深い森の中で木が倒れた場合、音は存在するか? 多くの人に問いかけると、「音は存在する」と答える。なぜか? と問うと、「だって木が倒れると普通大きな音が出るでしょう」と。答えた人は、この答えについての矛盾に気づいていない。宇宙の遠くから地球のすべてのことを記録できるとすれば、そうかもしれない。しかし、我々は限られた世界に生きている。人がいない深い森での出来事は、誰も聞いていないし、誰も知らない。今、アフリカの南スーダンで、ある家に強盗が入ったことは、日本に住む我々にとって、あったこと(存在すること)とは言えない(しかし報道されると急に存在することになる)。
そんなに大げさに言わなくても、自分が音を認識出来るのは、「自分の耳に入った」時だけであり、耳に入らない音は、自分にとって存在しないと「同様」ではなく、まったく存在しないのだ。なぜなら、聞こえないその音は、我々の認識には、「絶対」上がってこないからだ。しかし、自分が認識できる範囲で世界は成り立っていることが普通だった時代(せいぜい150年前まで)から、近代は移動通信手段の発達により、自分が経験できないことを知る事が出来る様になった「伝聞的」世界に変わっている。つまり、音を聞いて「存在する」と認識することなく、伝聞的に「音が存在するらしい」と誰かが言っているので、それもありそうだ、と考える世界に変化したのである。
伝聞情報と体験した情報との違いはその真偽が確かかどうかの度合いにもよるが、もっと重要なことは、伝聞情報は選択することが出来ることだ。つまり、自分が聞きたくないことには耳をふさぐことが出来る。現実の世界から遊離して、伝聞情報のみによって生活している人に対して、その人の考え方を左右することは、いとも容易く出来るのだ。その反対に、現実生活が豊富な場合、つまり活動を活発に行っている人は、現実の現象が自分の周囲に降り注ぎ、伝聞情報の入り込む余地は非常に少なくなる。
実際には、自分で体験する範囲を超えたものに対する認識は、その伝聞を信用するかどうかにかかっている。時には、自分の経験より、伝聞を信用することもある。しかし、人が判断を間違えないのは、自分が経験したことに基づく予測や想像である。この範囲であれば、人々の認識に違いがあまりない。実際には聞こえない深い森の中で木が倒れる音をもとにして、つまり不確実なことを元にして世界を構成するより、人は聞いていることのみを前提として世界を構成するはずだ。しかし現代は、この論理とは違い、自分が見たり聞いたりするもの以上に伝聞情報を重視する傾向にある。
一方、自分が体験したことのみを重視する考えは、民主主義を成立させるために、あるいは、議論を行うために非常に重要な考えではあるが、やはり、独我的(独善的)になることは避けられない。従って、個々の認知を超えたものがあるという認識、そして、他者が経験し自分は経験していない世界があるという認識に立つ必要もある。それが個人の主観性を超えたものなのである。認識は個人ごとに異なるはずが、それらの異なる認識をつなぎ合わせ、さらに、議論を行うことによって、主観を超えた客観性とも言える、「間主観的」認識が生まれる。「間主観性」は、個別主義と関係する。個人ごとの欲求の追求は、「話し合い」を必要とし、「話し合い」によって個人の独我的(独善的)見方が訂正されるだろう。ただしそれは、伝聞情報でなく、各個人が経験した情報から生み出される、主観的情報を集約した「間主観的」情報になるだろう。
個人ごとの独自な認識から多くの人を包摂するような認識に、どの様な道を進めば到達するのだろうか?認識を深めるためには、個別の意識、それもつかの間の意識、限られた意識に寄りかかる必要はない。意識を解放するためには、どの様なプロセスが必要となるにしても、そのために必要なことは、世界を認識したいという願いである。この願いが強ければ、どの様に自分の考えが強くても、他者の考えと一致する場所があるはずである。
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