生まれた郷土を愛する気持ちは世界中の誰もが持っている。これを愛郷主義(Regionalism)という。甲子園に出場する郷土の高校生を応援する気持ちだ。愛郷主義(Regionalism)は、自分にとって手の届くところになるもの、例えば、その人の生い立ちを知っている、その人と友だちを共有している、その人と同じ小学校か中学校出身であることなどである。これに対して、郷土を愛する気持ちが拡大し、近代になって生まれた形態の国家を愛し、応援する気持ちをナショナリズム(Nationalism)という。近代の「国」が成立したのは、それほど昔ではない。せいぜい18世紀頃からだ。それなのに、今ではすべてのことを、すべての人が「国」を基準として考えるようになっている。日本でも「国」が本格的に成立したのは、明治維新以降だろう。それ以前の国家単位は「藩」であったことは明らかである。移動、通信手段が乏しかった影響もあるが、17世紀の岡山藩の住民は、薩摩藩の不幸な出来事には全く関心がなかったし、江戸の人たちは、近隣の箱根の出来事には少しは関心があるだろうが、遠く離れた土佐藩の出来事には全く関心はなかった。
しかし、「国」の概念が浸透した現在では、福岡在住の人は、900kmはなれている東京の人の不幸には大いに関心があるが、200kmしかはなれていない近くの釜山の人の不幸にはあまり関心がないし、もともと情報すら届かない。国家の枠組みは比較的新しいが、民族の団結と同じようにかなり強い。本来国家を愛する気持ちは、自然に湧き上がることを前提としているが、そうでもない。国家が不安定な場合に為政者は対外的にナショナリズムを前面に押し出すことによって、不安定な国内をまとめようとする。体外的な戦争はその典型だ。そして、この戦略は成功することが多い。
オリンピックは国別対抗戦ではないと言いながらも、国別意識いわゆるナショナリズムが最も強くなるイベントだ。「オリンピック憲章」(2015年版)の第1章には、個人種目または団体種目は選手間の競争であり、国家間の競争ではないと記されている。しかし、結果的に金メダルの個数やメダルの個数を問題にする。オリンピックが近づくと、「にわかナショナリスト」が増える。
全く同じ性質と能力を持つ人が、同じ国で裕福な両親のもとに生まれた場合と、貧しい両親のもとに生まれた場合(いわゆる親ガチャ)で、その後の成長に違いが出る場合は、多くの人が異議を申し立てる。しかし、全く同じ性質と能力を持つ人が、豊かな国の両親のもとに生まれた場合と、貧しい国の両親のもとに生まれた場合の差については問題としない。なぜ同情を寄せる対象が、国内のみ(日本内部)であり、国外(日本の外)には関心がないのだろうか? かつて左派(例えばインターナショナル運動など)は、すべての国の労働者の連帯を唱えていたが、現在では、左派は移民の流入や資本の流出に反対して、自国民のみの利益を代弁している。これでは、極右の移民反対論と差がなくなっているのではないか。20世紀後半からのグロバリゼーション(globalization)の時代が到来し、ナショナリズムは影を潜めるかと思えばそうではなく、他国との比較で形勢が悪い時(経済、文化、政治領域で)、ナショナリズムは復活する。なるほど、社会保障体制は国家を基本としているので、その国に暮らすかどうかは意味があるかもしれないが、その他の問題は、個人か企業単位の問題で国家はあまり関係がない。産業でも文化でも、オールジャパンなどを唱えるときには注意したほうが良い。それは形勢が悪い場合であり、国単位の集合の多くは失敗する。
ナショナリズムは、各種のイベント(オリンピックなど)で盛り上がる。そして増幅する。大相撲もナショナリズムの困った例の一つである。スポーツ界で最も早く外国人の登用を行ったのにも関わらず、相変わらず「日本人横綱」を期待する。そして、外国人横綱に対して日本伝統の所作を強く求めるが、果たして日本人横綱に同様の注文をつけるだろうか?
