私が見たミャンマーの現実-「平和」と「民主主義」の距離-

生まれてからこの方、こんなにも「平和」「人権」「民主主義」について考えたことはありません。

2021年2月以降、私が第二の故郷として8年住んでいる国、ミャンマーで政変が起きました。
国軍の説明によると、「法規的に執り行われた、”国家非常事態宣言”」であり、これに対して反対する国民や勢力はこれを「軍事クーデター」と呼んでおり、多くの日系メディアもこれに倣っています。

私は当地で事業を営んでいます。従業員の90%以上、お客様が100%が現地ミャンマーの人々で、営業エリアの70%以上が農村部といわれる、昔ながらの風景を残す地域です。
自然に囲まれた穏やかな景色と異なり、その生活は厳しく、社会構造から生まれる貧困からの脱却が容易ではありません。
私たちの事業はこうした農村部の人々への事業支援を行っています。

私自身、これまで、政治に興味が深い方ではありませんでした。
選挙があれば行く程度の、1年1打席程度、野球に例えると規定打席以下、それが民主主義や政治に対する関わり方でした。
ミャンマーに移った後も、自身の興味である歴史や事業の観点から、世界的にみても長期に渡った軍事政権に関する書籍は読んでいましたが、その程度です。

こんな私からは、政治的な意見・発言ではなく、この政変や状況下を生きる現地の人々を通じて知ったこと、感じていることを、お話ししたいと思います。
出来るだけフラットな気持ちで、目で見たことを、2回に分けて、綴って参ります。

どうか「平和」と「民主主義」を安定的に享受できる日本にいる方々に、これらを自分事として見て頂けるきっかけになればと思います。

寝耳にニュース

2021年2月1日、私は日本に居ました。
ミャンマーは2020年3月末以降、新型コロナウイルスの影響に悩まされており、同年5月以降同国へは「救援便」に限られ、自由な行き来が難しい状況です。
弊社の外国人従業員は(わずか2名ですが)、万が一に備えて当地を離れ、約7か月が過ぎようとしていました。

その日、メールの受信ボックスに、第一報が届いたのはミャンマー時間朝6時、日本時間9時前でした。

『スー・チー氏が国軍に拘束』

脳の整理がつかぬまま、現地スタッフに連絡を急ぎますが、すでにインターネットが遮断されており、メッセージは既読になりません。
日本時間13時を過ぎ、2度目のニュースが入ります。

『速報、非常事態宣言を発出』『国軍が全権掌握』『国軍、総選挙の再実施を表明』

連絡がつかないまま、時間だけが過ぎていき、もう何日も待っているような気持ちでした。
ようやく夕方ごろ連絡がつきはじめ、スタッフと話が出来たのは、もう夜でした。

電波がかなり悪く、ガサガサというノイズ越しに聞く彼らの声は、まるで、遥か宇宙のかなたにある星と交信をしているのか、又は、遠い過去に記録された音声を聞いているような、とても悲しい響きでした。
互いに自然と涙が溢れ、流れていきますが、なぜ泣いているのか分かりませんでした。
ただ、何かが失われた事だけ、はっきりと感じていました。

個人の表現と刑法等の改正

その後、救援便による渡航が叶い、私は3月上旬ミャンマー入りをします。
ニュースで流れていたような、大規模なデモはすでに鎮圧されていましたが、夜間の取り締まりや住宅街での銃撃が続いていました。混乱の激しかった最大経済都市ヤンゴンからは多くの人が避難をしていました。

入国後は隔離期間があるため、14日間はホテルの部屋から一歩も出ずに過ごし、ホテルスタッフとも基本的には顔を合わせません。
そんな中、毎夜20時になると、顔を合わせる人たちがいました。
「鍋たたき」の人たちです。

