「終末期を考える」と題して、現在の高齢者医療が抱える問題を書かせていただいています。その多くは、病院に来られてから最期を迎えるまでの問題を取り上げていますが、今回は別の視点から、今の高齢者医療が抱える問題を述べてみたいと思います。
80歳代後半の男性です。これまで「お元気」ということで、どこの医療施設にもかかっておられなかった方です。数年前に奥様を亡くされ、今はお一人で過ごしておられるのですが、数日間便が出なくなり苦しいという訴えで来院されました。
初診時、押し車を押しながら診察室に入ってこられましたが、肥満体の身体でフラフラと歩いてこられ、思わず転倒を心配したことでした。改めてお話を聞いても「元気です」ということで、先に「お元気」とカッコ付けをつけた次第です。
さて、この方は、診察で粘土状の糞塊が肛門まで詰まっていたため摘便と浣腸をさせて頂き、どっさりと便が出てすっきりされて帰られることになりました。もちろん、下剤を処方することになりましたが、浣腸後のすっきり感に魅せられたのか、はたまた下剤の効果が不十分なのか、三日と開けずに浣腸を希望して来院されることになりました。それなら、浣腸を処方しましょうかとなりますが、肥満と腰痛で自分ではできませんとのことでした(それでも「元気」です?)。
何回目かの診察の時、生活の状況をお聞きしたところ、「独り暮らしで、子供もいない」、「親類縁者はいるにはいるが、自分が兄弟の一番下で、残っている兄や姉は皆施設に入っていて音信不通、甥や姪もわからない」とのことでした。こうなると、今後のことが心配になりますが、「墓は地元と比叡山の二か所に用意してある」と胸を張られます。
「いえいえ、問題は、そうなった時のお世話をどなたがして、どなたがそこまでお送りするのかということなのですが」と言いかけて逡巡したことでした。
ある日の朝の診察に、70歳前半の女性が来られました。診察室に入る段階で、前屈みでお腹に手を当てておられます。「これは何かあるぞ」と思って、すぐに診察台に寝ていただこうとしますが、痛みのせいか、それさえもままなりません。なんとか横になっていただき、お話を聞いていくことになりました。
しかし、私の質問に答えるのもしんどそうです。続いて、おなかの診察をすると、おなかのどこを押さえても即座に「痛い」と声をあげられます。そっと触ると、おなかは板のような硬さ(そのまま「板状硬」と言って腹膜炎のサインです)で、抑えた手を離すとビクンと痛みを訴えられます。この痛みを「反跳痛」と呼んでいますが、” Blumberg徴候 “といって、これも腹膜炎の所見とされています。
「やっぱりな」と、入室時の様子を納得することになりますが、原因はわかりません。血液検査やCT検査を行いますが、結局は「急性腹膜炎」としか言いようがなく、こうした時の診断は「急性腹症」とつけることになります。これは、何が原因かわからないが検査をしている暇はなく、緊急手術を必要とする腹部の病気とでもいった意味合いで使われています。
さて、ご本人にそこまでの診断と緊急に手術が必要なことを説明しますが、ご本人はお一人でタクシーを使って来られたということでしたので、「手術が必要な状態です。ご家族にご説明をしたいので、呼んでいただかなくてはいけません」とお話しします。すると、「夫がいますが、難聴で電話をしても聞こえないと思います」とのこと。さらに、「子供もいませんし、兄がいますが遠方です。ご近所付き合いもないので、お願いして夫を呼ぶこともできません」と言われます。そして、「手術はしてもらっていいので、夫は呼ばなくていいです」と続けられます。
「いやいや、緊急手術でなにがあるかわかりませんし、ご家族にご説明して了解を頂かなければできませんよ。何より、ご主人が知らないままに手術したら、夜になってもあなたが帰ってこられないし、不審に思われるでしょう」ということで、手術の準備が一時停止となります。
結局、事務方に頼んでご主人を迎えに行ってもらいましたが、来られたご主人は確かに高度の難聴で筆談をすることになりました。もっとも、筆談でもなかなかご理解していただきにくく、いわゆる認知症が疑われました。それでも、なんとか「手術をしてください」とのご返事を頂き、再び準備が動きだします。
その後、無事に手術は終わりましたが、ご主人はタクシーで帰られており、「何かあったら電話してくれ。電話がかかっていることはわかるので、俺が出たら、大きな声で病院に来いと言ってくれたらいつでも来る」と言い残されていたとのことでした。
後でわかったことですが、近くの開業医さんに内科疾患でかかっておられ、いわゆる「かかりつけ医」はあるようです。ただ、そこの先生は薬を出すだけで、家族構成や今回の腹痛にも無関心のようで、前日に受診された時も「腹痛の原因はわからん」とのことだったそうでした。
このお二人、今回は何とか乗り切れそうですが、介護保険も使っておられず全くの無防備状態で、今後はどうされるのかと心配になっています。
今回ご紹介したケースは「孤立無援」というよりも、「孤立無縁」ということになるのでしょうか。この問題、普段の生活の中では事が起こらない限りわからないということで、まさに氷山の一角ということではないかと、背筋に冷たいものが走ることになりました。一度、皆さんの周りにお住いの方々や鏡の中の御仁をチェックしてみてはどうでしょうか。
ちなみに、この二つのケースでは、それぞれに地域連携の担当者を通じて、介護なり市役所の民生委員制度などを利用することをお勧めすることになりました。そして、最期の時には、成年後見人制度なり民生委員なりで事後処理をしていただけるように手配しています(実際には、最期には自治体で身元不明人的扱いになるようですが、ケース・バイ・ケースでの対応ということのようです)。
今回のお話しは、広い意味での「終末期」と言えそうです。高齢化社会を想えば、これから増えてくる予感があり、地域医療を支える上での大切な問題と考えています。
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