コロナ禍の最中、東京五輪開催の是非で大きな論争となりましたが、国際ビジネスや国際契約リスクを専門としている立場から開催都市契約書(東京都のホームページにアップされています)の精査結果を今回紹介したいと思います。
まず本件は、IOCと東京都・JOCとの間の契約で、日本政府は契約当事者として記載されていません。契約上の規定では、「五輪とは、IOCが主催するスポーツイベントであり、これに対して東京都が開催都市契約を結んだ」となります。
開催可否について、関連契約条項は次の通りです。
1)第66条“契約の解除(Termination)”
・開会中止の権限は東京都ではなくIOCのみが持つ。また、中止を判断する場合は戦争状態や内乱など、IOCが「参加者の安全が理由の如何を問わず深刻に脅かされると信じるに足る合理的な根拠」がある場合とされる。加えて、中止となった場合に生じる金銭的な賠償責任も日本側に不利な内容となっている。
・IOCが中止判断を下した場合、東京都は「いかなる形態の補償、損害賠償またはその他の賠償またはいかなる種類の救済に対する請求および権利を放棄」し、中止した場合に生じた「第三者からの請求、訴訟、または判断からIOCの被賠償者を補償し、無害に保つものとする」と記されている。
2)第9条“IOCに対する請求の補償と権利放棄”
大会中止を含むトラブルが生じた場合、IOCやスポンサー、米NBCなどのメディアといった第三者への損害賠償を含む補償を日本側が支払うとされている。
上記条項を読む限り、今回のようなパンデミックであっても開催都市(東京)は、不可抗力条項の適用下での「開催都市返上」は出来ず、「開催中止」をIOCに要請するのみであり、IOCに一方的に有利な片務契約で「不平等条約」といえる。加えて、IOCが安全を言及しているのは参加者(アスリート、メデイアおよびIOC関係者)であり、開催国の民の安全には言及していない。
グローバルリスクの観点から判断すると、このような不平等な条項を応諾するのは信じがたく、五輪招致の際、この条項が持つリスクを定量化し、リスクヘッジを講じて判断したとは思えません。是が非でも五輪を招致する、そのことが最優先で、発生する筈がない(であろう)解約や不可抗力条項などを真剣に吟味したとは言い難く、日本側の脇の甘さを感じます。コロナ禍での緊急事態宣言や日本国民の反対の声で、「開催都市返上」を東京都がIOCに要請しても、IOCは損害賠償を東京に請求しないであろうというのは「根拠なき楽観論」です。1兆円とも2兆円とも言われる損害賠償金を払う覚悟が日本側にあるのでしょうか。
保険求償で斯様な損害賠償が賄えるのではないかとの意見があります。しかし、組織委員会の武藤事務総長が5月13日、都内で報道各社の取材に応じ、延期前に加入していた大会の中止保険と同等の保険には加入していないことを明かしました。同氏は「前回はかなりの保険に入っていた。コロナで延期になった現状で保険をかけると保険料も相当高騰しているので、ゼロではないが、従来と同じような形で入るのは適当ではない」と語りました。昨年、大会を延期した際は、契約していた保険会社から約500億円の保険金が下りたとされますが、延期後は同等の保険には加入しておらず、もし大会が中止になった場合、大きな保険金は期待できないことになります。これは一度保険金が出た以上、今年の開催に向けては新規の保険契約が必要でしたが、コロナ禍で保険料も高騰し、条件も厳しくなっており、仮に日本側が追加の保険に入る意思があっても入るのを断念したのではないでしょうか。五輪開催を中止できる要件は不可抗力であり、コロナを不可抗力とすれば中止は可能ですが、通常の保険では不可抗力は免責となります。ただし、戦争特約などの不可抗力条項で保険金の支払いはできますが、まずます保険料は高騰します。
なお、NBCなどの第三者は独自の保険に入っていると思いますが、その場合、損害賠償請求権がNBCから保険会社に移転するだけで東京都に対する損害賠償は存在します。今回のようなコロナ禍での新規保険ではおそらく支払い限度額は低く設定されており、「保険」で全て賄えることにならないでしょう。
開催都市は東京ですが、招致には日本政府が大きく関与しており、東京のみならず日本全体として対応すべきでしょう。また、開催都市返上・中止とした場合のIOCの対応が今後の五輪招致に多大な影響を与えるのは事実です。乱暴な言い方をすると、IOCに対して「やれるものならやってみろ」と言えるだけの覚悟が日本側に求められたのではないでしょうか。
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