「鍋たたき」とは、悪霊を追い払うために大きな音を立てる儀式を、反対・抵抗する国軍に向けて行うムーブメントです。
大規模なデモはすでに鎮圧されていたと言いましたが、こうして様々な形で、個人が自らの意志を表現することが続けられていました。
ある人は大声をあげながら、ある人は涙しながら、ある人は踊りながら、ある人は部屋で静かに。家にある鍋などの、たたくと音の鳴るものをそれぞれが数分間打ち鳴らします。

窓の近くにいるのが見えると、反対運動を標的とする国軍から攻撃を受ける可能性があるということで、私は備え付けられたソファの上に立って、窓から顔を出して心の声を打ち鳴らす現地の人を見ながら、この14日間を過ごしました。

「攻撃を受ける可能性」と言いましたが、2021年2月14日に刑法並びに刑事訴訟法が改正されています。

『国軍構成員や政府職員に政府または国軍に対する嫌悪・不服従・不忠実が生じるよう、その者たちの忠誠・意欲・規律・健康・訓練・任務遂行に対して、減殺・打撃・阻止・妨害・損傷させようという意図を有する者、または惹き起こそうとする者。』は、裁判所の判決を経ずに、警察は逮捕できることになっています。

実際に、当地に住む外国人宅であっても、催涙弾や投石の被害が発生しており、あの隣人たちの意思の表現は、命がけのものだったと思うと、言葉に詰まります。
目が合うとこっちに向かって鍋をたたいてくれたり、笑顔を見せてくれたりした14日間の隣人たちの顔が、今も目に浮かびます。

この頃には、ミャンマーの人からフェイスブックの投稿が減りつつありました。
ミャンマーの友人とのコミュニケーションもメッセンジャーから、より秘匿性の高いアプリケーションに変わっていました。
積極的にデモに参加していた人の中には、上記の刑法の変更などもあり、身を隠している人もいるという話も耳に入ってきます。
そして当然のように、日常的に爆発音や銃撃音が耳に届きます。

慣れ親しんだ場所に帰ってきたはずが、タイムスリップしてしまったのか?これが現代に存在している世界なのか?
錯覚を起こしそうでした。

内戦になれば参加する人が50%以上

タイムスリップしてきたような感覚を覚えた外国人の私ですが、現地で生まれ育った人たちはどう考えているのでしょうか?

これらを正しく捉え伝えようとする有志の方々が、現地日系企業に勤めるミャンマー人を対象としたアンケートを実施しました。
2月1日以降の各国政府の対応に対する評価も含まれており非常に興味深い内容となっています。
https://note.com/myanmarsurvey/n/n14d9eed0adf9

その中で私が目にとめた質問は『21. 国軍への抵抗のため連邦軍の募集があった場合どうしますか?』です。

私の知っている、あの人やあの子が、武器を手に戦地に出てしまうの?

内戦への参加を問われ、半数以上の人が武器を手にすると答えたことに、眠れなくなる程の衝撃を受けました。

この調査から6ヵ月以上が経った9月7日、挙国一致政党(通称NUG)が『D Day』と呼ばれる、国軍への戦闘開始を宣言しました。
米国の「武力紛争発生地・事件データプロジェクト」(ACLED)から公表されたデータでは、9月1~17 日までにミャンマーで発生した爆発、武力衝突、空爆、銃撃などの総数は約 780 件に上っています。

当初想像したような、都市部を含む市街地戦は発生していないものの、この内約10%が最大経済都市ヤンゴンで起きており、地方部での両軍の衝突は激しさを増していると伝えられています。

「平和」と「民主主義」との距離

約3か月間の滞在を経て、6月末、日本に戻ってきました。
一方で、戻った日本は、ミャンマーに関する報道を目耳にする機会がぐんと減っていました。

出発の数週間前から、ヤンゴンでの爆発・銃撃事件は徐々に増えていました。
ある日の夜中、近所の公園で爆発が起き、知人もこれに巻き込まれ重体に。
その後、不服従運動の参加者であることを理由に、先の刑法に基づいて拘束されたところまで報道がされましたが、今も安否が分かっていません。
他にも多くの拘束者や、安否不明者がいるのが、ミャンマーの現実で、実際に存在している世界です。

