチームに加わってもらうか。ケアラーを個人として捉え、そのケアラーに合わせた支援をすることが、誰かの支援が必要となる状態になっても、満足して、豊かに温かく暮らし続けるヒントになると確信している。

JICA専門家足立 伸也
1987年兵庫生まれ。
立命館アジア太平洋大学卒業。法政大学大学院修了(公共政策学修士)。現在同大学院博士後期課程在籍中。
組織の人材育成、企業の海外展開、新興国の社会課題調査などのコンサルタント、ケアラー(家族介護者)向けの事業開発、カイゼン・アプローチのアフリカ展開戦略策定などを経て、現在はタンザニア在住。『シン・ニホン』アンバサダー。エシカル・コンシェルジュ。
1987年兵庫生まれ。
立命館アジア太平洋大学卒業。法政大学大学院修了(公共政策学修士)。現在同大学院博士後期課程在籍中。
組織の人材育成、企業の海外展開、新興国の社会課題調査などのコンサルタント、ケアラー(家族介護者)向けの事業開発、カイゼン・アプローチのアフリカ展開戦略策定などを経て、現在はタンザニア在住。『シン・ニホン』アンバサダー。エシカル・コンシェルジュ。
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