1980年代に登場した新自由主義の風潮を受け、日本でも90年代に入り本格的に公的部門の役割の縮小化とともに民間企業、民間部門の役割が拡大されその重要性が叫ばれてきた。特に社会保障、社会福祉の分野でそれは顕著であり、自助・共助の大切さが近年の福祉のスローガンとして謳われる中で生活保護費は削減され、政府の民間への依存はますます強くなっていくと思われる。しかしここで改めて問い直すべきは、このまますべてを民間と市場原理に任せ公的部門の縮小が推し進められても良いのだろうか?ということである。公的な支援を一切受けず路上で生活しているホームレスの方々への調査をきっかけに、公的部門の役割・責任を改めて問い直す必要性が見えてきた。
2020年秋、岡山市のホームレス(路上生活者含む)の方を対象にインタビュー調査を始めた。彼らの実際の声からその実態を理解したいという目的のもとこれまでに8名の方からお話を聞くことができた。なぜ彼らはホームレス・路上生活から脱出できないのだろうか、なぜその生活が維持されているのだろうか。彼らの語りからは彼らが置かれた様々な実態やそれらと関連した社会構造上の問題など多くの事柄が見えてくる。そしてインタビューの終わりに私は彼らに「今何を求めているのか」、問いかけた。彼らの返答は様々ではあったが、意外にも共通していたのは「我々」が思うような “快適で安定した生活”を求めてはいない、ということであった。私が聞いた中で最も多かったのは仕事と住居がセットになったいわゆる“住み込み”形態の労働を求める声であった。
「明⽇からここで働いて、このアパートに住んで、家賃こんだけで、⼀⽇働いて、⼀⽉働いていくらですよっていうところがもしあったらば、その仕事が私にもできて、体と⼼にそんなに、耐えれるものであるならば、私はそれでいいと思うんですけどね。」(事例1.59歳 / 2021.01)
日本では最低生活保障(生活費+住居)制度を受ける交換要件として“管理下に置かれた生活”と自身の責任と市場原理に基づいた “積極的な就職活動”を求めている。しかし、インタビューで見えてきたものは“管理下に置かれた無償の住居”よりも、“有償であっても住居を伴った労働”を求める者の存在である。現行の公的制度から排除されたまま彼らの独特な生活の社会、そして労働文化は築かれてきた。こうした者の存在は決して少なくないだろう。彼らに必要なことは一方的に我々の社会に引き上げ自立を促すのではなく、彼らの社会や文化に合わせた支援策なのではないだろうか。こういった背景から今後の政府の行うべき支援の一つの方向として国の責任による積極的な公的雇用の創出が必要となってくるのではないかと考える(※1)。
これまで日本ではどのような場面で積極的な公的雇用創出が行われてきたのだろうか。日本における公的雇用創出事業の出発点は、1923年9月1日に発生した関東大震災への対応にさかのぼる。震災後の失業者対策として国庫補助による失業者救済のための公営土木事業が始まりであった。その後も政府が主導して積極的な公共事業を打ち出すのは、太平洋戦争終戦後、阪神・淡路大震災、そして2011年の東日本大震災といった大規模な震災後や戦後などの地域復興支援も含めた緊急かつ非常事態においてのみであった。つまり、失業者が顕著に増加した時に初めて国の責任として対策が打たれていた。終戦後に打ち出された政府による公共事業及び失業対策事業は本来であれば一時的な雇用、つなぎの雇用であったはずが、時代が高度成長期に移るにつれ、次第に就労者の固定化や高齢化が問題となりその機能はほとんど失われ、廃止法が成立するまで様々な闘争や対立を見せながらの終焉となった。
これまでの公的雇用創出の歴史を振り返ると第1次産業、主に土木・建設業における一時的・即時的な緊急雇用が主であったことがわかる。しかし今後は、新たな分野や形態での雇用や、何より生活困窮者支援や貧困対策としての公的雇用創出事業に積極的な姿勢が求められるのではないだろうか。