ミャンマーという国で起きているこうした日常的な悲劇や、平和、人権、民主主義に関する問題は、日本の世論やメディアでは、話題性や目新しさのないもの、と理解されているのだと痛感しました。

ミャンマーだけではなく、地球上には、平和を脅かす戦争も、徴兵制度もあることを、頭では理解しています。
遡れば、ヒロシマ、ナガサキに原爆が落ちたことも、私が生まれた国の軍隊がミャンマーの地で戦争をしたことも。

自分はこれまで、自分を含む世界や誰かの平和のために、何かをしてきただろうか?
目の前で起きている悲劇に対して、何の責任もないだろうか?
今のところ、私はYESと自信を持って言うことができません。

近代ミャンマーで、いわゆる「民主的で公平な選挙」が行われるようになったのは2010年だと言われています。
その後、2015年選挙では、圧倒的な支持率を誇るアウンサンスー・チー氏率いる国民民主連盟(NLD)が政権を握るように。
その日、投票者の親指には、不正投票を防ぐための「消えないインク」が青く輝いていました。
通りすがりの人々が、親指を掲げ合い(本当に知らない人同士でも)、この民主主義への一歩を喜んでいるように見えました。
タクシーに乗れば、ドライバーに何度も親指を立てて見せられ、選挙に行った話、これまでの選挙や政治への不満を聞かされました。

それ自体は、国民が、犠牲を払いながらもやっと勝ち得たもので、価値ある素晴らしいものだと思っています。
一方で、「スーチー氏が国を守ってくれるからもう何の心配もしないし、絶対に大丈夫。」と、信頼を超えた、全てを投げ出しているような意見や態度をみることもありました。
「NLDに変わったから給料が上がるんだろう?と従業員から真顔で言われて、びっくりしたよ。」と、ミャンマー出身の経営者が苦笑いをしながら話していました。

何もしなかったのではないか、と批判したいのではありません。

憤るよりも、涙を流し続けるよりも、私達には、もっと平和や民主主義や人権を守るため、日常的に、身近に、できることがあるはず。
これを、みんなと共に考え、語り、行動に変えていきたい。
ミャンマーに事業を通じて携わり、クーデターと呼ばれる政変、その中で生きる人に触れ合い、そう考えています。

後編は、新型コロナウイルスと政変の影響を受けた国民経済の実態と共に、行動についてお話をしていきたいと思います。

ワラム株式会社 代表取締役加藤 侑子
1984年京都市生まれ。
幼少期に体験した経済的困難と関連する家庭や教育への影響から「こどもたちが貧困によって涙することのない世界」 を目指しミャンマーでマイクロファイナンスを通じ、持続的な開発目標(SDGs )にも定められている、貧困削減・ジェンダー平等・教育機会の提供に取り組む。2018年、ワラム株式会社を設立し社会的投資(Social Impact Investment)を促進する活動を開始。2019年立ち上げたミャンマーを対象とするクラウドファンディングを通じた「社会的投資」には日本の個人投資家が合計700人以上が参加。だれもができる社会的投資のエコシステム「やさしいおかね」のある未来を目指す。
1984年京都市生まれ。
幼少期に体験した経済的困難と関連する家庭や教育への影響から「こどもたちが貧困によって涙することのない世界」 を目指しミャンマーでマイクロファイナンスを通じ、持続的な開発目標(SDGs )にも定められている、貧困削減・ジェンダー平等・教育機会の提供に取り組む。2018年、ワラム株式会社を設立し社会的投資(Social Impact Investment)を促進する活動を開始。2019年立ち上げたミャンマーを対象とするクラウドファンディングを通じた「社会的投資」には日本の個人投資家が合計700人以上が参加。だれもができる社会的投資のエコシステム「やさしいおかね」のある未来を目指す。
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