終末期を考える-緩和ケアで揺れ動く家族の心

これまで緩和ケアを含めた終末期医療におけるいくつかの問題について、とくに医療を提供する側の悩みや困惑を中心に書いてきました。一方で、緩和ケアを受ける側のご家族にも、迷いや悩みがあることを知らされる経験もあります。

70歳を過ぎた男性ですが、ある日曜日に急な腹痛で救急車を呼ばれました。これまではとくに体に変調もなく、かかりつけ医もないままに過ごされておられたことと、救急病院の輪番制に従ってその日の当番病院に搬送されたために、ご家族からすると少し遠方の病院への搬送となりました。その後の検査で直腸癌と診断され、その病院で引き続き手術を受けることになったのでした。

時には、かかりつけの病院があっても、救急車でたまたま別の病院に搬送されることもありますが、そうした場合には、ご本人やご家族の希望で、一旦落ち着いた後にかかりつけの病院へ転院されることもあります。しかし、この方の場合はそうした病院がなかったために、そのままその病院で治療を受けることになったのでした。

その後の詳しい経過はわかりませんが、ご家族が当院への転院を希望されて相談に来られた時のお話では、どうやらいろいろと合併症を起こしたために、退院できないままになっているようでした。「いるようでした」と書いたのは、例によって、ご家族が希望されて主治医にお願いした紹介状には、さすがにそうしたトラブルについては、詳しくは書かれてはいなかったからです。

入院が長くなり、車の運転ができない奥様の介護疲れが目立つようになったために、離れて暮らすお子さんから転院の話が出たようでした。奥様にすれば、それが「務め」といったことで、着替えの交換や日中の付き添いをされていましたが、やはり電車やバスを乗り継いでの通院は相当な負担だったのでしょう。最近は、コロナの問題で患者さんとの直接の面会はできなくなったとはいえ、定期的に着替えを持って行かねばならず、体力だけでなく経済的にも追い詰められているようではありました。一方、お子さんはお子さんで、経済的援助はするものの、疲れた母親を見かねて転院の提案をされたようでした。

そして、相談の日、当院の担当医がお聞きした話からは、かなりの合併症を繰り返したために、厳しい状態に置かれているようだと想像ができました。そうなると、今すぐに動かせる状態とは思えず、転院することが患者さんの病状に良いとも言えないことになります。そのため、「そこまでお世話になったのなら、最後まで見てもらうのが患者さんには良いのではないですか」と応えざるを得なかったと言います。そのうえで、奥様の疲労も考えて、「それでも大変なようならお引き受けしますから、主治医とよく相談してください」と説明してお帰りいただいたとのことでした。

実際、医療とは、患者さんと医療者だけでなく、患者さんを支えるご家族の存在も大きいわけで、この3者が納得し満足できることが理想だと考えていますが、往々にして、どこかに無理というか、しわ寄せがいくものでもあります。

さて、しばらくして、再び奥様が来院されたのですが、「自分の都合で転院を相談しましたが、主人の気持ちを考えると、これまでお世話になった主治医から切り離すことで、もう治療ができないと落胆するのではないかと思いまして、もうしばらくこのままで頑張ってみようと思います」と告げられたのでした。自分の都合で転院のことを言い出した、とご自分を責めておられ、憔悴したご様子だったようです。担当した医師は続けて、「あの時、すぐにお預かりしていた方が良かったのでしょうか」と、医学的な判断を優先して応えたことへの疑問を示したのでした。

相談を受ける医師の側にも悩みというか、受けるべきかどうかという判断に苦慮することがあるのも事実です。時に、常識外れの医療の尻ぬぐいを厚顔無恥に紹介という形で押し付けてくる医者もいますし、病院の勝手な事情で無理にでも退院させたい意図が透けて見える場合もあります。また、自分の都合だけで、これまでお世話になった病院や先生方に後ろ足で砂をかけるような形でのご家族の申し出があるのも事実と言わねばなりません。

一方で、今回のように、患者さんの気持ちを慮るが故に、無理を続ける覚悟を決めるご家族もおられるのだと知らされることとなりました。

今回のようなケースはあまりないことですが、実は、こうした場合の多くは、紹介を希望する手前で、相談すること自体を断念しておられるのではないかと想像することになりました。人生の最期の時をいかに過ごすかは難しい問題と再確認しましたが、だからこそ、元気なうちに、家族とともに己の最後を考えておくことの大切さが、改めて見えてきたように思えています。

少子高齢化が叫ばれて久しいですが、何も改善していないように思えています。さらには、コロナ禍で看取りに立ち会わせてもらえないご家族も出てきているのが現実で(※)、その心中を察するに余りあるということになります。

(※)こうした対応は、感染対策としてやむを得ない事とわかったうえでなお、医療や介護の本質を見失うことになっていないかと危惧しています。確かに、コロナの感染予防を盾にとって面会させなければ、医療者側は面倒な手配をしないで済みますが、その事を当たり前と考えるようになり、コロナ禍が去った後も、そうした心の通わぬ医療が続けられるのではないかと心配しています。

ところで、今回の問題は、ご家族の相談をきちんと受け止めてくださる主治医であれば、紹介先の先生との連携をとることで、ご家族や、何より患者さんの不安を取り除いたうえでの転院が可能ではなかったかと考えています。ただ、それだけの度量のある医者が少ないように見受けられるのは、私だけの思い違いなのでしょうか。

と、ここでこうして書きながら、この患者さんがその後どうなったのかわからないというストレスを感じています。

医療法人 寺田病院 院長板野 聡
1979年大阪医科大学を卒業後、同年4月に岡山大学第一外科に入局。
専門は、消化器外科、消化器内視鏡。
現在の寺田病院には、1987年から勤務し、2007年から現職に。
著書に、「星になった少女」(文芸社)、「伊達の警察医日記」(文芸社)、「貴方の最期、看取ります」(電子書籍/POD 22世紀アート)、「医局で一休み 上・下巻」(電子書籍/POD 22世紀アート)。
資格は、日本外科学会指導医、日本消化器外科学会指導医、がん治療認定医、三重県警察医、ほか。
1979年大阪医科大学を卒業後、同年4月に岡山大学第一外科に入局。
専門は、消化器外科、消化器内視鏡。
現在の寺田病院には、1987年から勤務し、2007年から現職に。
著書に、「星になった少女」(文芸社)、「伊達の警察医日記」(文芸社)、「貴方の最期、看取ります」(電子書籍/POD 22世紀アート)、「医局で一休み 上・下巻」(電子書籍/POD 22世紀アート)。
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