現在のホームレス、特に路上生活者に対する公的支援の体系を見ると、生活保護制度による最低限の生計費支援、もしくは生活困窮者自立支援制度による一時的な住宅及び生活支援が主であると言える。これらの公的支援にはワークフェア的な考えが強く反映され、彼らは支援を受ける代わりに積極的な就職活動を行いその意欲を示すことが義務付けられているが、あくまで最終的な仕事の確保・維持はすべて本人の責任とされる。2015年に創設された生活困窮者自立支援法に基づく就労支援には就労準備支援事業、生活困窮者就労訓練事業(支援付雇用型)などがあるが、これらの事業の対象は主に社会面、精神面で課題を抱えた方である。路上生活者を含めたホームレスの方々は、客観的判断はともかく‘主観的’に健康状態は良好、もしくは問題がないと主張する割合が多く(※2)、この“主観的に良好な健康状態”が公的支援を受けないという結果の一つの原因になっていることが考えられる。つまり、健康状態に問題がないという自己申告により特別な就労支援の対象者からは除外される、もしくは彼ら自身が良好な健康状態=支援を受ける資格がないと判断している場合もあるだろう。こういったところに公的支援からの一つの“排除”が生まれている。
公的支援から排除された後は、安定した家がない、住民票がない、連絡の取れる携帯電話がないなど、彼らは社会に出る上で非常に不利な状況に陥ったまま、安定的なステータスを持つ人々と同じ土俵で就活戦線へと立たざるを得ない。そのような不安定な状態で得られる仕事は不安定なものに限られ、彼らはこうして不利なステータスを維持していく。
公的雇用創出に関しては前述したように歴史的な反省を踏まえる必要はあるが、近年では人口減少によりすべての産業分野で労働力不足が顕著となってきていること、そして現在の公的な就労支援には限界があり排除されている者が一定数存在することに目を向けなければならない。その受け皿となる新たな形の公的雇用の創出を、国の責任によって行う必要があると考える。
どのような形が望ましいのだろうか?想定としては既存の制度をすべて改革する必要はなく、既存の制度に組み入れることでそこから排除されている者の受け皿となるような形が望ましい。また、限定的な雇用か、定職化するのかといった問題もある。こういった場面で有効なのが海外の事例を参考にすることである。EUでは1990年代前半から社会的排除をなくすための戦略と新たな雇用戦略の構築が目指された。1993年に出された「成長、競争力、雇用-21世紀に向けての挑戦と進路」(ドロール白書)において1500万の雇用を生み出すことを目指し積極的労働市場政策へ移行することの必要性が説かれている。特にフランスは公的雇用創出に関し、いくつもの改変を繰り返しながら今日まで発展してきた歴史がある。前述したように日本では主に建設業、インフラ分野にて公的事業は展開されてきたが、フランスでは雇用創出の鉱脈として対人サービス分野での積極的な雇用創出が図られてきた。ドロール白書でも同様に新規雇用創出の期待が持てる分野としてローカルサービス、生活の質改善(古い家のリノベーション、公共交通機関の整備など)、そして環境保護の3つの分野が挙げられ、共同体内で新しく300万の雇用を生み出すことができるとされた(Com-mission of the European Communities 1993a : 20;再引用)。このようなフランスの公的雇用創出は、数々の批判と変容を経ても依然として就労・生活困難者の権利を社会に反映する実践の場としての役割を保持している(松原 2012)。もちろんEUやフランスでは依然として高い失業率と移民労働者の問題などの課題は残されているが、国の姿勢として貧困が個人の責任を超えたものとして、その解消が社会および国家の責務であるという信念は変わらずに継承されている。こういった国の姿勢や責任について、今後も民間部門への依存がますます強くなる日本において改めて考えられるべき重要なテーマとなるだろう。
(※1)今回の意見はあくまで本調査において岡山市で現在までに調査に協力して頂いた男性ホームレスの方々から話を聞いて感じたものであり、岡山市では数も少なくいまだ実態がつかめていない女性ホームレスの方々の実態や何を求めているのか、については本調査の今後の課題としたい。
(※2) 厚生労働省による2016年の「ホームレスの実態に関する全国調査(生活実態調査)」の調査結果によると、現在の健康状態について健康状態が「良い」または「普通」と回答した割合は全体の約7割となっている。
参考文献
「公的雇用創出事業の80年」(濱口桂一朗 2011)
「フランスの社会的排除と公的雇用契約の展開」(松原仁美 2012)
「EUの雇用政策・社会政策の変容とフランスの「対人サービス」政策」(中力えり 2013)
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