日本がいわゆる「日本人」のみで再建できないことは、人口の激しい減少とリスク回避の傾向から明らかである。もともと日本は海洋国家であり、海外の文物に抵抗は少ないはずだ。いまこそ、ナショナリズムを解消し、国際人として、日本人すべてが成長することを望む。国家は、「制度的」に残さざるを得ないが、社会はナショナリズムに対抗できるはずである。
小林 天音の記事を見る
秋谷 進の記事を見る
坂本 誠の記事を見る
Auroraの記事を見る
竹村 仁量の記事を見る
長谷井 嬢の記事を見る
Karki Shyam Kumar (カルキ シャム クマル)の記事を見る
小林 智子の記事を見る
Opinions編集部の記事を見る
渡口 将生の記事を見る
ゆきの記事を見る
馬場 拓郎の記事を見る
ジョワキンの記事を見る
Waode Hanifah Istiqomah(ワオデ ハニファー イスティコマー)の記事を見る
芦田 航大の記事を見る
岡﨑 広樹の記事を見る
カーン エムディ マムンの記事を見る
板垣 岳人の記事を見る
蘇 暁辰(Xiaochen Su)の記事を見る
斉藤 善久の記事を見る
阿部プッシェル 薫の記事を見る
黒部 麻子の記事を見る
田尻 潤子の記事を見る
シャイカ・サレム・アル・ダヘリの記事を見る
散木洞人の記事を見る
パク ミンジョンの記事を見る
澤田まりあ、山形萌花、山領珊南の記事を見る
藤田 定司の記事を見る
橘 里香サニヤの記事を見る
坂入 悦子の記事を見る
山下裕司の記事を見る
Niklas Holzapfel ホルツ アッペル ニクラスの記事を見る
Emre・Ekici エムレ・エキジの記事を見る
岡山県国際団体協議会の記事を見る
東條 光彦の記事を見る
田村 和夫の記事を見る
相川 真穂の記事を見る
松村 道郎の記事を見る
加藤 侑子の記事を見る
竹島 潤の記事を見る
五十嵐 直敬の記事を見る
橋本俊明・秋吉湖音の記事を見る
菊池 洋勝の記事を見る
江崎 康弘の記事を見る
秋吉 湖音の記事を見る
足立 伸也の記事を見る
安留 義孝の記事を見る
田村 拓の記事を見る
湯浅 典子の記事を見る
山下 誠矢の記事を見る
池尻 達紀の記事を見る
堂野 博之の記事を見る
金 明中の記事を見る
畑山 博の記事を見る
妹尾 昌俊の記事を見る
中元 啓太郎の記事を見る
井上 登紀子の記事を見る
松田 郁乃の記事を見る
アイシェ・ウルグン・ソゼン Ayse Ilgin Sozenの記事を見る
久川 春菜の記事を見る
森分 志学の記事を見る
三村 喜久雄の記事を見る
黒木 洋一郎の記事を見る
河津 泉の記事を見る
林 直樹の記事を見る
安藤希代子の記事を見る
佐野俊二の記事を見る
江田 加代子の記事を見る
阪井 ひとみ・永松千恵 の記事を見る
上野 千鶴子 の記事を見る
鷲見 学の記事を見る
藤原(旧姓:川上)智貴の記事を見る
正高信男の記事を見る
大坂巌の記事を見る
上田 諭の記事を見る
宮村孝博の記事を見る
松本芳也・淳子夫妻の記事を見る
中山 遼の記事を見る
多田羅竜平の記事を見る
多田伸志の記事を見る
中川和子の記事を見る
小田 陽彦の記事を見る
岩垣博己・堀井城一朗・矢野 平の記事を見る
田中 共子の記事を見る
石田篤史の記事を見る
松山幸弘の記事を見る
舟橋 弘晃の記事を見る
浅野 直の記事を見る
鍵本忠尚の記事を見る
北中淳子の記事を見る
片山英樹の記事を見る
松岡克朗の記事を見る
青木康嘉の記事を見る
岩垣博己・長谷川利路・中島正勝の記事を見る
水野文一郎の記事を見る
石原 達也の記事を見る
野村泰介の記事を見る
神林 龍の記事を見る
橋本 健二の記事を見る
林 伸旨の記事を見る
渡辺嗣郎(わたなべ しろう)の記事を見る
横井 篤文の記事を見る
ドクターXの記事を見る
藤井裕也の記事を見る
桜井 なおみの記事を見る
菅波 茂の記事を見る
五島 朋幸の記事を見る
髙田 浩一の記事を見る
かえる ちからの記事を見る
慎 泰俊の記事を見る
三好 祐也の記事を見る
板野 聡の記事を見る
目黒 道生の記事を見る
足立 誠司の記事を見る
池井戸 高志の記事を見る
池田 出水の記事を見る
松岡 順治の記事を見る
田中 紀章の記事を見る
齋藤 信也の記事を見る
橋本 俊明の記事を見る