終末期を考える-コロナ禍渦中の看取りから

2019年暮れから始まった新型コロナ感染症のパンデミックについては、ここで語る必要もないほどに生活の一部になろうとしています。こうした中で、「コロナ禍」であればこそといった「新しい終末期」、「これまでになかった死」が生まれてきています。

その一つは、感染したものの軽症と診断され、コロナ病床不足のために自宅やホテルで待機している間に訪れる「死」です。いろいろな悪条件、不幸な偶然が重なってのことと想像しますが、医療が進歩したと言われる現代において、その医療の「恩恵」を受けることなく逝くことになる「残念な死」、「置き去りの死」とでも言わねばならないものです。

もう一つ、医療という意味で、この対極にあるともいえる「死」が生まれています。それは、中等症から重症で入院され、最先端の濃厚な医療を受けながらも回復できずに迎えることになる「死」です。この場合には、ご家族との面会も叶わぬうちに死を迎えることになり、ご家族との対面はご遺体となってからということになります。ただ、ご遺体は袋に入れられた状態で直接触れることはできないようで、なんとも辛い別れということになります(中には、遺骨になって返された例もありましたね)。こちらは「隔離された死」とでも言うのでしょうか、あるいは「家族から切り離された死」とでも言うべきでしょうか。

いずれも、ご家族が付き添っての看取りができないことが共通の問題であり、遺されるご家族には、悔いというか、「死」を受け入れられないという想いが残されることになりそうです。

さて、こうした「コロナ禍ならではの死」は、コロナ感染症以外の病気による一般病院での臨終の場にも影を落としてきています。あえて言えば、「家族の看取りを制限した死」とでもいったところでしょうか。

90歳になる大腸癌末期の患者さんがおられました。大きな病院で、半年前に手術を受けられたのですが、切除ができないほどに進行しており、将来の腸閉塞を回避するためのバイパス手術が行われていました。そして、末期を迎える頃になって、型の如く「当院でする治療がなくなりましたので、地元の病院でのご加療を希望されています」という文言の紹介状を持って来られたのです。

いつものように、衰弱した患者さんと、少し腑に落ちないといった面持ちのご家族を前に戸惑うことになります。その上に、コロナ騒動の最中の事ゆえ、「PCR陰性を確認させていただいたうえでお預かりします」ということになり、「入院中は、ご家族の面会はお断りしています」という説明もしなければなりません。どうしても面会を希望される場合には、「面会希望者にPCR検査を自費で行って陰性を確認の上、15分間の制限を設けての面会になります」と説明を追加します。酷なこととは思いますが、万が一を考えて、入院時にご了解を頂いているのが現状です。(コロナ禍になってから、「面会ができないのなら在宅で看取りをします」と言われるご家族も増えています。ただ、在宅ケアの中心である訪問看護部門への負担が増えてくることになり、なかなか難しいところです。)

この方の場合、面会できないことや最終段階での心肺蘇生術は行わないことも併せてご了解を頂いての入院となりました(※)。

転院後、痛みが増してくると、前医から使用していた麻薬入りのパッチを増量していき、突出する痛みに対しては医療用麻薬を点滴投与して対応していました。幸い、痛みが落ち着いている時には、ジュースや流動食は飲めることから嬉しそうな表情もされ、なんとか緩和ケアが上手くいっていると判断されていました。

そうした日々が2週間も続いたある日、朝方から呼吸が不安定となり、最期の時を迎えることになりました(予想はできないとはいえ、転院後2週間なら、元の施設でそのまま看てあげたらよかったのに、という議論は置いておきます)。その状態を確認した看護師がご家族に電話をしてすぐに来るようにお願いしました(最期の看取りの時にはPCRはしないで良いことにしています)。この電話をした時には、まだ心電図の波形は保たれていましたが、ご家族が到着するまでに徐々に弱り、到着前には心停止となってしまったのでした。

ご家族への電話と同時に主治医の私へも電話が来たわけですが、ご家族が到着後、こちらはすでに入院時に説明済みといったことで、「ご連絡した後に心臓も止まりました。残念ですが、ご臨終の確認をさせていただきます」と言うことになります。しかし、ご家族にすれば当然の反応ですが(入院時の説明はお忘れになっているか、きちんと理解されていなかったかで)、「えっ、これって、もう死んでいるってことですか」と驚きの声をあげることになります。「昨日までは落ち着いておられましたが、今朝から急変され、電話で連絡させていただいた後に心臓も止まりました」と説明するしかありませんでした。


当方としては予想されたこととはいえ、ご家族は受け入れられないご様子でしたが、「看取りの時間は15分以内」ということで、ご臨終の宣告後身体を拭いて綺麗にさせていただく間、外来の待合でお待ちいただくことになりました。ご家族にすれば、通常なら段階を踏んで看取る「死」であるはずが、いきなりのこととなるため戸惑われたのだと理解しています(実は、われわれも同様に戸惑っています)。

この方の場合、今回が初診ということで、当院へ来られたのも突然で、帰る時も突然ということになりました。何より、ご家族に付き添っていただくこともできず、結果的に看取りも「事」が済んでからということになった次第です。通常は事前にご家族との人間関係を築くことにも努めてきましたが、コロナ禍の状況下では、それもままならず、今回のような「行き違い」とでもいったことが起こってきています。

今後も、こうした「死」が増えてくるのでしょうが、ご家族のご無念を想うと胸が痛みます。この問題は、何よりコロナ禍が収束(終息は無理でしょう)してくれるしか解決方法はなさそうで困っています(中には、こうした「簡略化された看取り」を続ける施設もでてくるかもしれません。その方が、医師の負担は少ないからですが…)。

(※)厚生労働省の指導で「人生の最終段階における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン」が作成され、患者さんが最期を迎える時のことについてあらかじめ決めておくということがなされています。要は「その時」が来た時に、心肺蘇生術を行うかどうかの事前確認ということになります。以前から英語では” Do not attempt resuscitation “、略して” DNAR “と言っていますが、意訳すると「無理な蘇生処置は試みません」ということでしょうか。いずれにしても、あくまで患者さんやご家族が最期を迎えるにあたってのお考えやご希望を尊重する前提から始まった制度と考えています。

医療法人 寺田病院 院長板野 聡
1979年大阪医科大学を卒業後、同年4月に岡山大学第一外科に入局。
専門は、消化器外科、消化器内視鏡。
現在の寺田病院には、1987年から勤務し、2007年から現職に。
著書に、「星になった少女」(文芸社)、「伊達の警察医日記」(文芸社)、「貴方の最期、看取ります」(電子書籍/POD 22世紀アート)、「医局で一休み 上・下巻」(電子書籍/POD 22世紀アート)。
資格は、日本外科学会指導医、日本消化器外科学会指導医、がん治療認定医、三重県警察医、ほか。
1979年大阪医科大学を卒業後、同年4月に岡山大学第一外科に入局。
専門は、消化器外科、消化器内視鏡。
現在の寺田病院には、1987年から勤務し、2007年から現職に。
著書に、「星になった少女」(文芸社)、「伊達の警察医日記」(文芸社)、「貴方の最期、看取ります」(電子書籍/POD 22世紀アート)、「医局で一休み 上・下巻」(電子書籍/POD 22世紀アート)。
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